32枚目 「ジョシカイと針鼠」
前回のあらすじ。針鼠は髪を切りに来ただけである。
「ざっくり言うと、今日のこの一時間がたまたま非番だったんだ」
「珍しいこともありますねぇ、ハーミットさんがお暇を貰えるなんて。私、ここに来てから貴方がまともに休んでるのを見かけたことないですもん」
「ははは。そうかな? そっちこそ、烈火隊は毎日が鍛錬みたいなものだから大変じゃないか?」
「ああ、それはまあ。そうですけどぅ……最終的に白魔術で疲れは取っていますし、そういう意味ではクリーンですぅ」
「どうだかなあ」
「あ。もしかして後ろ髪まで切り揃えて貰ったんですかぁ?」
「うん、ぼったくられたけどね」
「それは仕方がありませんよぅ。貴方の場合、魔術を使用したカットができないんですから、手仕事代がかかるのは必至でしょう」
「体質はどうにもなぁ……普段は自分で切ってるんだけど、流石に揃えないと見栄えが悪いかと思ってさ」
「何かあったんですかぁ?」
「今朝、魔法具研究室での実験に協力したときにざっくり切り落とされてね。流石に揃えたくなったというか、揃えざるを得なくなったというか。実質、休み時間返上だよ」
「それはそれは、ベリシードさんも容赦がないですねぇ」
「彼女が作るものは逸品なんだけど、普段の発明がなぁ。そういえば天井に穴空けたって言ってたから、また修復業者手配しなくちゃだ……」
「お疲れ様ですぅ」
他人事にストレンは返し、針鼠の頭部を抱えた金髪少年は苦笑した。
切り揃えた髪を見せて満足したのか、金糸の髪は茶色の鼠顔の下に沈んで行く。
琥珀の代わりに彼女へ向けられたのは硝子の瞳だった。
「それはそうと、今はアネモネが管理すべき時間なんだけどな――どういうわけで彼女をここに?」
「……ラエルさんって、ああ見えて重要なポジションにいたりする方なんですかぁ?」
「先に質問をしたのはこちらだから、回答を優先してほしいかな」
「……はぁ。想像していたよりもずっと、ですかねぇ……」
一度はぐらかすようにつぶやいたストレンだったが、鼠顔の眼光にやられ「参った」と降参のポーズをとった。
「私が答えたら、私の質問にも答えていただけますかぁ?」
「努力はする」
「了解ですぅ。では、理由を。そうですねぇ、ちょっとだけおせっかいを焼きたくなったんですよぅ。ラエルさんに」
「おせっかい」
「ほら、彼女は髪を切りそろえることにも、おしゃれにだって頓着がない――それは個人の自由でもありますが、就職するとなれば前髪ぐらい切っておかないと不利になりそうじゃないですかぁ。彼女は魔族や獣人や
「……なるほど。確かにそれは失念していたよ。気遣い感謝する」
「いえいえ、やりたいようにやらせていただいてるに過ぎませんよぅ。それだけラエルさんが魅力的な方だということですぅ。法の壁がなければ、烈火隊に勧誘したくなるぐらいには!」
それだって、いろいろと根回しすれば不可能ではないんですけど。と、つぶやくストレン。
この国の軍人としてその発言はどうなんだ。ハーミットは溜息をついた。
「では、私の質問にも答えていただけませんかぁ?」
「……彼女は重要なポジションにいるわけではない。ただの保護観察対象」
「それ、矛盾していません?」
「矛盾してないよ。脅威はないんだから」
ハーミットは言って、おもむろに席を立つ。
「脅威は、ない?」
「そう。少なくとも俺より無害」
「貴方より無害って」
「心配は無用だよ。彼女が何かしでかしても、首が飛ぶのは俺だけだ」
「……一言多いですねぇ……」
「はは、最近はよく言われるようになったかな。その台詞」
ひらひらと後ろ手を振って、ハーミットは職務に戻っていった。
ストレンはそれを見届けて、送り出した自らの手を振るのを辞める。
魔導王国で唯一、定職に就いて生活している人族であるハーミット・ヘッジホッグであれば、同じ人族であるラエル・イゥルポテーの手助けにつながる情報の一つや二つ、落としていくものだと思ったのだが……どうやらその様子はない。あくまで彼が平等に人に接するようにしていることの表れだろう。
(相変わらず、
ストレンはハーミットが来る前の魔導王国を知っているし、彼がやってきてからどういった経緯で今の地位に上り詰めたのかも、知っている。
目に見える成果を上げ、ひたすらに自己の時間を犠牲にし、血のにじむような努力の果てに今の彼がいることも、知っているつもりだ。
だからこそ、ラエル・イゥルポテーの処遇には違和感がある。
(なんだかモヤモヤしているのは、私だけでしょうか)
ストレンは回廊の先で見えなくなった彼を想起しつつ、目の前の散髪屋を眺める。
店内では逃げ出そうとしたラエルが座席に魔術で縛り付けられ固定された挙句渋々カッティングに甘んじているのを、興味深そうにエルメが覗き込んでいた。
先ほどまでの不穏なやり取りとは反した光景に、ストレンは眉間のしわを緩める。
もうしばらく店外で待っているつもりだったが、気が変わった。
意味深な発言を繰り返す上役の思惑より、今は興味のある人族と話してみるのが先なのではないだろうか。
烈火隊の白魔術士は一人、赤い目を細めた。
刃物を使うと聞いて逃げ出そうとすれば取り押さえられるわ、椅子に縛り付けられるわ、挙句の果てには退路を塞がれてされるがまま。ラエルの初散髪体験は散々なものであった。
「一応ここ、良い値段のするお店なんですよぅ? 髪の傷みも抑えてもらっているみたいですし、シャンプー代が初回割引きでよかったですねぇ」
「か、髪を切るのにお金を払う……?」
「まあまあ、そういうこともあるぴょーん」
流されるままラエルの財布から千五百スカーロが支払われ、硬貨が店員の手袋に吸い込まれていく。自ら髪を切ることはあっても、他人に髪を切られたことがなかったラエルからすれば、それを生業にする商売が存在すること自体が驚きであり、不思議なことだった。
ともあれ、黒髪の少女はまたひとつ職の種類を覚えたようだ。
「そう言えばラエルさん、鏡見ました?」
「鏡? ああ、確認はさせてもらったわよ」
ラエルは言いながら、先程切り揃えられた前髪を中指でなぞる。
伸びていた前髪は眉のラインでぱっつんと切り落とされ、落ち着かない様子だ。後ろ髪は毛先を中指の長さ程切られただけで、結局は元のお団子にまとめ直しているので変化がない。
どうやら短髪になることを拒否したらしい。曰く。
「これぐらい長さがないと、丸く纏められないじゃない」
とは、黒髪の少女の独り言である。
ストレンは納得いったのかいっていないのか、聞いている途中で「まあいいか」という結論に達したのか。その場でくるりと回ると、ラエルから距離をとった。
「では、私たちは夕方の訓練がありますので、ここで失礼しますぅ。棟の案内は要りますかぁ?」
「あぁ、大丈夫。歩いてたら何処かの棟に着くでしょう?」
「そうですけどぅ。ラエルさんが構わないとおっしゃるなら送り届けるのもやぶさかではありませんよぅ。ねぇ、エルメさん?」
「……無理してないぴょーん、ポテー?」
「してないわよ」
そう。これぐらいのプレッシャー、アネモネに絡まれた時の視線の比ではないが慣れるためには丁度いい刺激だ。先日絶海の孤島で狩った怪魚や、謎の男から受けた無言の圧に比べればはるかにマシなのだから。
それに、殺意の視線を向けられているようには思えない。
「無理はしてないし、するつもりもないわ。今日は資料室に寄るつもりだったし」
「そうですか。分かりました、ではお言葉に甘えますね。行きましょうエルメさん」
「ぴょーん。また明日、ポテー」
こうして、烈火隊の筋肉娘たちはラエルを「女子会」の名目で引き回した後、彼女を三棟商業区に残して、訓練へと戻って行ったのだった。
当然、烈火隊の筋肉娘たちが集めていた視線をラエルが引き受けることになるのは必至であり、黒髪の少女もそれを知った上での判断だ。
そもそもラエルは、視線があろうと無かろうと、小さい頃からショッピングは一人でする方が好みである。故郷でも親の管理下から抜け出せる
つまり、「誰かの為に何かを購入する」という大義名分があれば、ラエルはこの地区で買い物をする勇気が出るのではないかと考えたのだ。
幸い、お金の使い方は先程目にしたばかりである。
「……まずは白魔術の関係者と烈火隊、それから金髪少年かしらね」
適当に周囲を見回し、とある店に目をつけた黒髪の少女は視線が降りかかるのをものともせず、砂を泳ぐ魚のように人波に潜って行った。
資料室にラエルが訪れたのは、結局日が暮れてしまって後だった。
そして、夕食前に本を借りようとやってきた割には、扉の前で立ち往生している。
というのも、昨日作成した入館証をかざしても扉が反応しないのだ。
首を傾げるラエル。
これはラエルの判断や運が悪かったわけではなく、彼女が資料室の二階入り口が夜間の低燃費モードで外から開閉しなくなることを知らなかっただけだった。
一階にある正面入り口からなら同じ魔法具を使用して入館できるのだが、残念ながら彼女はその正面入り口に行ったことがないし。まだ見たこともない。
(取り置きして貰った魔導書もあるし、働くことについてもう少し調べてみたいと思ったんだけど……)
やはり無理はいけない。昨日のように誰かと一緒に来た方が良さそうだ、と踵を返そうとして――背にした資料室の扉が開錠したのはその時だった。
厚みのある三枚の金属板が複雑に絡まった絡繰りのような動き。
魔力が流れる時に空気を震わせるように肌に伝わる駆動音。
「……なんだ。かざしどころが悪かっただけなのかも」
そうではない。
ラエルは、今の時間帯にこの扉が外から開かないという事実を知らない。故に彼女はこの扉が開いたわけを推測し損ねた。
そして残念ながら灰色の通路にはラエル以外の人間がいなかった。黒髪の少女の歩みを止める人間が存在しなかった。
「お邪魔しまーす」
ラエルは赤い絨毯と朱の欄干が彩る資料室の二階へ、足を踏み入れた。
扉は黒髪の少女の髪の毛の先まで招き入れると、ひとりでに閉まっていく。
閑散とする回廊に、閉じた扉を気にする者はいない。
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