24枚目 「空になったスープカップ」


 夜を溶かした黒い髪に、魔晶石を思わせる紫の目。

 番号札は三十二番。


「眉を顰める瞬間すら可愛いぜー」

「……年頃の女の子に鼻の下伸ばしてる同僚を見つけた俺のいたたまれない気持ちはどこでどう発散しろというんだ……」

「おー、おはよーさん。ハーミット」

「おはよう変態騎士」

「は! ひでぇ言い様だな」

「鏡を見ろ。否定なんかさせないぞ」

「騎士はともかく、俺のどこが変態なんだよ」


 ……それはこの場の空気を読んでからにしてくれ。

 続けて言葉を返すのは頭の天辺からびっしりと針を生やした獣人の少年だ。


 彼は躊躇うことなく頭部をパージする。

 中から現れたのは琥珀を嵌めたような瞳に金糸の髪。そして顔に似合わぬ渋い顔だった。


 彼の名はハーミット・ヘッジホッグ。


 魔導王国に従士する人族であり、先の一件でラエル・イゥルポテーを手助けした一人。

 そして、アネモネと同じ四天王――『強欲』と、呼ばれている。


「出た。低血圧!」

「出た。じゃない。ったく、仕事とはいえ朝食まで彼女につきまとう必要はないだろう。本人から苦情が来てるぞ、苦情が」


 ハーミットの言葉に、アネモネは目をぱちくりとする。俗にいう整った顔立ちをしている彼にとって、女性からこういった反応を受けるのは新鮮らしい。


「なんだ、羨ましいのか? ラエル・イゥルポテー係が」

「……そうじゃなくて。その気もないのに口説き紛いのことをするなって言いたいんだよ」


 アネモネは金髪少年の言葉にぽかんとする。

 そもそも彼にとって女性を気にかけることは、息をするのと変わらない。


 理由わけあって、彼自身にその気・・・はないのだが……それはそれで問題である。ハーミットは、赤髪三つ編みの彼に泣かされた女性を数えていられないのだ。


 胃と眉間を抑えた少年を前に、三つ編みの青年はからりと笑った。


「いやいや、あくまでも仕事だっつーの。分かってるだろ、ハーミットさんよう」

「あのね、理解している側からしたらそうだけどさ、周囲の目も考えようか? もっぱら噂だぞ、保護した人族に四天王の嫉妬がご執心だって」

「なんだそりゃ」

「まあ、昨日辺り王様がちょっとおいたが過ぎるってんで注意してたけど。気を付けなよ? 城中に君が未成年にうつつを抜かしてるなんていわれた日にはどうなることか」

「大丈夫大丈夫! ハーミットは心配性なんだよなあ!」

「それはこの得も言われぬ空気を読んでから言って欲しいな……!」


 ハーミットは言いながら、肌に貼りついていた髪を剥がして整えた。立場上、言いたくても言い出せなかっただろう一般兵たちが各々首肯しているのを見ると、アネモネは口をへの字に曲げる。


 金髪少年は鼠顔を膝に抱いて、セルフサービスで淹れてきたコーフィーを口にする。

 長い睫毛で隠れているが、うっすらと隈ができていた。


「そっちは相変わらず忙しそうだな」

「そりゃあ……一応、ペナルティ分もあるからね」

「ふぅん」


 アネモネとハーミットでは、活動する部署も役回りも大きく異なっている。


 身体を鍛えて魔術の錬度を高めるのが仕事であるアネモネとは違い、毎日城中を走り回るこの獣人のが、普段何を仕事としているのか。細かいことは白魔導士や司書辺りなら把握していそうなものだが、この三つ編みの男はその辺りの事情に疎い。


 ――あえて事情に疎い方が、遠慮なく物申せるときもある。


 アネモネは金髪少年に働き過ぎを指摘しようとして、けれど近づいてくる足音に考慮することにした。恐らく過労の原因は黒髪の少女にも関係することだと踏んで。


 振り返らず会話を続けるアネモネと、コーフィーを飲み干した針鼠。

 戻ってきたラエルは、鳥とトマのスープセットを乗せたトレイを両手に顔を歪める。


「どうして私の席がヘッジホッグさんに占領されているのかしら……」







 煌めく油の泡を匙で割り、鳥肉に舌鼓を打ち。

 針鼠から今後の説明を聞くことになったラエルは、溜め息混じりに呆れた視線を投げた。


「――私に第三大陸での人殺しの疑いがかかってる? そんなこととっくにスフェーンさんから聞いたわよ。彼が白魔術士じゃなくて白魔導士だってことも合わせてね」

「うっそ」


 ラエルが明かした衝撃の事実に頭を抱える金髪少年。

 アネモネはというと、長い三つ編みの先を指で弄びながら明後日の方角を向いている。


 どうやら二人共、ラエルが原因を知っているとは思っていなかったらしい。

 何の原因かというと、彼女を監視する為に毎日アネモネが声をかけることになった――いたたまれない視線が注がれる現状を作った「原因」である。


「うーん、意外だ……本当に人里離れた場所でサバイバル生活していたのか……?」

「世間知らずは認めるけれど、情報収集の重要性ぐらいは知ってるわよ」


 寧ろサバイバルでは持っている情報の量と質で生き残りが決まるといってもいいだろう。

 知らない食材と生き物と地形には特別、神経を使うものである。


「というか。疑われていると知っていたなら、どうして俺たちに弁明しなかったんだ?」

「……スフェーンさんにも監視だとか軟禁だとか言われたけれど、衣食住を支給して貰っているからには恵まれているじゃない。鎖に繋がれているわけでもないし」


 ラエルは袖口のカフスに触れる。

 彼女の手首には、赤黒く変色した熱傷痕が残っている。


 板枷の重みはまだ忘れられないが、疑われているにも関わらず鎖をつけられていないだけ「まし」に思ってしまっているのも確かだった。


「それに。私が覚えてないだけで、私がした可能性を完全に否定できるわけじゃないわ。甘いくらいだと思うわよ、この国の対応は」


 少なくともラエルの故郷だった国では、疑わしきは砂虫のエサだった。

 だから魔導王国での処遇に驚いたものである。檻の中が快適だというあの言葉は、ここにも適用できるのかもしれない。


「この国自体が檻、みたいな解釈はしないで欲しいんだけどなぁ……」

「そうだぞ。一応はお嬢ちゃんが無実だろうことを想定した上での観察処分なんだからさ。本当に疑わしかったら今頃地下牢だぜ?」

「牢屋があるの?」

「ん。一応な」


 アネモネは言って、平らげた鳥の骨を口から離す。軟骨まで食べる派のようだ。


「牢かぁ……朝からご飯が進まなくなる話題は辞めようよ……」

「もとはと言えばお前が俺たちのペナルティについて話し始めたんだろーが」

「それだってアネモネのお勤めが目に余ったからだろう」

「……喧嘩するのは止めないけれど。私の居ない所でお願いしたいわね」


 トマの実をつぶしたスープは、実の色が溶けてどこまでも赤い。

 それを飲み干したラエルは、パンを食べて空になった皿を持つと立ち上がった。


 クリーム色のワンピースには、一滴の跳ねも見られない。


「ああ、そうだ。ひとつ聞きたいことがあるの」


 ラエルは皿を持ったまま、再度席に着く。


 アネモネとハーミットは顔を見合わせ、それぞれフォークと骨を置く。

 どうやらラエルの話を聞いてくれる気でいるらしい。


 少女は迷いながらも口を開く。

 知り合いなど居るものかと思っていたが、使える人脈は使うべきだと判断した。


「貴方たち、私にもできそうな仕事に心当たりはある?」




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