18枚目 「痕形」


 医者との会話は苦手である。


 子どもの頃、自分の傷口が閉じるさまを早回しで目撃してからだ。

 治るのはいいが。その過程がただただグロテスクで。思い出すだけで気持ち悪くて。


 それに。


「言うまでも無く重症だったぞ」

「……そ、そうなの……」


 診察室に足を踏み入れて開口一番言われた言葉がこれでは、二度と医者にかかりたくなくなるというものである。生憎、逃げ出すことは許されなかった。

 

 診察室だと言われて通された部屋は小さくて簡素。特に何か凝った作りの物が置いてあるわけでもない。難しそうな専門書とポーションの瓶が並んだ硝子張りの本棚と木製の椅子だけが部屋を飾っていた。


 さっぱりとしたその部屋で、ドクターもとい白魔術士のスフェーンはそんな部屋の中心に椅子を二つ、向かい合わせに並べた。


 私は出口側の椅子に腰を下ろす。


「遅いぞお嬢さん。他の利用者の予約もあるんだ、逃げるのは今回限りにしてくれ」

「あう……いえね、食堂で何だか面白いことをやってる雰囲気だったから、つい寄り道を」

「ほう?」

「あ、はい。もうしないわ (性格上約束はできないけれど)」

「……まあいい。助かったぞカルツェ、昼食でもしてくるといい」

「はい、それでは失礼します」


 魔族の少年はそう返すとそそくさと診察室から出て行ってしまった。彼の役割は私を案内することだったらしい。


 だとすれば、診察室と食堂の間を行ったり来たり、二度手間をさせてしまったことになる。私はちょっとだけ申し訳ない気分になった。


「名前はラエル・イゥルポテー、でいいんだったな」

「ええ」


 名前を呼ばれたので振り返ると、神妙な顔つきでスフェーンは私を見ていた。


「取り敢えず座ってくれ。問診自体はすぐに済む」

「はあ、問診」

「なんだ、体調に不調があるのか? 全身の裂傷や血中毒けっちゅうどくに関しても昨夜の時点で治療したが」

「私、そんなに酷い状況だったの?」


 ――血中毒とは、魔力が枯渇することで発生する中毒症状である。どんなに元の魔力が少なくても、人間が完全に魔力を抜き取られると死んでしまうのはこのせいだ。


 いや、血が無くなっても死ぬのだけど、目に見えないだけ魔力枯渇の方が危険度が高い。


「血中毒といってもまだ軽い方だったがな。でなければ目覚めるのに時間がかかった筈だ」

「私が命を落とすという末来は考えられなかったのかしら」

「私の手が届く範囲で人間が死ぬことはあり得ない」


 スフェーンはそう言ってやれやれと首を振る。


「嬢ちゃんをここに呼んだのは他でもない、メンタルケアの為だ。何か話したいことや鬱憤は無いか、何でも構わないぞ」

「……強いて言うなら今の状況に若干のストレスを感じているわ」

「それは結構、健康な証だな」


 スフェーンは言いながら手元の紙に筆記用具で何かを書き込んでいく。

 

 その後も当たり障りない問答が続き、出身地や今回の事件に巻き込まれた経緯を細かく説明していくと、十二枚程はあった質問紙はあっという間になくなった。


 一体何を診ているんだか。それに、途中からは事情聴取じゃないか。


 専門家でない私には推し量れない領域なので途中から深読みすることを辞めたが、一方の白魔術士はというと、どうやら表情が芳しくない。


 理由は、何となく予想がついていた。


「お嬢さん。ブラウスの袖を捲ってくれないか」

「変態」

「茶化すな小娘、只の診察だ」

「……分かってるわよ」


 私は渋々とシングルカフスを外す。


 八年ぶりのブラウスだが、子どもの頃に覚えた動作は健在だった。

 手首の絞りが緩み、白い布を肘まで捲し上げる。


 ぐるりと一周するような、赤黒い


 両腕だ。

 正確には、両腕の両手首だ。


 金属の板枷が嵌っていた位置に、大きな熱傷が走っていた。腕の甲から腹までぐるりと一周するように、さながら太くて真っ赤な腕輪でもしているようになっている。


 テントから脱出して後、血の匂いがしていたのは擦り傷のせいだけじゃあなかったということだ。


 金属を身に付けた状態で不完全な雷の魔術を使ったから――放出した魔力を上手く制御出来ず、金属を加熱した上に帯電現象が起きた故に、肌が焼けたのだろう。


 こんがりとはいかないものの、あの腕枷にこの傷口が癒着していたのだと思うと、痛みを想像して笑えてくる。盛り下がった肉の端側には、細い根っこが這ったような痕があちこちできていた。


 ……目に見える形で、雷を身体に宿しているようだと思った。


 スフェーンは白魔術を使いながら私の腕を取って傷痕に触れるが、状態に変化はない。


「痛みは?」

「無いわ」


 私は答えながら右手首をさすった。皮膚が引っ張られる以外の違和感はない。

 医者は苦い顔をした。


「例え自らの魔力による傷であっても、本来なら痕形もなく治る筈なんだがな――何処かの誰かさんが為に完全な治療が行えなかった。全く、名前だけならともかく名乗った名字すら偽物とは。私は、それが、不満で、ならない」

「うぐ」

「……お嬢さん自身は黒魔術師だと言っていたが、白魔術は使えないのか?」

「残念ながらそのあたりはさっぱり。白魔術は父の領分だったのよ……」

「ほう、父親がか。どうだ、今ならこの痕も消せる。名前を明かして貰えればだが」


 魔術に通じている者が自分の名前を教えることを躊躇するのは、相手の名前を知っている方が魔法の効きが良くなるからだ。


 だから、治療者に回る白魔術士は治療者の名前を知る必要があるし、例えば黒魔術使いを相手取る時なんかは逆に、自分の名前をどうにかして伏せなければならない。


 私だって、信頼のある白魔術士になら名前を教えるぐらいしたいものだけれど――。


「ごめんなさい。私、両親から聞いてないのよ。自分のいみな

「……成程」


 嘘は吐いていないようだな。と、いつの間にか魔術を使用されていたことに驚く私を余所に、モスグリーンの細い眼が間接照明の光を反射した。


 とりあえず、君自身が名乗った「ラエル・イゥルポテー」という名称で呼ばせてもらうが。と、ドクターは前置いて。


「時間が経てば、今治るものも治せなくなる。催眠で聞き出す以外にも手が無い訳じゃあないが、今の君には負担が大きい。命が助かっただけありがたいと思え」

「催眠ねえ。かけても構わないけれど、母曰く、私が生まれてから私の前で私のいみなを口にしたことは無いそうだから、あまり期待しない方が良いかも知れないわ」

「徹底されているな」

「そう? 私は他を知らないから……普通じゃ、ないのね」


 言いつつ整えることを忘れていた髪を手櫛で直していく。傍目からすれば痛々しい色なのかもしれないな。と他人事に考えながら。


「一つ、報告がある」

「報告?」

「ああ。君の両親について聞き込んで貰ったが、今回保護した者たちの中にはいないようだった」


 私は、その情報に閉口する。


 成程確かに。いくら人売りに売られそうになったとはいえ、全員があのテントに運ばれるとは限らない。第三大陸の何処か、もしくは海を越えた向こう側に連れ去られた可能性だってあるのだった。


 落ち着きを保つために、ゆっくりと深呼吸をする。モスグリーンの目を真っ直ぐと見た。

 ドクターは私のことを暫く眺めていたが、やがて視線を資料に向ける。


「……暫時ざんじ魔導王国で身体を休めると良い。あの国は外から来る人間が多い、情報収集するには向いている」

「そうなの。ありがとう」

淡泊たんぱくだな。家族のことだろう」

「そうだけれど――まだ逃避してるのよ。これでもか弱い乙女なんだから」


 現状、私とは別に売られて行っただろう彼らに関しての情報は皆無に近い。もし売られていたとすれば私は彼らを買い戻す必要があるのだが、それには資金が必要だ。


 現実味がなくなってしまった理由の一つは、自分が競りにかけられて人を買う金額の片鱗を知ったからである。あんな大金を瞬時に用意できる筈がない。ましてや故郷のない私に、国に帰って働けというのも無茶な話だ。


 そして、魔導王国に行って情報を集めたところで――生きていくだけのお金を稼ぐために働いたところで、資金を必死になって貯めたところで。そこまでして私がやろうとしていることは結局違法に違いないのである。


 人が人を買い戻す、人が人から人を買い取る行為。


 私が憎み、捕まえるのに加担したあの人売りたちや人買いたちと同じ泥沼に足を突っ込む気はない。そうなるくらいなら両親を諦めたい。


 けれど、仮にも親である。

 十六年育ててくれた、まだ親孝行もできていない彼らを放って置けるほど、薄情者でもない。


 あの即売会から脱したところで、魔導王国で身体を癒す予定ができたところで、私の目的はぐらぐらと揺れている。目標が定まらない状態で世界に身を投げ出すなんて無茶は、自殺行為に等しい。


 ……それに。

 私が悪人になるには、どうやら良心の葛藤という点で詰んでいる。


「年頃の乙女は色々と悩むのよ。ドクターさん」

「……君の場合は事情が特殊だ、それを責めようとは思わない」

「紳士なお医者さんね」

「優しくはないさ。私にできるのは傷と病を治すことだけだ」


 白魔術士は言って、目元の四角いレンズとレンズの間を中指で押し上げた。


「さて、他に気になることはあるか」

「特に無いわ。綺麗に治してくれてありがとう」

「こちらは不完全燃焼なんだ、傷に塩を塗ってくるな」

「ふふ、それでも感謝してるのよ」


 メモを取っていた紙を畳み始めたスフェーンを見て、問診が終わったと解釈した私は席を立ち扉の前へ移動する。袖を下ろしてシングルカフスを留め直した。


「そろそろ良いかと思ったのだけど、早計だったかしら?」

「いや、丁度今、戻って良いと言うつもりだったさ」


 しかし、彼はそこまで言って、ふと思い出したように顎に手を添えた。


「そういえば、聞くのを忘れていたことが一つ」

「何かしら」

「……君の目はいつから紫なんだ?」


 目の色?


「記憶の限りでは、砂漠暮らしを始めた頃には今の色だったと思うけれど。鏡なんて家には無かったから、分からないわ」

「……そうか。答えてくれてありがとう」


 白衣の白魔術士はそう言うと何か考えるようにして、それから右手をひらひらと動かした。

 どうやら今度こそ、質問タイムは終わりらしい。


 聞かれることに答えるばかりで面白くなかったので、私は考え込む彼に声を掛ける。


「ねえ、ドクターさん。あの金髪少年は今、何処にいるのかしら」

「さあな。あいつのことだ、甲板に出ていると思うが――まあ、カルツェに聞いてくれ」


 その言葉を最後に、ぶつぶつと独り言を始めるドクター。


 こちらの話を聞いてくれそうもないので、不本意ながら扉を引いて廊下に出ると、医者の言葉通り、そこには壁に身を預けるようにして魔族の少年が立っていた。


「お疲れ様です。問診、どうでしたか」

「異常ないっていうことの確認と、手首の件で苦言を呈されたわ」

「そうですか。ええ、その痕に関しては、例え僕であっても苦言を呈しますね」


 丸眼鏡を押し上げ、少年は眉間に皺を寄せた。


「ふふ、ありがとう。気にしてくれていたのね――えっと、一応これで私は自由なのかしら?」

「そうですね。当分の間は船旅ですから、あと半日はこの船の中ですが」

「……ここって船なの?」

「ええそうですよ。甲板ならあちらの階段を上った先にありますから……そう言えば、金髪の彼に用があるのなら行ってみては? 先程昇っていくのを見ましたし」


 魔族の少年はそれだけ言うとプイと横を向きながら、私に向かって左の握りこぶしを突き出す。

 何だ、喧嘩を売って来たのかと身構えたがそんなことは無かったようで、呆気に取られる私の手を取った少年は無言のまま何かを握らせた。


「それでは」


 すたすたとその場を後にする魔族の少年。


 その背中が見えなくなったところで、私は握らされたものを目にして驚いた。手のひらに乗っていたのは一本のリリアンだった――ご丁寧にもメッセージカードがついていて、どうやら髪を結うのに使えとのことだ。文末には「お大事に」というお医者さんの定型句が綴られているではないか。


「……ここには良い人しか居ないのかしら」


 にやける口元を自覚しつつ、早速髪を一本纏めに結い上げる。


 馬のしっぽのような髪型にしたところで、私は甲板へ出る階段を見据えた。

 この階段の先に金髪少年……もとい針鼠が居るのだ。


「さて、それじゃあ――約束通り。ちゃんと説明してもらわないとね」


 そうでなければ、物語が締まらない。




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