19枚目 「Pending」


 履きなれないパンプスが、コンコンと音を立てる。


 甲板に出ると、強く冷たい風が頬を撫でた。リリアンで纏めた髪が自分の顔に被さって息ができなくなる――私はうねる黒髪を払って後ろにやりながら、状況を確認しようと顔を上げた。


「……っ!」


 船。川や海を渡る為に必要になる、砂の上を進む砂船とは少し仕組みの違う移動用魔法具――私の中にある知識は精々それぐらいのものだった。あの絶海の孤島から出航するには海が適切だろう、と。


 けれど、現実は想像の斜め上を突っ切った。


 目に飛び込んできたのは、青だった。雲だった。


 海独特の潮の匂いは無く、代わりに肩を震わせる程に気温が低い。

 白い霧状の靄に時々突っ込みながら、透き通る青空に船は進む。


 船は、空を飛んでいたのだ。


「な、何これ、凄い!」


 見たこともない結界が船を覆っている。甲板には強化魔法陣が何陣も重なるように、さながら刺繍されたようになっていた。


 動力は何処だろうと首を回すと、船首の先に極大の風の道があることに気付く。どうやらこの船は気流を操って上へ上へと進んでいるようだ。


 あのテントの固定魔術如きでお金をかけていると言っていた数日前の自分に見せてやりたい――それ程に完成された高度な魔術で船は動いていた。


「風はあるのに全然揺れてないし、雲がかかる空の高さまで魔力を流そうなんて何処の誰の発案よ! まるで絵本の中の世界じゃない」


 高揚した頭でふと、動悸を抑える為に深呼吸した。

 冷たい空気が肺を満たす。


「……って、そうだ。彼を探さないと」







 目的の人物を探すことに苦労はしなかった。


 彼は船首の反対側。船尾のテラス席で眼下の雲海をぼーっと眺めながら黄昏ている。

 他の人物と一緒に居るということもなく、一人だった。


 風よけだろうか。鼠頭を被っているようで、表情を読むことはできない。


 近寄りがたい雰囲気だったので声をかけることを一度辞めようとした――が、ここで引き下がるのも何だかなあと思ったので。


「お隣良いかしら」

「どーぞ」

「ありがとう」


 短い返答にこちらも同じように言葉を返して、私は彼の隣に腰を下ろした。


「何を見てたの?」

「雲」

「そう、面白い?」

「いいや」


 そう言うと彼はゆっくりと、被っていた鼠頭を外した。


 蒸れて汗ばんだ白い肌が冷たい風に晒され、瞬く間に乾いていく。

 金糸のように細い髪が風に煽られ、煌めいた。


「……」

「……」


 やはり、姿は少年にもかかわらず、何処か大人びている風だった。

 意味のない沈黙が続く中、私が彼を観察したように、彼もまた私を観察していると知る。


「それは? 誰かから貰ったのかな」

「ああ、これね。カルツェさんに頂いたの。髪をゆわえって」


 私がそう答えると、彼は「ふうん」と言ってちらちらと甲板を見る。手招きした。


「この風だ、それじゃ顔に掛かるだろうし。俺で良ければ纏めてあげようか」

「いいの?」

「おねーさんが良いのなら」


 私は限界まで彼と距離を詰めて背を向ける。


 金髪少年は手慣れた様子で私が不器用に束ねた髪を解き、指で梳き纏めていく。

 爪を立てないように加減している様子が伝わる。時たま頭皮に触れる指は、細くとも男性の物だった。


「……怪我は、どうなんだ?」

「ドクターさん曰く問題ないらしいわ。腕枷があったところは痕になっちゃってるけれど、それは仕方ない。貴方こそ背中とか打ってたでしょう、調子はどうなの」

「俺は別に」

「頑丈ね」

「それ程でもないよ。所詮人族だ」


 少年は私の髪から手を離す。結び直されたリリアンがうなじに触れた。

 終わったのかと振り向くと、彼は「まだだ」と首を振る。


「ちょっとまって」


 言うなり、編み込まれた自分の髪が上の方に集められた。細い棒のような物で器用に留めると、彼は「うん、これでいいかな」と満足げに呟き、私を解放した。


 指先でおずおずと触ってみると、どうやら魚退治にも使っていたコートの針で留まっているらしい。先の方は折られているようで、指に刺さる心配はなさそうだった。


「何をどうやったらこうも器用に編み込めるのよ」

「小器用なのが取り柄なもんでね」

「あとでどうなってるのか教えてよね――あ、そうだわ、聞きたいことがあるんだった」


 アイスブレイクが済んだようなので、私は身体の向きを直した。

 距離を詰めているので、琥珀の虹彩が窄まる様子がはっきりと伺えた。


「ねえ貴方、あのテントで四時間くらい私を質問攻めにしたわよね」

「あ―……そんなこともあった?」

「ええ、あったわ。だから今から色々聞いてあげる。それでお相子にしない?」

「はは、お手柔らかに頼むよ」


 金髪少年が苦笑いして承諾したところで、私は息をつく。

 正直な所、彼にすべてを話して欲しいというわけではない。口にできる部分で説明が欲しいだけなのだ。


 私は、好奇心を糧に生きているようなものなので。


「まずは一つ目。私を最初に騙した時、何を思って島の端まで追い込んだのかしら?」

「……島を一つ買い取ったとはいえ、買い手の倫理観までは保証できなかったからね。だから、外で何かトラブルに巻き込まれる前に、テントに戻って貰おうと思ったんだ」


 ようは保護だね。金髪少年は言って、眉間に皺を寄せた。それでいて笑うのだから器用というほかない。私はというとその言葉に納得して、次の質問に切り替える。


「二つ目ね。貴方、どうして私の口に硝子玉なんて突っ込んだのかしら? かなりの悪趣味だったわ」

「あれは、君の魔力子を採取する為だよ。血を抜くよりはましだと思って」

「何に使ったのよ」

「……会場の、固定魔術式のずれる位置に合わせて避雷針代わりに撒きました。デリカシーに欠けるよねこんなの……」


 魔法を放つ時、放つ先に自分と同じ魔力があるとそちらに引き寄せられる――彼は私でも初めて聞く魔法理論を口にして、ばつが悪そうに口を尖らせた。


 成程。そうして私の魔術をあえて暴発したようにみせたかったわけか。まあそんなことせずとも私の魔術は暴発してしまったし、固定魔法式も破壊したのでどうしようもないか。


「実は、新仮説の検証を兼ねてて……」

「本当、貴方は魔導王国でいったい何をしているのよ……ますます分からないわ」

「ははは、役人とでも言っておこうかな」

「只の役人じゃあないでしょう。身のこなしが普通じゃなかったわよ」


 私は人売りを歯牙にもかけず張り倒していく彼を間近で目撃しているのである。言い訳は効かない――しかし、私は尋問がしたいわけじゃないのだ。


「……三つ目よ。どうして私だったの?」

「というと?」


 近いよ。と、前のめりになっていく私から目を背けながら、少年が言葉を返す。


「貴方達は、私と巡り合ったことを奇跡と言って、その奇跡は只の現象だって言ったけれど――それが、どうして私だったのかしらって」


 ハーミット・ヘッジホッグはどうしてあの時、私を協力者にしようとしたのか。


 飛び切り派手で、攪乱ができる魔術を放てるような人間はあの場に沢山居た筈だ。

 例えば、私をわざわざ隔離するなんて真似をせず商品棚に戻して、他の大勢の中から魔力値の高い亜人や魔族を選んでお願いすることもできた筈なのである。


 もっと言えば、魔導王国から派遣した役人たちにも攪乱程度のことはできただろう。


 それが何故、人族の私だったのだろうか。


 今回の一連の出来事に関してこれ以上の疑問はない。私は、どうしても聞きたかった。

 何故なら、私をあの場所に隔離したのは、今目の前にいる金髪少年だから。


「別に、君が特別だったわけじゃないさ。『売り物には魔力封じが施されている』という前提でことを進めていた人売りたちを欺くには、君の立ち位置が利用しやすかったというだけだよ」


 金髪少年はふと笑みを浮かべる。


「ただ、追っ手を振り切って島の端まで逃れ切れるだけの運と度胸を持った人間は君以外に居なかったからね。そこは選ばせて貰った」


 金髪少年は私の額をツンと突いて、迷うことなく答えた。


 それは今までのどの問いに関する回答よりもより明瞭で明確な。

 まるで、最初から答えを用意していたような、言い方だった。


「……そう。分かった」


 それでも。私は満足したので、彼から距離を取る。


 詰め寄る気は微塵もなかったのだが、反応が面白くてついやりすぎてしまった。

 実に八年の間、家族以外の人間とかかわって来なかったので、人恋しくて堪らなかったのである。


 失敗失敗、次からは気を付けなければ。


「はー、すっきりした。これでもう思い残すことはない――ありがとう、助けてくれて」


 珍しく素直にお礼が言えた気がする――さて、私の突然のデレに彼がどんな反応を示すのかと興味本位で視線を戻すと、当の彼は眉間に皺を寄せたまま微笑んで、私を見ていた。


 琥珀は濁っているように見える。私は笑みを納めて、浮かしかけた腰を元の位置に戻した。


 何か、気に障ることでも言ってしまっただろうか。


「……ヘッジホッグさん?」

「どうしては、こっちの台詞だよ?」


 金髪少年は静かに言った。その声は、何故か怒りをはらんでいるように聞こえた。







 空飛ぶ帆船の中にある小さな診療室。


 白衣の白魔術士――本来は白魔導士と名乗るべきなのだが――は、部屋に三つしかない木の椅子の一つに腰を掛けて手元の記録紙に目を通しつつ、彼もまた眉間に深い谷を刻んでいた。


 不機嫌も不機嫌。


 彼のテンションはだだ下がりである。どれぐらい気分が優れないかというと、万能薬では治らないささくれを見つけた時ぐらいに心が晴れない。つまり、自分が今から匙を投げようとする案件を前にして、彼は彼のプライドと現実の自分とで押し合いへし合い戦っているのだった。


 目にしたならば治す。治らないものでも、手に届く限り治療しつくす。

 それが、傲慢たる彼の流儀かつルーティンである。


 がしかし。


「…………はあ」

「どうしました、ドクター。何か問題でも?」

「心がブリザードだ」

「吹雪ですか。第二大陸北部での遭難を思い出しますね」

「黒歴史を掘り返すな」

「でしょうね、まさかあのような軽装備で雪山に突っ込むなんて、薬草を手に入れるためとはいえ無謀でした。栽培方法を発案したハーミットさんに感謝して下さい」

「どうしてそこであいつが出てくる……!」

「彼は僕の、命の恩人ですから。どうしました? それは、さっきの女性の記録紙ですよね」

「……」


 白魔術士の男性は記録紙を四つ折りにすると、黒髪の少年に手渡した。


 少年は畳まれたそれを開いて目を通す。内容を覚えたのか、それとも特に興味を持たなかったのか。彼は紙をぐちゃりと握ると火を点けた。


 薄黄色の紙が、灰すら残らず塵になる。


「宜しかったでしょうか?」

「事後報告だが、上出来だ。専門でもない事に関する主観的なテキストを幹部以下に知らせるのは骨が折れる。私が直接報告する方が早い」

「……感情欠損ハートロス、ですか」

「ああそうだ。欠落、あるいは後天的な欠損」


 白魔術で治せるのは、後天的な外傷と外因性の病だけ。


「感情の治療は、我々の分野ではない」




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