17枚目 「夢想と勇者」
おはよう。私は生きているのかしら?
こうして夢を見ている以上、きっとまだ死んでないと思うけれど。
夢の中だって、感情はあるし、意識もある。
全てが虚構というわけではなくて、記憶からこの夢が成り立っていることを知っている。
そうでなければ。今、砂漠の真ん中に立っている理由が分からない。
一面が砂漠。
真っ白な砂漠。灼熱で極寒の、人が生活するには適さない環境。
前も後ろも分からないその場所に、私は一人で立っている。
そういう、イメージなのだ。
私は、昔から「夢」を「夢だ」と自覚できる人間だった。今だってそうだ。
これは夢。記憶を引き摺り出さなければ深層心理すら反映出来ない、できそこないの夢。
「くだらない」
呟いてみて、声が響かないことに安堵する。どうやら寝言は言っていないようだ。
「母さん、父さん」
何もない、白い砂丘の向こうに、知っている誰かの影が見えた気がした。
手を伸ばせば、届きそう。
「私、正しくできた?」
正しくできたなら褒めて頂戴。
間違っていたなら怒って頂戴。
私の倫理と道徳は、貴方たちでできている。
八年前に国を出たあの日から、私の中のルールは貴方たちが作ったものだ。
私は一人で物事を選択できない。
決められないのだ。一人で決めてはいけないと教えられたから。
「それとも、間違った?」
右腕を伸ばす。指先まで神経を研ぎ澄まし、感覚を集中させる。
風もない。
熱さも寒さもない。
意識をずらせば、今が昼なのか夜なのかも分からない。
「ねえ、どうせ夢なんだから――答えてくれたっていいじゃない」
伸ばした手は、空を切った。
逃げ水と、陽炎を握った。
「おはようございます、ラエル・イゥルポテーさん」
爽やかな耳当たりの良い声が聞こえて薄目を開けた私は、どうやらベッドなるものに寝ていたらしい。
ゆっくりと身体を起こすと、ぼやけた風景に色が付き、徐々に状況を把握する。
木の板で組み上げられた天井や壁、花弁の多い水色の花を刺繍した白基調の羽毛布団。
体重をかけた所から深く沈み込むマットレスに、頭にピッタリ密着していたらしい枕。
少し遅れて、随分と軽くなった腕から板枷が外れたことを悟る。
窓の無い右手の壁とは正反対の位置に、見覚えのない童顔の少年。白衣に映える髪の色は黒。
「……あの、貴方は? まさか、金髪が染まって」
「誰と勘違いしてるんですか、これは地毛ですよ」
丁寧な物腰と共に、目元の丸いレンズが光る。眼の色は赤い。魔族だ。
「ん? あれ、その口調何処かで――もしかして、舞台袖に居た人売りさん?」
「……そうですが。良く覚えていましたね」
魔族の少年は無表情のまま私の左腕を手に取ると手首と手のひらの付け根に指を這わせ、何かを数え始めた。
数刻して指を離すと、胸ポケットに入れていた羽ペンで宙に「七五」と書き残す。『
「正常値ですね。目が覚め次第とのことなので、歩けそうなら一緒に行きましょうか」
「行くって、何処へ?」
「診察室。ドクターの所です」
ドクター。彼はテントの中に閉じ込められたり人を治療したりと忙しいな――私はぼやきながら、八年前の記憶を頼りにベッドを降りようとした。
そこではたと気付く。私が着ているこの服は?
肌触りも生地の硬さも、人売りのテントに居た時とは比べ物にならない状態の良さだ。
「服は、心苦しいですが支給品です。趣向に関しては譲歩して頂きたいです」
……いや。趣向がどうだと嫌味が言える程、この服は悪くない。
私が身につけているのは、襟の付いた簡素な長袖のブラウスに革のズボンだった。
着心地に不満は無い。サバイバル生活で身につけていた服に比べれば十分服である。文句など言うものか。
檻生活中に着ていたボロ服がどうなったのか、そもそも誰が私を着替えさせたのかなど、知りたいようで知りたくないことも多いが……しかし、この胸元の窮屈さは……。
「あの、イゥルポテーさん」
「はい」
「並みにあるご自身の胸元をじっと見つめられて、いかがなされましたか?」
「何でもないわ」
目の前の少年から殺気を感じる。少年……少年、だよね? ぺったんだし。
魔族の少年は私をいぶかしげに流し見ながらも、部屋の外に出るドアを内に引いた。
私は慌てて、七年ぶりぐらいになる革靴を足に嵌め込み、後を追う。
草葉や獣の皮で作られた簡素な靴とは程遠い、とても履き心地の良いパンプスに歓喜しながら木の板で構成された狭い通路でステップを踏んでいると窘められた。
「嬉しいのは分かりますが、廊下ではお静かに」
だそうだ。廊下では静かにするものらしい。
私は自分より頭一つ背の低い彼の後ろについていく。
途中、丸い窓のある部屋が幾つかあるので覗いてみることにした。
一つ目は無人の部屋だった。二つ目も無人。三つ目も無人。四つ目でようやく、人らしい姿が見つけられた。
というのも、私の居た角部屋から四つ隣に行くと、そこは食堂になっていたらしい。人が集まっていることを考えると、ここまでの部屋に人が居なかった理由も頷ける。
進行方向に目をやると、魔族の少年はこちらに目もくれずスタスタと歩き続けている。後ろの私が立ち止まっているなんて考えもしていないのだろう。
ちょっとぐらい、寄り道しても良いよね?
私は、黒髪の少年が私と一定の距離を取った所で扉を引き、中に滑り込んだ。
「あは、探検してるみたい」
少年は私が食堂に逸れたことに気がつかないようで、戻ってくる気配はなかった。そうなればこっちの物なので、すっかり回復した身体を駆使して紛れ込む。
当たり前といえばその通り、食堂は私が寝ていた部屋のように狭くはなかった。部屋の中心には大きな長机が六つ、壁には木の皮を貼った掲示板があった。
掲示物を留めるピンの一つに髪が引っかかったので振り向くと、その内容は私の学力でも理解できた。本を読んできて良かったと思う瞬間である。
掲示板には巷を騒がす事件の記事やその犯人の顔が張り出されていて、似顔絵の下に賞金と依頼主まで記載されている。
これはあれだ、多分賞金首とかいう奴だ。
中には見覚えのある顔もあった。多分彼らも今回の魔導王国の作戦でお縄にかかったことだろう。もっと探せば、あの場にいた人売りの何名かは見つけられるだろうけど。
そう思って右へ右へと眺めていくと、張り紙が一枚重なっている。その下に張られている一枚だけ箔縁の装飾が成された質の違う紙だった。思わず、興味を惹かれて足を止める。
「……?」
上から別の賞金首の広告が張られている為に全貌を把握することはできなかったが、名前と懸賞金額は辛うじて読み取れた。何々?
勇者・懸賞金三五○○万スカーロ
「ゆ、勇者」
なんということだろう。勇者に懸賞金がかかっているではないか。
もしかすると私が知らないだけで、勇者は世界に沢山居るのかもしれない。その内に悪事を働いている奴が居て――って、それならわざわざ「勇者」と張り出す必要は無いか。勇者が何人も居るなら名前や通り名も表記される筈だ。
「歴史から考えてもそうだけれど、つくづく運が無いわねぇ、勇者って……」
但し、今の私には関係のない話である。私たちを人売りの魔の巣から救い出したのは他でもない魔導王国の役人だからだ。今更、生死不明の勇者に興味は無い。
懸賞金に関しては……まあ、人並みに心惹かれるものがあったのは確かだが。
私は食堂をぐるりと見渡す。少々人が多い。
何処か見渡せる場所はないかと探してみると、階段が端の方にあって上にも席があった。私は移動して、人が座っていなかった二階の席の一つに腰を下ろした。
手すり越しに下の様子が良く見える。知っている顔が居ないかと観察していると、見覚えのある人が何人か居た。檻生活していた時に忙しなく外を走り回っていた灰ケープの方々だ。
彼らは泡立つ飲み物を手にして、顔を真っ赤にして笑ったり泣いたりして騒いでいた。楽しそうで何よりである。
しかし、目的の人物は見当たらない。
「ここには居ないのかしら」
「誰が?」
耳元で囁かれるようにされて、ゾワゾワと鳥肌が立つ。咄嗟に左肘を背後に引くと鈍い音がした。
はっと我に返り、のけ反り返る相手の腕を取ると、目の前で赤がばさりと揺れる。
「いってぇー」
「ご、ごめんなさい、反射で」
「いいのいいの、今のは俺が悪かったから」
思いっ切りエルボーを食らった赤髪赤眼の青年は言って、ひらひらと手を振って見せた。
「かわいい女の子が居るなーと思って声かけてみたら君かぁ。全然気づかなかったぞ……そういや、自己紹介もまだだったな。俺はアネモネ、騎士だ」
何で気配を殺したりなんかしてるんだ。と呆れたように言って、アネモネは私の席の正面に腰を下ろした。話し相手が居なかったのか、下の騒ぎから逃げて来たのか。
私は礼を言いながら身体を起こす。
この場では、「ラエル」と名乗っておくことにした。
「ごめんなー、本調子なら惑うこともないんだが。今日は無礼講デーでなぁ。お酒の解禁日なんだ。みんな仕事後で浮かれちまって。俺もちぃと飲んでてなぁ」
「お酒」
「そーそー、お酒。国の法では一日に多くても大碗五杯までって決まってはいるがねぇ」
「お酒って……あの、大昔ランプに入れてたっていう、燃える油?」
「油っつーか、なんつーか。ま、百聞は一見に如かずとも言う――お嬢ちゃんってお幾つ?」
「十六よ」
「はっはっはー、八年後に出直しな!」
「二十四になるまで待てってこと?」
「そういうこった」
赤い髪をガシガシと掻き混ぜながらアネモネはニカリと笑みを浮かべた。
口調が粗雑なので見落としてしまっていたが、荒々しさを残した男らしいイケメンといったところか。あの金髪少年も、成長したならばこうなるのだろうか?
「そういやあ、話を遮っちまったけど。誰を探してたんだ?」
「え、ああ……ここは私が知らない場所だから、とにかく知ってる人を片っ端から、ね」
「あー、ということはハーミットの奴か」
わざと言葉を濁したのにもかかわらず、アネモネは私の意図をズバリ言い当てて、キョロキョロと辺りを見回した。目を細めたりしているが、成果は無かったようだ。
「ここには居ねえみたいだな。つーかあいつ、まだ二十四になってねえから、酒飲み場にはあんまし来ねえんだよ」
「そうなの」
「律儀だよなー、俺だったら構わず飛び込んでるね。無礼講だ―っつってさ」
「因みに、アネモネさんはお幾つ?」
「俺? 俺は四十九」
そういう彼の顔つきは、人族で言う二十代前半のものである。
魔族の寿命は人族に比べると単純に二倍と言われている。これは、血液中の魔力濃度が高いことに比例して、肉体の老化が遅いからだとされるが。
「……その美肌の秘訣、人族相手に商売できると思うんだけど」
「お、良い着眼点。実は最近ハーミットが始めたぜ、美肌効果顔面パックとか言ってな」
「か、彼は魔導王国で一体何をしている人間なの」
女性のお肌のお悩みを解決する一方で、ある時は獣人に化けて潜入任務?
「何をして、って。人助け?」
「ああ、それが中心なのね……」
だから、舞台裏のあの時も、特にそう言った意味合いで私を見る素振りは無かった訳か。納得だ。なんだ、私が女らしくない訳じゃ無かった。
「……何か今、すげー独り言が聞こえた気がしたんだが、俺の聞き違いか?」
「空耳よ。私、独り言なんてしていないもの」
エフンと咳払いをして場を納めると、アネモネはニイと笑って手に持っていた飲み物をグイと飲み干した。頬がほんのりと赤みを増す。
「なあ、お嬢ちゃん」
「何?」
「お嬢ちゃんにとっての、魔導王国ってどんな感じだ?」
「……さあ、昔がどうだったかは覚えていないけれど。今は貴方たちみたいな人がいるんだから、悪くはないんじゃない?」
「そう、か」
「?」
「いいや。まあなんだ、お迎えが来たようだぜ」
「へ」
そう言われて振り返ると、冷たーい目をした魔族の少年が仁王立ちスタイルで階段の入り口に立っていた。
丸いレンズがガッタガタ揺れている。
「イゥルポテーさん」
「う」
「ドクターが待っています、手間をかけさせないで下さい」
「あ、あはは」
「あと、ミスターアネモネ。未成年に手は出さないように」
「わーってるって、カルツェちゃん」
「……冗談でもからかわないでくれませんか……」
カルツェと呼ばれた魔族の少年は溜め息を付くと、笑顔を引き攣らせた私を今度は逃がさないよう誘導していく。
食堂の利用者達は私に視線を投げたが、それも一瞬のことで、すぐに騒ぐのを再開してしまった。
アネモネは相変わらず、二階の席から手を振っている。
手を振り返すと、魔族の少年がまた死んだ目をし始めたので、慌てて後を追う。
どうやら今度こそ、診察室とやらに行かねばならないらしい。
うーん、お医者さんは苦手なんだよなあ。
私は前を行く少年の
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