3枚目 「シャイターン」


 水の音がする。塩の匂いがする。

 白い砂の道がある。


「……?」


 しかし、それは途中で千切れている。宙に向かって千切れている。


 そして、向こう側は漆黒の闇に塗りつぶされている。

目線の半分から上を星が埋め尽くしているが、一方で足元から飛沫の上がる音がする。


 何だ――これは。


 想像していた風景とは程遠い、そんな場所に私は辿り着いていた。


 風の流れを鑑みるに、ここは断崖絶壁の崖の上だ。崖のふちだ。

 カンテラをかざしてみても、ある一定から先に道がない。そして、眼前には一面の海。


「……」


 ちょっと待ってくれ。一度頭を整理しようではないか。


 私は馬車の荷台に乗せられて、この町に来た。うん。


 そして、人売り業界の悪趣味なテント――シャイターンの即売会? だっけ――に商品として運び込まれた。うんうん。


 で、隙を見て脱走した私は道中出会った金髪少年の手を借りて、町からの脱出を試みた。町外れまで来て、私はちょっとした森を抜けて……でも、外に繋がる道はない。


 うん。


 ……考えられる可能性は幾つかある。


 一つ目は、町の端は町の端でも全くの反対側に案内された場合。その場合、私はあの金髪少年を許さない。旅人だろうが関係ない。もう一度会ったらどうしてやろうか。


 二つ目は、そもそも彼が私の意図を完全に理解できていなかった場合。つまり意思疎通がうまくいっていなかった場合である。ただ、彼の言葉を聞いた限りこの可能性は薄いかもしれない。


 三つ目は、私が彼に嫌がらせを受けていた場合。でも、それならどうしてこんなにまどろっこしい手順を踏むのだろうか? 体裁的にも人売りへ突き出せばいいだけなのに。


 そして四つ目。それは、金髪少年が道を間違えた訳でもなく、私の意図を汲みぞびれた訳でもなく、単にこの町の周辺が海であった場合だ。


 「町の端へ連れて行く」という言葉に間違いはなく、彼が言葉のままに私を誘導した場合。

 私が、作為的にここまで案内されていた場合だった。


「――潮の満ち引きっていうのはね、月の引力がかかわっているらしいんだ」


 背後から、森の道草を踏む音すら聞かせずに声がした。


「月に二回。月が最も丸い時、あるいは身を隠す時、この島は第三大陸と白砂の道で結ばれる。青の月にしても灰の月にしても引力があるのは変わらないけれど、この島の周りは特別でね。二つの月が満月あるいは新月にならないと、人が渡れるぐらいに潮が引いてくれないんだよ」


 海を船で渡ろうにも、牙つきの魚類がうようよしてるからおっかないしねぇ。と、緊張感の感じられない声が、私の背中と一定の距離を保って発される。


 振り向きたくない。と思った。


 子どもが夢を壊された時の感覚と、希望と名の付いた大切な物を目の前でかち割られるのと、多分似たような感覚だろう。


「まあ、本当はすぐに引き渡しても良かったんだけど。それじゃあの心を折ることはできない。それなら、逃げられないと理解してもらうのが一番だと思ったんだ」


 頭の天辺から踵の裏までを、溶解した鉄に侵されたような熱とが駆け巡り、血が凍るように冷静を保つ脳と冷えた指先の感覚。


 相反する二つの感覚が冷静な認識を鈍らせる。


 しかし、どうにか理性を捨てずに踏みとどまらなければ、生き残ることも難しいだろう。

 黒幕を知らないまま突き落とされては祟れないという話だ。


 私はゆっくりと崖を背に回し、声の主と相対する。


 手に持っていたカンテラを最大光力にして差し向けると、それは周囲を真昼間のように照らし出した。


「……俺が手ずから商品を捕まえたとなると、雇ってる奴等の面子が潰れてしまうからね」


 声の主である金髪少年は。黒と赤のインナーに灰色のケープを身に纏った彼は、目を細める様子も無くこちらを見つめている。


「だから仲間を誘導する間、遠回りして時間を稼がせてもらったよ。ごめんね?」


 口元には子供らしくない笑みが浮かべられていた。

 私は顔を引きつらせるしかなかった。少年は琥珀を歪め、笑う。


「怖い顔をしないでくれよ。俺は一度たりとも、『君を助ける』なんて言ってないんだから」


 少年の言葉に「確かにそうは言われなかった」と思い返す努力をしてしまうあたり、私は騙されやすい人間なのだろう。


 『沈黙サイレンス』のせいで声は出ないので、身振り手振りで抵抗の意思を表そうとしたが、少年は私と一定の距離を置いたまま、自ら捕まえる気はなさそうだった。


 それは私を連れ戻そうとする意志と反している行動に思えたが、目を凝らしていると町の方からぽつぽつと橙の灯りが近付いて来ることに気が付く。聞き覚えのある声がするので、人売り達に違いない。


 つまり、私は人売りの関係者にホイホイ騙されていたということになる。

 ああ、ここまで頑張った足の裏が報われない。


 金髪少年は、風に攫われる髪を手袋を嵌めた指で遊ぶ。


「ねえ。おねーさんは、どうして逃げ出そうって思ったのかな」

「……」


 口が裂けても声が出ないので、自分の身に起こったあれこれを表現するのがとても難しい。「貞操」を表現する難しさを崖の上で体験することになろうとは。


「連れ戻されたらもっと酷い思いするかもしれないのにさ」


 酷い思いをしそうになったから、こうして逃げ出して来ているんでしょうが。


 少年の問いに更なる表情筋の引き攣りをもって答えると、少年は「……成程、そういうことか」と一人で勝手に納得して話を完結させた。


 ちょっと、話についていけないのだが。


 余程不満げな顔でもしていたのか、私に視線を戻した金髪少年は苦笑した。


「じゃあ選ばせてあげるよ、黒髪のおねーさん。そこから飛び降りて岩礁に全身を砕かれて死ぬか。ここで俺達に抵抗して痛い目を見るか。それとも、俺達の手元に商品として戻って来るか――三択だ。今、ここで選んでくれ」


 琥珀の瞳が、青く濁る。


 ブワ、と、背筋に鳥肌が立った。


 目の前の少年は口調と真逆にニコニコとして手をこちらに差し向けているが、視線は冷たい。


 ここで手を取らなければ見捨てる。そう言われているような気すらしてくる。


 私は背後を盗み見る。


 崖の下は漆黒の闇で、底からは打ちつける波の音しか聞こえて来ない。それはつまり、どの辺りまでが岩なのか判別が付けられないという意味である。


 飛び込んで全身を強く打って死ぬか――泥臭く生き残る道を行くか。


 それとも、大した威力もない魔法を使用して、最後まで意地汚く足掻くか。

 ……足掻いたところで、魔術詠唱を行えない私は羽をもがれた鳥なのだが。


 森の方からはザクザクと草を掻き分ける音が大きくなって来た。


 足音の数を読む訓練をした経験はないが、カンテラの数だけでも十人弱はいるように感じられる。人数が人数なだけに追って来たのが目の前の金髪少年だけだったなら勝機があったかも知れない、と浅はかな思考がよぎった。


 こんなんだから騙されるのである。


 短時間とはいえ私と行動を共にした金髪少年が、人族にしては魔力値の高い私の存在を危惧していない筈がないのだ。現に彼は増援を連れて来ているし、私は逃げ場のない場所に追い詰められている。


 そして私は、頭の回る人間を出し抜く方法を見いだせる程、能力のある人間ではない。


 残された選択肢は一つだった。


「ん、俺たちと来るか」

「……」

「懸命な判断だよ。……生きていればどうにかなる」


 少年は言って、唇を噛んだ私の、板枷が嵌った腕を取った。

 向けられたのは数刻前に見たものと全く同じ、人の良い笑顔だった。


 その後、金髪少年に聞かれるままにうろ覚えの逃走ルートを吐いた私は、後から来た他の人売りの魔術によって眠りに落ちた。


 やはり、弱者にとって魔術はろくなものではない。







 朝というには早く、夜というには遅い時間。


 赤と黒のストライプで彩られたテントの一角に、暗幕が張られた小部屋。

 その中で一人黙々と、赤い果物の皮を剥いていた白衣の男性は、黒布が揺らいだのを目の端に捉え片眉を上げる。


「誰だこんな夜中に。急患か?」

「急患も急患だ、さあ仕事をしてくれドクター」

「……人使いが荒いな」


 悪態を吐きながらも席を立つ男性。駆け込んできた相手はどういう訳か、その背に見知らぬ人を背負っている。脱力しているところを見ると、意識は無いのだろう。


「全身の至る所に擦り傷あり、特に足の裏が重症。明後日の夜の一番目だから、できるだけ綺麗に治してやってくれ」


 それだけ言うと、金髪少年は背にしていた一人の少女を床に降ろした。


 ――その両腕には今しがたついたような、生々しい打撲痕がある。


「随分と派手にやったようだな」

「何のことだか」

「傷だらけじゃないか」

「相手が中々気を失ってくれなかったんだよ」

「お前も大概物好きだな」

「ドクターには言われたくない」


 少年は身を翻して、灰色のケープを羽織り直す。


 その様子を見て、男性は眉間にしわを寄せた。モスグリーンの眼が琥珀を射抜く。

 

 金髪少年は投げかけられた視線に気づいたのか、くるりと振り返ると腕を組んだ。男性は白衣のえりを直しながら、少女と少年とを交互に見て口を開く。


「……大丈夫か?」

「俺は大丈夫だ」

「そうか。なら、私は私の仕事をするだけだな。シャイターン・・・・・・

「おう――頼むよ、ドクター」


 暗幕が閉じられ、灰色の背が見えなくなる。


 ドクターと呼ばれた白衣の男性は胸元に眼鏡を提げていた。両手の白く細い薬指には、魔力の濃度を調節する為の魔法具が嵌められている。男性は静かに腕を捲し上げた。


 眼鏡を掛けて、床に転がっている患者に目を落とす。

 緩く波打つ黒羽のような髪。健康的に焼けた肌。長い睫毛に細い肢体。

 残念なのは、その全身が傷だらけで、胸のサイズが平均的であることぐらいだろうか。


「さて、治すとするか」


 ぶつくさ呟きながら、男性は両腕に白く輝く霧――白魔術の一種を発動させる。霧は意思でも持つように、ねっとりとした動きで傷だらけの少女の身体を覆った。







「…………」


 目が覚めると、檻の中。趣味の悪いストライプの天井が目に痛い。


 ……散々である。


 この町で他人を信用しようという自分の甘さが招いた結果なので、何処をどう切り取っても自業自得としか言えないのだが。


「……」


 自分の喉元をさすり、声を出そうとするもやはり無理だった。


 頭上が明るい。あれから半日以上は経っているんじゃないだろうか。

 

 思考する間も、依然目の前にあるのは重厚な檻の柵である。触れると雷魔法がビリビリ……は、しないようだが、人族を閉じ込めるにしては太い。私の手首周りくらいはある太い鉄柱が四方を囲っていた。

 

 外には、何やら作業をしながら行ったり来たりしている灰ケープの男達。最初放り込まれた檻より一回り広い気がするが頑丈さを考えれば比較にもならないだろう。一度逃げ出したことによって警戒度が引き上げられてしまったようだ。


「……」


 しかし、早急に解決すべき問題はそこではない。


 私は今、あごが外れそうな程痛い――舌が噛み切れないぐらいに大きい固い球が口の中に入っているのだ。しかも吐き出せないように布を一緒に噛まされている。


 『沈黙サイレンス』以前の問題である。これではつばを飲み込むにも一苦労だ。表情筋が左右に引っ張られてしまって少女にあるまじき変顔だろう。読者に顔見せも出来やしない。


 脳裏に浮かぶ心当たりと言えば、私をここに連れ戻す切っ掛けを作ったあの某金髪少年ぐらいのものだ。沸々と湧き上がる感情と共に、こめかみでプチプチと何かが切れる。


 覚えてなさい悪ガキ、いずれぎったんぎったんにしてやるんだから……!


 怒りの矛先が当初の予定よりややずれている気がしたが、この場合モチベーションを上げることが重要なのである。


 塞ぎ込んで事態が好転するわけじゃないのだ。


 故に無言の決意表明、但し無言でガッツポーズをする私に反応を示す人は見当たらない。

 商品として檻に入れられた私を哀れむ、あざけるといった種類の視線は向けられているが、ほぼ無関心に近いだろう。


 私は檻の天井に向かって突き上げた両拳りょうこぶしを重力に従って下ろし、太い鉄の柵でひたいを抑えた。


 私がモノローグしている間にも、目の前を四、五人の人間が横切っている――目の前で動き回っているのは赤と黒のどぎついストライプを身に付けた人売り達だ。


 売られるために集められた人々も様々な人種が居たが、この胸糞悪い会場を運営する裏方もそうらしい。

 他国とのいざこざが絶えない人族と、他の三種族が揃って同じ仕事をこなしているというのは、何だか感慨深いものがあるけれど――いや、人売りの裏方作業を見て、感慨も何も無いのだが……。


 しかし、それにしては私以外の商品が周囲に見当たらない。私は今居る場所が即売会の会場の真裏ではなかろうかと推理する。つまり、一番見張られやすい場所ということだ。


「……」


分析を続ける程に脱走へのモチベーションが低下していくが、そんな些細な悩みはすぐにどうでもよくなった――人売り達を観察していると、見覚えのある顔を見つけてしまったのである。


「あ! 目が覚めたんだね、良かった!」


 そいつは私と目が合ったと分かるなり、笑いながらこちらに手を振って見せやがった。


 全然良くない! あんたのせいでぜんっぜぇん良くない!


「わー、見事に嫌われたもんだなぁ……」


 背中を丸めてそっぽを向いた私をなだめるように話しかけてきたのはあの金髪少年、もとい金髪小僧だった。


「……!」

「んーなあに? 聞こえないなー」


 そんなこと言ってないで口のこれ、外してよ! 息が詰まりそうなんだって!


「ああ、それを外せって? 無理。ごめん、君の扱いを任されているのが俺ならともかく、脱走した商品に慈悲じひがないのが人売りだからねぇ。まあ、自殺する気を見せなければ今日の夜には外してもらえると思うよ」


 か弱い少女の顎が夜まで持つとでも!?


「あっはは、大丈夫大丈夫、人間そんな簡単に死なないから! 仮に君の骨が外れたとしてもここには超絶優秀な雇われ医者が居るから安心してくれ!」


 安心できるかあああっ!


 ……まるで洗練された芸である。


 自分を捕まえた人売りに対してこれだけスムーズな受け答え (片方はジェスチャーにより意思疎通を図っている)を行える商品というのも珍しいだろう。


 事実、このやり取りをしている間は周囲の人売りがこちらを気にしているようだった。


 島外に脱走しようとした売り物と、それを商品として扱う者。立場が正反対と言っていい二人の人間が、難なくコミュニケーションを成立させているのだからそれは異様だ。


 実際に声を発しているのは金髪小僧だけなので、聞くだけ只の独り言なのだけど。

 それはそれで、客観的に想像すると笑えてくる光景である。ざまあみろ。


「ん、でも予想以上に元気で良かった」

「?」

「ほら、商品の活きが良くないとりの値段に支障が出るからね!」


 こんの外道がっ!


「ははは! それじゃあ明日の夜、即売会の授与式で会おう。黒髪のおねーさんっ」

「……」


 手を振って遠ざかっていく金髪小僧はあの小屋で会った時よりも生き生きしているようだった――まるで水を得た魚だ。人の隙間をうように、矢のような速さで遠ざかる。


 見た目道理に子供らしいその様子に惑わされそうになりながら、私は冷静な頭脳で先程の彼が発した言葉を解釈していく――彼は「明日の夜」と言った。


 即売会とやらが明日の夜ということが分かっただけでも収穫だ。一体何を授与するつもりだろうか。きっと良いものではない。


 ああそういえば、昨日走り回ったのに何処も痛くないなぁと足元に目を向けてみると、そこには傷一つ無い、しかもご丁寧に角質除去されたであろうむくみの無い生足があった。


 足の裏だけでなく、掌にあった細かな傷、頬と二の腕のでき物と、指先のささくれが跡形もなく消えている。

 私が寝ている間に何があったのだろうか……というか、誰に何をされたらこんなにベストコンディションになるのだろうか。


 彼が言っていた医者とやらが治療したのだろうか。


 足のむくみまで取れているあたり、とても健康体にされている気がするのがむしろ不安だ。身体の中に自爆魔術とか仕掛けられてたりはしていないだろうか。大丈夫だよね?


 ……それと、今気付いたのだけど。

 ここには水がない! 私に水をくれ!


 即売会まで、あと、一日と少し。





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