4枚目 「とある少女のはなし」


 日頃からど根性精神で生きて来た私でも、水の枯渇こかつで死の危機を覚えるのは久しぶりだった。声が出せず、柵を隔てた向こう側でせっせと作業する人売り達に水の有無を伝えるのはかなりの難題である。


 両手が一つの枷で封じられているので、意思を示すことがまず難しい。加えて商品の私とそれを取引する人売りとの立場差で無意識の壁が生まれ、接触を図ることがまた困難。


 それでもひたすら人差し指で空中に「水水水水……」と無心になって書き続けていると奇跡が起こるもので、その様子に気付いた一人が水を持ってきてくれた。


 赤い髪の男性が、掌サイズのうつわいっぱいに水を汲んで。


 柵の外に恵まれた水を手に取り、やっとのことで水を――と、ここまで来て。私は自分の口の中にある謎の球体とそれを抑える布っ切れのせいで水が飲み込めないことを、今更になって思い出した――。


「……」


 私の目の前には、水の入ったうつわがある。


 水の枯渇という危機は去ったものの、目の前に水があるというのに口にできないこの状況。一体何処の誰が作ったのだろうか。


 考える間もなく金髪小僧の顔が浮かんだ為、脳内でぼっこぼこにしてみる。


「……」


 自分が滑稽こっけいすぎて泣きそうだ。


 水を手に入れるという当初の目標を達成したものの、結果として暇になってしまったので、水とにらめっこする間に私の話をしようと思う。


 多分夜まで掛かるだろうけど、大丈夫。私の口の球が外れるのも夜になってからだ。無問題である。


 それでは、どうして人族でたいした出自でもない私が人売りの市場に乗せられそうになっているのか。まな板の上の魚になりかけているのかをご説明しよう。







 私の故郷は白い砂漠の中にある、小さな一軒の掘っ立て小屋だ。


 というのも、私の生まれ故郷、第三大陸の北の砂漠にあった「パリーゼデルヴィンド」という国は現在滅びてしまっている。


 原因は今から十年ほど前に勃発ぼっぱつした魔導戦争。魔王率いる魔王軍が侵攻した際に色々な天災が重なったせいで滅びてしまった不憫ふびんな国――私はその国から奇跡的に生還した住民の一人というわけだ。


 滅びた国の人間であるのなら、私の出自が特別なのかと聞かれると別にそういうわけでもない。階級制の中では中の中に位置する家系である。


 国の人口の七割を占める一般民の一人。


 貴族になりたいというような野心も、王子様にめとられたいというような野望も無く、友達と一緒に市場へ行き、幼馴染みと遊び、人並みに恋をした。


 不思議な話、私にも純粋な時期はあったのだ。それがこのようなひねくれ者に育ってしまったことに関しては、もしかすると、記憶にはおぼろげな戦争時に何かあったのだと思うのだけど、はっきりと覚えてはいない。


 あの時は確かに人死にがあったから、子どもなりに衝撃を受けて思い出せなくなっているんだろう。だから、魔導戦争の実体験に関しては詳しい話ができないのだけど、さわりぐらいは解説が必要だと思われるので、この場で説明を済ませておこう。


 十年前に起きた魔導戦争とは、魔族と獣人の連合軍に「人族が」喧嘩を売った戦争である。


 重要なのは、その喧嘩を売ったのが「一人の王様」だった、という点だ。


 ざっくりいうと、人族のある国の某国王が『私が世界の王に相応しいから? 赤い眼の魔族とか、毛むくじゃらの獣人とか、耳の長い亜人とかは人間として認めないし? てゆーかー、人間は人族だけで十分じゃね』的なことをほざいたので、人族は四種族中三種族を一気に敵に回したのである。


 案の定、長命で体が丈夫な魔族や獣人 (亜人はこの挑発に対して不干渉を貫いた)の連合軍が相手では、人族にあるアドバンテージはそれこそ手先がちょっと器用で、悪知恵が働く所くらいのもので、あっという間に形勢は不利になった。


 そこですんなり負けておけばよかったのだが、戦争に思わぬ乱入者が現れたことによって事態はさらに悪化する。


 勇者の出現である。


 籠城した人族の国は、しばらくして開城――周囲を包囲していた魔族と獣人は、現れた勇者一行に一掃されたという。


 その後、彼らは空に浮かぶ魔王城を目指し、旅をした。


 第一大陸から第二大陸へ、第二大陸から第三大陸へ。そして遂には、第三大陸と第五大陸の間に浮かぶ魔王城に、結晶回廊を突破して乗り込んだ。


 白木聖樹信仰の教えによれば、その後勇者は魔王を討ち果たし国へと凱旋するはずだったのだが――騎士と白魔導士を引き連れて魔王城に乗り込んだ勇者は、そのまま消息を絶ったという。


 負けたのだろう。勇者と言えども人族の少年。単純に勝てるわけがないのだった。


 かくして四年続いた魔導戦争は鎮静化、四種族は平等に扱われるようになったのである。


 平等と言っても、元々あった根強い差別や偏見が完全になくなったわけではない。けれど、まあまあの平和に、誰しもが妥協した。


 そう。妥協・・したのだ。

 戦争が終わったからと言って、全てが平和になるわけがない。


 一例として、すっかり焼野原になった私の故郷などは目が当てられない状態で、とても人が住める環境ではなかった。


 私達一家はパーソナルサンドクラフト (砂上さじょうバイクとも言う)に乗って国を出た。一面真っ白の目が潰れそうな光を全身に浴びながら、オアシス目指して旅をした。


 国に住んでいた頃から砂魚すなうおを獲るのが得意だったのが功を奏した。冷え込む夜に地中から現れる氷柱を、母がおこした炎で溶かして水を調達した。


 幸運なことに、パーソナルサンドクラフトは魔力駆動だった為、メンテナンスを欠かさなければしっかり走った――放浪の挙句、辿り着いたオアシスは人里を離れきった秘境だった。


 水にも食料にも困らなかったものの、長きに渡るパーソナルサンドクラフト上の生活で背中や腰はバッキバキだったし、だからこそ時間が掛かるのを承知で、魔力を栄養に木を育てては伐採し、製材し小屋を建てた。小屋といっても、つっかえ棒につっかえ棒をした天幕のようなものだったが。


 そこから先は、サバイバルな生活である。


 あまり想像してもらいたくはないが、人の世と隔離された生活を、私たちは七年あまりも過ごした――故に半月前。砂丘の外から若い大人達がやって来て、「言う通りにするならば、いずれ砂漠の外に逃がしてやる」と約束してくれたとき。私達は疑おうとしなかったのだ――今から考えると、とても分かりやすい詐欺の手口である。


 結果、私達家族がのめり込んだのは、蜘蛛くもを祀りあげる悪徳宗教だった。


 不自由なりにそこそこ楽しい生活から一変。私は馬車の乗り継ぎをしつつ、ガタゴトと揺られながら、この島に連れて来られてしまった、という訳である。


 いやはや、人生はどう転がったものか分からない。







 さて、私の話をしている間に夜になった。しかし。依然として私の口の中には球がねじ込まれたままである。これだけ語らせておいて進展がないという現実が辛い。


 柵の向こう側、テントの膜を見ていると、町で目にした橙のカンテラと似た照明が点々としている。先程からやけに明るかったのはこの発光物のせいだろう。


 昼間とは違い、働く人売りの数はまちまちと言ったところだが、完全に人の目が無い訳でもない。つまり、私が水を欲していることは分かって貰えていると思うのだが、私に話かけようという猛者が居ないのである。


 私は重い板枷ごと腕を上げ、口元にあてがわれた布に触れる。後頭部でしっかり結ばれているようで、引っ張っても容易には外れない。それなのに肌触りは奇妙なほど良くて、多分それなりに良い生地を使っているのだろうと思った。


 舌を噛んでしまわない為……か。元々、何がどう転がろうと死ぬ気など微塵みじんも無かったけれど。それにしたって目の前に水があるのに飲めないって言うのは何とも。


 ごつん、と、太い柵に身体を預けるようにして俯く。


 金属製の柵はじんわりと冷たくて触れている部分が心地いい。同じ材質であろう冷たく硬い床にも素足すあしが触れていたが、灼熱と極寒を繰り返すあの砂漠よりは快適かもしれない……って、檻の中の方が快適ってなんだそれは。洒落にならないじゃないか。


「……」


 ぼんやりと、冷たい頭で考える。


 私は別に、国を救う使命を負った勇者ではない。


 かつて戦争をした彼らのように、誰かの味方をしたいわけでもない。


 世界の主導権が魔族になったって、自分が平和に不自由なく生きられればそれでいい。最前線で身体を張るわけでもないのにそれ以上を望むのは、もはや強欲だとすら思う。


 自由になることを諦めた訳では無い。無いが、ここを出た所で行く当てもない。


 海に囲まれたこの島を出ることができないし、仮に外に出られたとしても、砂漠暮らしの時のように、砂魚を獲り放題できる場所はないだろう。


 それに、無詠唱魔術を習得していない私は自分で『沈黙サイレンス』を解くこともできない。何処かの物語のように、颯爽と勇者が現れて助けてくれるような奇跡を願う程、無知でもない。


 人は命の危機が迫った時、真っ先に自分以外の他人を見捨てるのだ。

 戦火とサバイバル生活の経験から、そのことを嫌というほど学んでいる。


 だとするなら。


 いっそのこと誰かに買われてしまって、媚びて、付き従って、生きていくだけを目標にした方が良いのかもしれない。


 ……けれど。それにしたって他人の物に成り下がるというのは――嫌だ。

 他人の意図で、人生を決められるのは、もう嫌だ。


 両親を懐柔したあの蜘蛛の信者然り、人間を売買しようなどとほざく人売り然り。

 生き方を誰かに左右されるのはもう御免である。


 それに、私の心臓は氷ではないのだ。


 ここに来る道中、同じ馬車に乗り合わせた七人。

 このテントの中に居るであろう、商品扱いされている私と似たような立場に居る人たち。彼らまで見捨てて良いという理由はないのだ。


「……」


 ただ、私にはのうが無いので、現状を打破する手掛かりが掴めない。


 こうなると知っていたなら、魔術だけじゃなく、戦略法についての書物も読み漁っておくんだった。と、八年越しの後悔をした所で状況は変わらないのだ。


 興味の無い戦略法の本を理解するにしては、昔の私は幼過ぎた。

 それだけの話。


「……」


 ふと、下を向いていた顔を上げると、行き交っていた人売りの姿が消えていた。


 何時の間にか口の中の球体も気にならない程思考にふけっていたらしい。テントの天井に取り付けられたカンテラの三分の二が消え、周囲は更に闇に溶ける。


 赤と黒のコントラストの激しい天井に施された固定魔術式の解読でもしてやろうかと宙を仰いでいると、何処か違和感があることに気付く。


 いや、今の私には遠く及ばないレベルの、とても高度な術式なのだけれど、一瞬、術式にほつれがあるように見えたのだ。こちらから視認できるだけで三箇所。ぱっと見ただけでは気付かないだろう術式のずれが。あれでは穴だらけになってしまう気がするのだけど……。



 悪徳宗教に嵌って騙されて、その上人売りに売られそうになって。

 そんな突飛なイベントばかりで疲れていたのかもしれない。


 天井を見上げて術式の解読に精を出す私は、彼が近づいてきたことに気づかなかった。


 気づけなかった。





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