第6話

「お疲れさんどす、魁斗!今日と明日は午前授業やさかい、久しぶりに一緒に帰らへん?」

「そうしよっか。そうだ、最近出来たカフェに期間限定でガトーショコラが出るんだって。明日行かない?」

「行く!」



 放課後のカフェテリアの片隅に咲いた、徒桜のように静かな微笑と向日葵のように輝いた笑顔。

 その対照的な季節の花をテラスから見下ろして、私は小さく息を零した。



『…いくら家を飛び出した言うても、うちかて京都の女やさかい、大口開けて笑うような真似は出来ひん。せやけど…いつか、大切な人が出来たら…』

 私達が一年の頃、まだ慎ましかった雅音が口を噤んだ言葉が脳裏に蘇る。…あの時雅音は曖昧に笑っていたけど、きっとその後に続いていた言葉は…。



「魅音」

 …なんて回想を馳せていれば、背後から掛かる聞き慣れた声。…こんな所にいるはず無いのにな。今日は部活で遅くなるってお母さんに言ってたの、家を出る前に聞いたんだけど。

「…架音、部活は?あと二週間で地区総体でしょ」

「お前もだろ、同じ学年なんだから。…そういやこの間、茜音が弓道場に来たんだけど…久しぶりに出て来たぞ、魁斗の別人格」

「…そ、っか。魁斗君、茜音には見せたんだね」

 私はまだ見た事無いのに。なんて言葉を零しかけて、慌ててヒュッと息を吸い直す。

 …何で。何で雅音だけじゃなくて、茜音にまで嫉妬しているんだろう。私は魁斗君の何でもないのに。私には…他の子を妬む資格なんて無いのに。

「…良いのかよ、これで。先に魁斗を好きになったのはお前だろ」

「…架音、知らないの?雅音と付き合う前から…ううん、寧ろ付き合うようになってから、魁斗君は凄い人気なんだよ。…彼の事が推しだったり、私みたいに異性として好きだったり…捉え方は人それぞれでも、」

 魁斗君を好きなのは、私だけじゃない。

 …もちろん雅音だってその一人だし、魁斗君だって…。

「…もう、良いの。魁斗君は雅音と付き合って、大人しかったあの子を変えてみせた。…これが正解なんだよ。外野の出る幕なんて無い、から…だから…」

 …あれ、私…何で泣いてるんだろう。急速に滲み出す視界の最中で、双子の弟は「…そうかよ」と口を開いた。

「…なあ魅音、お前は強いよ。俺は勿論だけど、茜音も魁斗もべにも、お前に助けられて来た」

「…そんな事…」

「あるんだよ。でも…俺たちが世話になってる分、お前は自分の事を抱え込むだろ。三年前、部活中に貧血で倒れた時みたいに」

「…」

「なあ、何でそんなに虚勢張んだよ。茜音達はまだしも俺は…生まれる前から、お前と一緒にいるだろ。…確かに、生まれたのはお前の方が先だけど、それでも俺達…」

双子きょうだいだろ」


「…架音……私、私……」

生まれる前から、生まれてからもずっと一緒。分かっていたはずのその事実を改めて自覚した時…心の奥深くに閉じ籠った殻がピシ、と音を立てる。

 …ねえ、何でそんなに優しいの?心なんてとっくに枯れ果てていたのに、慈しむような水なんて与えられたら、私は…。

 綯い交ぜになった感情は涙と共に止めどなく流れて、精一杯背伸びをした幼い強がりを激しく揺さぶる。

 本当は愛されたかった。雅音じゃなくて私を選んで欲しかった。ずっと見て見ぬフリをして来た本心が、気付いてもらえなくて痛かった、寂しかったと切に訴える。

「…ん?」

「…十分、だったの。厳格な過程で育った雅音が、初めて…自分の意志で愛した人だから。…でも、都合の良いように自分に言い聞かせてるだけだった。本当は…」



「私だって…魁斗君と一緒にいたかった!」



「…やっと言えたじゃねーか」


 気が付けば、抱き寄せられていた。頬に感じる懐かしい温もりと、記憶を呼び起こす優しい匂い。

『今は守られてばっかりだけど…いつか絶対に俺が魅音を守るから!』

 幼いながらに宣言した弟の姿が脳裏に蘇って、私は静かに目を閉じた。

 昔はあんなに小さかった背丈も、今では私を軽々と追い越して。日暮れまで一緒にバスケに明け暮れて、親に怒られると泣きじゃくっていた小さな手も、いつの間にか私の導きなんて要らないくらい逞しくなっていて。



「か、いん…」

「…お前さ、もっと自分を大切にしろっての。他人他人って気を遣い続けてると…いつか、お前が壊れるぞ」

「…大丈夫、だよ。その時は…架音にも半分、背負ってもらうから」

「…まあ、断りはしねえよ。その代わり…茜音に俺の連絡先やったの、それでチャラな」

「…根に持ってたの?」

「な訳無ぇだろ。冗談だよ」

 なんてくしゃりと笑った架音は、昔…『俺が一緒だから怖くない』と手を握ってくれたあの時と、同じ目をしていて。…強くなった、んだね。架音も雅音もみんな、大人になって前に進んで行って。立ち止まって何も変わらないで、幼いまま取り残されていたのは…無理して姉ぶっていた私の方だったんだ。



 瞼の裏に蘇る泡沫の日々に淡く微笑むと、額を預けた弟の胸にそっと涙を隠した。

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