10迷 これ は なんだ




 顔に吹き付ける風は柔らかく、緑色の香りを鼻腔へと運んでくる。目をうっすらと開ければ、風と同じ柔らかさの日差しが優しく体へと射し込む。

「ふあぁ。いい朝すぎる。」

 ハクはキリッとした表情で上体を起こすと、シーシーはフフッと鼻で笑いながら手を洗っていた。

「おはよう。いい目覚めなようで。」

「ええ。素晴らしい朝を迎えられる度にこの世界に執着がわきますね。」

「ふふ、いいからはよ帰れ。」

 この頃、朝が来るとこの問答をするようになった。



 是があれば非がある。その中間に漂う俺には帰る場所なんてもうないのかもしれない。そんな風に思い始めても、シーシーは優しく元の世界に帰ることを願っている。

 優しくて酷たらしい現実だ。



 シーシーの微笑みを横目に見ながら、ハクは鏡を見ながらポツリと呟いた。

「異世界転生っていうなら、俺の姿は変わっててもおかしくなかったのに、なんで俺は俺のままなんだ?デリーだって国王様だって元は人間なんだろ。」

「さぁ?"いけめん"のままならそれでいいんじゃないの?」

 私にはなんだかサッパリわからないけどね。シーシーはペロリ、と舌を出してとぼけてみせる。

 この世界で俺の顔を知っているのはまだシーシーだけだ。だけど、シーシーは人間の世界に行ったことがないので所謂「イケメン」の基準すら知らない(らしい)。


「なんか単純に、俺という個体が違う次元からこの次元に飛ばされただけじゃん。」

「そもそも、あのモヤは何だったんだ?俺は…吸い込まれて…」

「というか、みんな転生できて俺だけし損なったのか?俺ってただの半端者?」


「さーーぁ、私は神様じゃないのでわからないですねえ。」


 シーシーはいつも以上に間の抜けた声でハクの談義をシャットアウトする。呆気にとられるハクの目の前にどん、と置かれたプレートにハクは嫌でも注目してしまう。


 ミンチ肉を形成したハンバーグと思しきものの上には、鶏卵に似た少し小さめの目玉焼きが半熟状態で乗っている。そしてその隣には爽やかな香りのオイルとハーブが絡まったパスタが多すぎず少なすぎない量で鎮座しており、採れたての野菜は彩りよくサラダへと変身した完璧なプレートを見たハクは…思わずゴクリ、とのどを鳴らした。


 大きくため息をつきながらハクはピッチャーからグラスへとオレンジジュースを注ぐ。

「俺ダメだぁ。どんだけ真剣に考え事しててもシーシーの料理を前にすると馬鹿になる気がする。」

 シーシーはフォークをプレートの隣に置き、不適に笑いながらハクの向かいの椅子に座る。

「いいことだ。ご飯食べりゃあ賢くなるかもよ?いただきまーす。」


 いただきます。ハクは湯気をたてるハンバーグにフォークを入れ、溢れる肉汁を掬って口へと運ぶ。噛み締めるごとに広がる旨味に、思わずハクは感嘆の声を漏らす。

「んーーーー。シーシーさん、美味しゅうございます。朝からこんな美味しいモノが食べられるなんて、人間の友達が聞いたら羨ましがるだろうな。」

「それはよござんした。いつもいい顔して食べてくれるから、私も作りがいがあるってもんです。」


 何故だか、ここに来てから妙に素直になれた気がする。こんなクサイ台詞を台本なしでスラスラ言えるだなんて、イタリア人もビックリって感じだ。


「そうだ、王様が帰ってきたって手紙が来てたよ。」

 ハクは頬張ったパスタをゴクリ、と音を鳴らして飲み込む。そんなハクとは対照的に、シーシーは眉毛一本動かすことなく話を続ける。

「だから今日行きますって返事しといた。」

「き、今日?!」

「うん、ご飯食べたら行く?」

 いやそんなコンビニに支払いに行くくらいのノリで言われましても!

 ハクは焦っていた。も、もう一週間経ったのか。シーシーの家で定年退職したお年寄りよりのんびりスローライフを謳歌しすぎていたからだ。そら、小鳥のさえずりで目覚めて、自然に囲まれたウッドハウスでオーガニックでロハスなお食事を毎日堪能してたら日にち感覚なんてなくなりますて。


「ついでにトウガラシ買おうかな。ピクルスが切れちゃったからお酢とオイルに漬けて…ニンニクも買い置きしておかないと。」

 おっ、今日はペペロンチーノかな。

 …じゃなくて!ああ、これから王様に会いに行こうとしてる人のテンションじゃないよ。


 でも、行かなきゃいけないんだよな。それに、王様はこの国で起こっていることを全て把握しているらしいし…腹括るしかない。

「わかった。ご飯食べたら連れてってほしい。お願いします。」

「よしゃ。ふあ〜あ、めんどいな〜。」

 お城遠いんだよな〜とシーシーは文句を言いながら、頭をガシガシとかきむしって背伸びをする。


 とりあえず、シーシーのご飯を堪能しよう。

 ハクはガツガツと勢いを込めてパスタを口に運んだ。








「前みたいに、町の手前で下ろすから。そこから表通りを真っ直ぐ行くとお城だよ。まずは挨拶してから、城の図書室に行こう。」


 滑空するシーシーに抱えられながら森を降下して行く。ゴクリ、と喉を鳴らしてよし、よし、と気合を入れ続けているハクを見てシーシーはにゃはは、と声を出して笑う。

「そんな気張んなくても大丈夫だって。王様優しいよ。多分。」

「た、多分?!絶対であってほしい!」

「にゃは、ハクをからかうのは面白いにゃ〜。」


 …悔しい。なんか悔しい。でも、シーシーの隣に居たらなんでも大丈夫な気がする。


 絶妙な信頼感を胸に、町に降り立った二人は城へと歩き出した。













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寂寥は然も渇き むーちょ摩天楼 @edomurasaki

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