ただ、俺がこうしたいだけなんですから

 葉と瑠璃は花火大会の開催地である河川敷の特別席…では無く、そこから離れた所にある神社に続く通りの道を歩いていた。そこは様々な種類の屋台が並び、非常に賑わっていた。


 目的地の神社は『くさび神社』と良い、かつてこの辺りの鉱山から採れた宝石は全てこの地域の神様の恩恵であり、この神社はその神を祀るために建てられていた。今でもアゲ横の人々などの融資によって神社の整備が行われていた。

 そして、この花火大会の時になるとこの神社までの通り道は多くの屋台が並び、大半の人は花火が始まるまでこの通りで時間を過ごし、花火大会に向かうと言う事が定番になっている。


 葉と瑠璃も湖太郎・勝達との待ち合わせ場所を楔神社にして、彼らより一足早くこの通りに到着した。


「わー、何となく予想していましたが、やっぱり人がたくさんいますね」


「そうですね」


『やはり、瑠璃さんと、まったり縁日デートとはいかなかったか…。たまには、人がいない静かな道を二人で歩きたいなぁ』


 と葉は心の中で思いつつも、横にいる瑠璃の顔が直視できないでいた。

 更に、先程から美世セレクトの匂い袋の香りが彼女の美しさにブーストをかけており、葉は視覚と嗅覚に幸福のダブルパンチを受けていた。


『うぅ、やっぱり直視できない…。まさか、浴衣によって瑠璃さんの美人度が限界突破するなんて。俺、こんな人の横歩いていて良いのかな?』


 葉はチラリと瑠璃を見ると


 彼女は彼女で何かもじもじしていた。


 それを見て、葉は浮かれた気持ちを正す。


『瑠璃さん、やっぱり不安だよな…。祭りってナンパとか横行しているし、何よりも酒の入っている男性も多い。俺がしっかりしないと…』


「あの、瑠璃さ―」


「あの!葉さん!!」


 いつもと違い少し大きな声を出す瑠璃に葉は驚く。

 彼女は頬を少し赤くし、少しだけ緊張した顔で葉を見つめた。


「えっと、何でしょう…。瑠璃さん?」


「あの、その、えっーと」



「手…つないでくれませんか?」



 その言葉に葉は少しだけ、驚いた。


『少し前まで、こんな事自分から言える人じゃ無かったのに。いや、違う。きっと今の発言も相当、勇気が必要だったはず』



『凄いな、瑠璃さん。本当に、変わろうと頑張っている…』



 そう言って葉はそっと自分の右手を差し出した。そして、微笑みながら


「もちろんです。一緒に行きましょう!瑠璃さん」


それを聞いて彼女は本当に嬉しそうに、そして、楽しそうに笑った。




 二人はしっかりとお互いの手をつなぎながら、通りを歩く。

 目的地は待ち合わせの場所である楔神社の拝殿。二人はそれを目指しながら、ゆっくりと歩いていた。


「そう言えば、葉さん。少しだけ変な質問良いですか?」


「変な質問?別に良いですよ。何ですか?」


 瑠璃は自分の右手を少し見た後、その後、葉の右手を見た。

 彼女の不思議な行動に彼が?マークを浮かべていると


「何で、葉さんの手ってそんなに綺麗なんですか?」


「はい!?」


 突然の質問内容に思わず、彼の声色も変わる。

 自分の質問が改めて変な質問だと再認識した彼女は慌てて捕捉する。


「あっ、あの変な意味じゃ無くて。あの、私、緊張すると人の目が真っ直ぐ見られないので、細かい所に目がいく癖があって、特に人の手を見る事が多くて、その中でも葉さんの手って本当に綺麗だなーと思って…」


 あたふたする彼女が少しだけ面白くて、彼は微笑みそうになったが、瑠璃があまりにも一生懸命に説明するので、それを表情には出さず、真剣に彼女の言葉に耳を傾ける。


「あのっ、羨ましいとかそういうものじゃなくて…。ただ、葉さんの手は、その、触れていて落ち着くし、逞しいから安心できるし、でも、綺麗だから不思議だな…と思って。嫌だな、私、どんどん変な事言っている…」


「そんな事ないですよ、瑠璃さんの手も綺麗だし、触れていて、落ち着きますよ」


「ふぇ!?」


 急に葉からそんな事を言われて、彼女も変な声をあげる。葉も自分でだいぶ恥ずかしい事を言っていると気づき、顔の表面温度が高くなってきたが、軽く咳払いをして誤魔化す。


「嘘じゃ無いです。爪も手入れされていて、綺麗な手だなって思いますよ」


「ありがとうございます…」


「俺の方こそ褒めて頂いて、ありがとうございます。手を褒められたのは初めてです」


 そう言って葉は照れを隠しも兼ねて少しだけ、遠くを見ながら言った。


「でも、そうですね。正直に言うと、手の手入れは結構真面目にやっていますよ。俺、料理好きだから、指とか腕の毛があると気になるんですよ。爪も同じ理由で処理しています。あとは、水も使うから冬場は手荒れ防止のハンドクリームも欠かせないですし。あぁ、でも、筋トレしているから指の豆はどうして少しできてしまいますが…」


「凄いですね。私、今どきの男性事情わからないのですが、普通の男性は手をそこまで気にするものなのですか?」


「うーん、そうですね。ここまで気にする人はあんまりいないですね。ただ、俺も俗に言う『モテる』って人と良く話したりするのですが、そういう人の共通点って、全体的に小綺麗なんですよ」


 葉の頭の中で悪ふざけをする親友とそれを見ながらコーヒーを入れる男性が浮かぶ。


「小綺麗?」


 瑠璃は少しだけ、首を傾げる。

 黒い艶のある髪が少し動き、匂い袋の良い香りが漂う。

 葉の鼻に幸せになるようなくすぐったい香りがし、彼女の仕草が目に映り少しドキッとしたが、彼はそれを気にしないフリをしながら言葉を続けた。


「そうです。そういう人達って髪型や眉の形、肌の手入れとか見える部分を完璧に仕上げるだけじゃ無くて、爪が常に切ってあったり、着ている服のシワを伸ばしたりと細かい所にも気を配っているんですよね。だから、俺も彼ら程では無いですけど、今も細かい所の手入れは欠かさない様に努めています」


 葉も実を言うと金太郎時代はそこまで自分の見た目に気を使う方では無かった。

 しかし、姉のプリンセスプランをこなしていくうちに、カッコいい体になっていく自分、今まで着る事ができなかった服が着用できるようになった自分。

 そういった事が積み重なっていくうちにおしゃれや格好に気を使うようになった。


 単純に言うと『美意識』が生まれ始めたのである。


 そして、元々努力家だった彼は更なる成長をする為、ついにモテる男の子(主に湖太郎)の容姿を観察し始めた。

 そして、気付いた。そういった人達は葉とは違い呼吸をするように肌の手入れや除毛をしている事を。


 葉も見様見真似でそれを始め、湖太郎に聞いたりしながら、少しずつそういった事を習慣化する様になったのである。


「とは言えなかなか、彼らほど完璧にできないのが、まだまだ自分の足りない所ですが。すいません。こんなプロデューサーで…」


「い、いえ。そんな事ないです。ただ、お姉ちゃんから聞いていた男の人のイメージと違うから驚いて。そういう事気にしない人の方が多いって聞いたから」


 瑠璃はなぜか申し訳なさそうな顔をする。

 その顔を見て葉は察した。彼女の身を心配した真珠が男性についてどんな説明をしたか。そして、それを聞いた彼女がどういうイメージを抱いたかを。


 そして、葉もそのだった。


 彼女の頭の中ではそうじゃ無い、違うと否定しつつも、ほんの少し葉に対しても同じようなイメージを抱いていたのだろう。

 彼女はそれを後悔していた。


『そっか、何となく瑠璃さんがあれ程、男性の手を拒む理由が少し分かった気がする。真珠さんの伝えた言葉はわからないけど、もし、今、俺が思っている様な男性像を伝えていたとしたら…』


『そりゃ、怖いよな。知らない男の手をつなぐなんて』


 葉は勢いで瑠璃に『手をつなぎましょう』とプロデュースをしてしまったことを反省した。

 そして、彼女の事をもっと知ってからプランを進める事を心の中で決意していると


「でも、葉さんは凄いです。毎日、そんな事続けているなんて。本当、努力家ですね」


 と瑠璃は笑いながら言った。

 しかし、彼から返ってきた言葉は彼女の想像をしていたものと違っていた。


「別に、偉くは無いですよ。俺は頑張っている女の子とお付き合いする上で必要な事じゃないかなと思っています」




 葉は少し困った笑顔で瑠璃に返答した。

 瑠璃は葉の言っている言葉の意図がわからず、また首を傾げた。

 それを見て、彼は瑠璃に質問する。


「瑠璃さん、今日、その浴衣着るのに、時間ってどれくらいかかりました?」


「えっ!?そうですね…。美世さんにお手伝いしても貰いましたが、お化粧と浴衣の採寸合わせとか含めると一時間、うーん、二時間近くかかったかも」


「ですよね。姉から女の子のお化粧って本当に時間かかるって聞きました。だから、今日の瑠璃さんを見た時に思いました。いつも綺麗ですけど、今日は輪をかけて美しいな。と。だから、きっと凄く時間がかかったんだろうな…って」


 葉がこんな風に考える様になったのは、初めての彼女とデートした時。


 その子は普段、通学する時は学則に従い最低限の身だしなみは整えるものの、ほとんど化粧などをしない子だった。

 だから、葉も初めてのデートの時、緊張こそしていたものの、特に期待はしていなかった。

 いつもの彼女と楽しくデートして今日一日、楽しい思い出ができて終わる。

 そして、また次の日は学校で会う。そんな事を考えていた。


 しかし、彼は彼女が待ち合わせの場所に来た瞬間、葉のそんな思考はどこか遠くへ飛んで行った。


 その子は葉と初めてのデートをする時、別人の様に綺麗になっていた。

 いつもとは違い派手さは無いが彼女のスタイルにあった可愛らしい服、シャンプーとは異なった良い香り、そして、何より彼女の美しさをより引き立てた顔のお化粧。

 そんな彼女を初めて見た時、彼はいつも違うその姿に胸の鼓動が高鳴った事を覚えていた。


 彼は自分がいつも通りのラフな格好の来たことを後悔し、そして、同時に疑問に思った。

 彼女は自分とのデートなんかの為にどれだけ頑張ってくれたのか?と。


 そして、軽い気持ちで姉に女の子のお化粧の事を聞き、そして、驚愕した。

 と同時、自分が彼女の為にそれだけの事が出来ているか?とも考え始めた。


 そこからだった。彼が新しい努力をし始め、それをコツコツと続け、習慣にし、彼が女の子の王子様にまた一歩近づいたのは。


 そして、その努力は恋人のいない今も続いていた。

 彼が以前言っていた、いつか会えるかもしれない素敵な人の為に。


「だから、俺は思うんです。女の子が自分とのデートの為にそれだけ頑張ってくれているのに、できる努力を怠るのは嫌だなって…。ほら、瑠璃さんには前にも言ったじゃないですか」


『好きな人の前くらいカッコイイ体でいたいんです。俺は』


「だから、筋トレする事もこうやって綺麗な手を作る事もただの俺の自己満足で全然偉くなんか無いですよ。ただ、俺がこうしたいだけなんですから!」


 そう言って葉は照れながら笑う。


 金木葉にとって、それは努力などでは無かった。

 頑張っている女の子とつり合いが取れるように、自分がしたいからしただけ。


 彼の場合はそれを黙々と実行してきただけなのだ。誰にも褒められる事も無く、誰にも認められなくても彼はずっと続けてきた。

 ただ、それだけなのだ。


 しかし、それらの行動は彼の人格を作り、その努力がわかる人には伝わっていた。


 アパートの大家、美世

 魚屋の店主、洋次

 バイト先のマスター

 彼の親友の湖太郎


 そして、また一人。

 彼の話を聞いて、少し目が潤んだ女の子も自分の心が不思議な暖かさで満たされていくのを感じ、その思いを伝えた。


「葉さん。私、葉さんのお話聞いて気づいた事があります。聞いて貰って良いですか?」


「はい、なんですか?」



「私、頑張り屋さんで優しい。そんな、葉さんの手、大好きです」



 葉はそれを聞いて、体の体温が一気に高くなったが、少し頬を赤くしながら笑う彼女を見て、彼もそんな彼女の手がとても愛おしく感じた。

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