葉がそこまで、そこまで成長してくれていたなんて

「ん、うん…」


 朝。葉は眠たい目を擦りながら、天井を見つめる。

 結局、昨日はお互い無言で帰路につき自宅前で簡単に別れの挨拶を済ませ、葉はそのままベッドにダイブし、泥の様に眠ってしまった。

 彼はしばらくぼー。としていたが、ふと昨日の事を思い出し、左手を天井に向ける。



「だから、今日は私の頑張りを…、もう少しだけ、見ていてくれませんか?」



 昨日の瑠璃のセリフと繋いだ手の温かさが思いだされ、彼は思わず枕に顔を埋めた。


『あぁぁ、恥ずかしい。俺、あんなに偉そうな事言っておいて、実際に手を繋いだら、めちゃくちゃ緊張していたじゃないか…』



『でも、瑠璃さんの手、小さくて、柔らかくて、なんか、ずっと触れていたかったな…』



 そう思ってまた、彼は恥ずかしくなり、そのまましばらく枕に顔を埋めて悶えていた。




「うーん、やっぱり俺一人だとここまでが限界か…」


 葉は朝シャンと朝食を終え、小さなテーブルに置いてある紙と睨めっこをしている。

 紙には『瑠璃さんのプリンセスプラン』と書かれていた。


『昨日の筋トレや簡単なコミュニケーション術は俺でも瑠璃さんに教える事はできる。でも、服や化粧の仕方は難しい…。こういう事は女の子の友達に相談すべきだけど』


「うーん、ここで俺が二年間女の子を避け続けてきた事が裏目にでるとは…」


 葉は頭を抱えて、机に突っ伏す。

 彼は瑠璃にも話した通り、過去の恋愛の失敗から二年間女の子との接触を最低限にし続けていた。その為、一部の学生が女子との交流が爆発的に増える大学生時代に彼はバイト先の人、商店街の人、ジムのトレーナーなど大学以外の人と接する時間の方が多かった。

 大学にも友達はいるが、それは全て男友達。女子の友達がほとんど、いや、今は全くいないのが今の悩みだった。


『これから女の子の友達を作るにも時間がかかるし、何より瑠璃さんの為に女の子の友達を作るっていうのもおかしな話だしなぁ…』


 葉はうーんと悩みながら伸びをして、時計を見る。

 もう少しでバイトの時間だと言うことを思い出し、ふと、ある案が浮かぶ。


『あっ、そうか。何も俺じゃなくても女の子の友達がいそうな人達に聞いてみれば良いじゃないか』


 そう言って彼は、いつもより早めにバイトに行く支度をし、家を出て行った。




「おーす、葉。今日は早いな」


「おーす、湖太郎。お前の方こそ早いな?どうした?」


「えっ?だって今日、給与明細貰える日だぞ。今月、何回か地獄を経験したから結構期待しているんだ、俺」


 それを聞いていた、マスターはコーヒーカップを磨きながら、苦笑する。


「いやー、ごめんね。僕の奥さんが今月、忙しくてあまり店にいなくて。ただ、湖太郎くんが体験した地獄は四天王の中でも最弱レベルだよ…」


「ば、馬鹿な…。あんなに忙しかったのに。一体この店にはどれほどのポテンシャルが潜在しているんだッ…!」


「楽しそうだな…二人とも」


 葉は呆れながら、それを眺めていた。そして、更衣室のロッカーに荷物を置き、エプロンをつけて表に出る。今は開店前でお客さんも来ないので準備をしながら談笑する。

 給与明細を貰った湖太郎はホクホクした顔で葉に近づく。


「いやー、やっぱり結構入っていたわ。頑張った甲斐があったー」


「なんか俺も割と多目に入っていた。四天王の最弱レベル乗り越えて良かったー」


 葉も湖太郎ほどでは無いが、急に資金が潤った事に喜びを隠せなかった。


『しかし、ここ小さな店なのにどこからこんな資金が生まれているんだ?マジで謎のポテンシャルを秘めているのでは?』


「君達、今月もありがとうね。そして、来月もよろしく」


「はーい。頑張りまーす!なぁなぁ、葉!お前、給料なに使うの?」


「えっ?そうだな。考えてもいなかった。とりあえず、学費の分と、あとは調理器具で古くなってきたものがあるからそれの買い替えと…」


「えぇい!真面目君が!もっとなんか面白い使い方は無いのかね!」


「うるさいなぁ。そう言う湖太郎は何に使うんだよ」


「俺?俺か?そうだな、今月あんまり会えなかったから、彼女に美味いもんでも奢ってやろうかな…と」


「…なんか、お前みたいなふざけた奴にあんなに可愛い彼女がいる理由がわかった気がする」


 それを聞いて、湖太郎はそれ程でも…と照れる。


『イケメンな上に、こういう気の使い方ができるから、こいつ、本当に女の子に好かれるんだよな…』


 それを聞いていたマスターが微笑ましい顔を向けて、葉達に話しかける。


「良いねぇ、君達、ちゃんとしたお金の使い方をしていて。普通、一般的な人はすぐに自分の為に使うけどね。服とか趣味とか」


「あー、言われて見ればそういう使い方あんまりしないな。趣味は料理と筋トレだから、とてつもなくお金がかかるものでも無いし」


「あっ、葉もそうか?俺も彼女との交際費では、結構奮発して使うけど、それ以外は、うーん貯めている事が多いかなぁ」


「それに服は…なぁ?」

「そうだな…服とかは…」


「「運動して筋肉つけて体絞っていれば、特に服に金かける必要なく無いですか?」」


 二人は全く同じ事を言った。その目は本気マジだった。


「食生活まで気をつけなければ、体重が落ちないおじさんにはキツイ言葉だね…」


 そう言うマスターは少しだけ哀しそうな顔をしていた。




「そう言えば彼女で思い出したんだけどさ、葉はあれから、あの件はどうなったんだ?」


「あの件?あぁ、そう言えば」


 閉店後、葉は丸トレイを拭く作業をしながら、湖太郎の話を聞いており、最初は質問の意図がわからなかったが、少し考えて思い出す。

 瑠璃とのドタバタがあった時、湖太郎、そして、マスターとの約束を反故にし、迷惑をかけてしまった事を。


「あの時は、二人とも迷惑かけて申し訳ない。色々あったけど、何とか解決したよ」


「そっか。そりゃ、良かったな!」


「うん。葉くんからそれが聞けて安心したよ」


 葉は思わず、微笑んでしまう。

 急に約束を破ったのに、咎める事も無く、そして、心配までしてくれていた二人。

 こういう人達が集まる場所だからどんなに多忙で大変な目に会っても、葉はこの店を辞めようと思わなかった。


「で、で?その件は相手の人と葉のプライバシーに関わるから聞かないでおくとして、実際、解決してからどこまで進んだ?」


『いや、それも俺と瑠璃さんのプライバシーに踏み込んだ質問だが…』


 と葉は思ったが、湖太郎は目をキラキラさせて質問していた。マスターも興味があるのか、二人にコーヒーを出ししつつも聞き耳を立てている。葉ははぁ。とため息をつく。


『まぁ、この二人にはあの時、世話になったし、誤魔化すのもなぁ。とは、言うものの、何と表現したら良いか…』


 湖太郎は目の前のコーヒーに手を伸ばして、口に運ぶ。

 マスターは少しだけ二人に近づいた。


「そうだなぁ、一緒に汗を流す?関係にはなったよ。ジ―」


 ブッゥゥゥー


 葉が全ての言葉を言い終わる前に湖太郎はコーヒーを吹く。

 何となく嫌な予感がしていた葉は丸トレイをサッと構え、その毒霧を防御する。

 防御するとき、マスターのあっ、それお店の…と言う声が聞こえたが葉は聞こえないフリをした。


「おい、一応聞いておくが、これは宣戦布告と受け取って良いんだよな?」


 葉の声に少し怒気が混じる。

 それもそのはず。今の彼は白い服なのに、突然、相手からコーヒーの毒霧を受ければ、どういった被害が出るかは目に見えている。

 しかし、湖太郎は謝る事もせず、むしろ彼は小さく震えていた。


「なんだと、まさか、まさか、葉がそこまで進んでしまっているなんて…」


「はぁ、何言っての?お前?」


 葉が問いかけると湖太郎は彼の両肩をガッと掴み、詰め寄った。


「ふざけんな!お前!俺だってまだ、彼女としたことないのに!」


 湖太郎の顔にはなぜか、負けてしまった…。みたいな雰囲気がある。

 葉はそれを見て、はぁ。とため息をつき、どうでも良さそうに彼に質問した。


「なぁ、湖太郎?一応聞いておくけど、俺の言った言葉の意味、わかっている?」


「んなもん、わかるわ!男と美女が揃って汗を流すって言ったら、エッ○の事だろうが!」


 それを聞いてマスターも、えっ!葉くん、そこまで!みたいな顔をする。

 葉は湖太郎を見て、ふっ。と笑い、


「セェイ!」


 と言って、持っていた丸トレイを湖太郎の頭に直撃させた。




「いやー、悪い、悪い。まさか、汗を流す=ジムの事だったとはなぁ。しかし、葉も悪いだろ。もう少しわかりやすく表現しろよ」


「いやー、まさかあの言葉で思春期の男子高校生みたいな勘違いをすぐにするとは思わなかったからなー。いやー、俺が悪かった。めんご、めんご」


 葉は湖太郎の批難をもの凄く適当な謝罪で流す。

 それを受けて湖太郎は、ぐぬぬ…、葉くんの馬鹿たれ…。と言っていた。


『だから、そういうのは男がしてもなんとも思わないから…』


「しかし、おとなりさんの恋愛相談か。葉くんが良い人なのはわかっていたけど、まさかそこまでだとはね」


 葉は瑠璃と一緒にジムに行った経緯を話すにあたって、瑠璃との関係についても二人に話す事になった。もちろん、彼女が『サキュバス』だと言う事やその能力、体調不良になる事など大事な点は伏せている。

 その為、彼らの中で瑠璃は『男性が苦手だけど、恋愛をしてみたい女の子で、葉はその相談を受けている』という設定になっている。


「いやいや、マスター。どんな形にせよ、俺は二年間女の子から避け続けていた、葉くんが自分から女の子の助けになりたいと言って動いてくれた。それだけで俺は嬉しいよ。オヨヨ…」


「お前は俺の保護者か何かな?」


「でも、自分から手伝いたいって言ったのは事実だろ?」


 それを言われて葉は、うっ…。と唸る。湖太郎の顔はニヤニヤしていた。

 葉は観念したように自分の心情を吐露する。


「そうだな。それだけは間違い無く事実だ。細かい事は彼女のプライバシーに触れるから伏せるけど」


 そう言って葉は少し間を置き、答える。

 その顔には彼は気づいていなかったが、優しい笑顔をしていた。


「それでも、あそこまで頑張っている、瑠璃さんの力になってあげたいなって思った」


 と自分でも小恥ずかしい事を言っていたのに、気づいた葉は、はっ!となって、湖太郎とマスターを見る。

 湖太郎はもの凄くニヤニヤしていて、マスターは何かを悟った様に微笑みながら、小さく頷いていた。


「いやー、俺は本当に嬉しい。葉がそこまで、そこまで成長してくれていたなんて」


「お前、もう一発この丸トレイで殴るぞ…」


 葉は恥ずかしさのあまり、顔を二人から背けながら言う。

 ニヤニヤしながら、机に頬杖ついた湖太郎は


「でも、俺で力になれる事があったら言ってくれよ。こう見えて、俺、結構女の子の友達多いからさ」


 湖太郎のその言葉には軽さがあっても、葉の手助けを本気でしてあげたいと言う気持ちが現れていた。マスターはそんな二人のやりとりを優しく見守っており、二人に二杯目のコーヒーを淹れていた。


「ったく、お前は。…でも、助かる。さっそくだけど相談良いか?」


「おぅ、任せとけ!」


 そう言う湖太郎の顔は今日一番の笑顔だった。

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