もう少しだけ、見ていてくれませんか?
「ありがとうございます。葉さん。私、頑張りますね。だから、その、これからもプロデュースよろしくお願いします!」
瑠璃は頭を下げる。
葉はそれを見て微笑んだ後、胸をドンと叩き、自信を持って言った。
「はい!任せて下さい!」
二人は目が合い、ふふ。と笑う。
瑠璃は残りのスポーツドリンクを飲み干した後、ふと、ある疑問が浮かんだ。
「そう言えば葉さん。一つだけ、質問良いですか?」
葉も同じ様にペットボトルを空にした後、答える。
「はい。何ですか?」
「葉さんは今もトレーニングを頑張っていますよね?それは趣味だから続けているのですか?それとも、その、葉さんのお姉さんの言っていた、モテ効果を狙って続けているとか…ですか?」
瑠璃の質問の後半部はゴニョゴニョとした口調になる。恐らくちょっと言うことが恥ずかしかったからだろう。
『いつもだったら、趣味です。の一言で誤魔化しているけど、でもなんか』
『この人の前だけは、その言葉で誤魔化す事、嫌だな…』
そう思って葉は少し恥ずかしかったが、胸の中にある自分がトレーニングを続けている理由を話す。
「そうですね…。高校生の時はそういう下心で続けていたっていうのもあります。今は、半分は習慣と趣味になっているからです」
「半分は?じゃあ、もう半分は」
瑠璃が不安と疑問が混じった表情するが、葉は少し照れくさそうに次の言葉を紡いだ。
「もう半分は…、もしまた、俺が誰かを好きになった時の為の準備みたいなものです」
「準備ですか?」
「はい。瑠璃さん。今度は俺から質問良いですか?瑠璃さんはもし自分に好きな人が出来たらどう見られたいですか?」
「どう見られたいですか?そうですね。考えた事も無いです…」
瑠璃は少し困った様に考える。そして、葉はそんな彼女に質問を変えて、再び問う。
「そうですね。例えば、好きな人には自分の事を可愛いとか綺麗とか思われたくは無いですか?もちろん見た目ばかり褒めても良くないと思いますが、それが瑠璃さんの努力してきた証だったらそれは嬉しく無いですか?」
「あっ、それは嬉しいです。なんか自分が頑張ってきた事が認められた気がします。そして、そう思われたいから頑張れる事はたくさんありますよね!」
葉は黙って頷く。そして、言葉を続ける。
「俺もそうです。そして、俺はきっと好きな人だからこそ余計にそう思われたいです」
瑠璃はそこまで聞いて、彼が何を伝えたいのか気づく。
「好きな人の前だからカッコいい・可愛い姿を見せたい。俺はその考え、悪い事じゃ無いと思います。でも、それは行動や言葉だけじゃなくて姿で見せたいなって思うように今はなってきたんです」
そう言って彼は瑠璃に少し恥ずかしそうに、でも自信を持って笑いながら答える。
「好きな人の前くらいカッコイイ体でいたいんです。俺は」
それを聞いて瑠璃は胸がホワッとあったかくなるのを感じた。
彼は今、恋愛の舞台から降りていると言った。それでも、彼は自分に妥協せず、ずっとずっと見えないところで努力をしてきた。
それは彼の言葉や行動を見ていなくてもわかる。その体を見れば彼が努力した人だと言うことはすぐわかるからだ。
そして、彼は今もそしてこれからも努力を続ける。誰に褒められなくても、誰かに認められなくても。
また出会えるかもしれない…彼が好きになる人の為に。
「なーんて、ちょっと恥ずかしいですよね。でも、今はそういう努力しかできないんです」
『結局、俺も口では諦めているなんていいながら、投げ出す事も出来ていない中途半端な奴だよな…。きっとまだ、心のどこかで恋できれば良いなんて思っている』
そう彼が心の中で自分に皮肉を言っていると
「素敵です…」
「瑠璃さん?」
瑠璃の方を向くと、彼女の目は少しトロンとしており、頰も赤みがさしていたが、笑顔だった。
不意に見せた彼女の笑顔に葉とドキリとする。
「葉さんみたいにそういう考えの元、努力している人、私大好きです。心の底から尊敬します」
「あっ、ありがとう…ございます」
葉は急速に自分の心臓の鼓動が早鐘を打ち、体が熱くなっていくのを感じた。
葉を見つめる瑠璃は運動後で髪が汗で少しだけ、潤っており、髪が艶やかな黒色になっていた。彼女の顔に流れていた汗はジムのライトに照らされてキラキラとしており、より彼女を美しく照らしていた。
しかも、運動後だというのに、彼女は汗臭くなく、むしろ、より良い香りがしていた。
そんな瑠璃が彼は可愛く見えてしかたがなかった。
『瑠璃さんに褒められた。なんか、今まで頑張ってきて良かったな。それにしても、瑠璃さん。本当に可愛い。汗がキラキラして、そして、良い匂いがして―』
『んっ!?匂い?』
葉はぼぉとしていた意識を正し、瑠璃の両肩を掴む。
「瑠璃さん!香り!香りで出ます!」
「えっ、あっ、やだっ!どうしよう」
焦り出した二人は、急に自分達に無数の視線が向けられていることを感じる。
葉は錆びついたロボットの様にゆっくりと首を視線の感じる方に向ける。
そこには先程の黒い床のコーナーから獲物を前にした猛獣の様な目で瑠璃を見ている男性達の姿があった。
「クソッ!女の子もよりも己が肉体の鍛錬に励む彼らですら、彼女の催淫の前では無力か!」
「葉さん、すいません。私の能力のせいでこんな危機的状況にした挙句、そんな意味のわからないセリフまで喋らせてしまって」
二人はこの状況に混乱しすぎて、言語が滅茶苦茶になっていた。
瑠璃の香りは落ち着いてきたものの、時すでに遅し。
ジムの内の男性は幸か不幸か今は彼らしかおらず女性のお客様はちょっと良い匂いがする?くらいの反応だった。
『この状況で良い事は比較的我慢強い彼らしかいなかった事。一般男性ならもう瑠璃さんが口説かれてもおかしくない。不幸なのはそんな彼らですら、瑠璃さんの催淫効果が効いてしまった事。普段から鍛えている彼ら全員を…俺は止められるのか?』
葉は瑠璃と一緒に逃げ出す準備をするが、一人の男性が器具を置き歩きだす。
それに続いて、全員がこちらに向かってくる。
「瑠璃さん!出ましょう!」
と葉は声をかけるが、
「ごめんなさい。葉さん、さっきの筋肉痛が取れなくて…、動けないです。私を置いて逃げて下さい」
「できるわけがないでしょう!そんな事」
ジム内の異様な雰囲気に他のお客も動揺し始める。
彼らと葉達の距離が近くなる。
「お嬢さん!良かったら俺と!」
『くっ!マズイ!』
彼らの一人が瑠璃に声をかけようとした瞬間
「お客様ぁぁぁ!ジム内での女性への声がけはマナー違反です!声をかけて良いのは、マシンの使い方を教える時だけ!違いますか!?」
彼らと葉達に割り込む様に入ってきたのは、背中に鬼神を背負った鋼の戦士ッ…!
「こ、金剛、勝さん!」
葉に名を呼ばれた彼は後ろを振り返り、キラリと光る笑顔でサムズアップした。
「いや、でも勝さん。その、彼女には俺からもトレーニングを教えたくて―」
「いえ、彼女には彼がついています。レクチャーは不要です。もし、マナーが守れないというなら彼と同じくここのハイタッチを受けて貰います。ただし、その時、彼の時とは違い、60%の出力で行きますよ」
そう言って振り上げた右手は湯気が出ている!様に見えた。
鍛え抜かれた体を持つ彼らも思わずたじろぐ。
『これは賭けの部分もあった。もしかしたら、勝さんまで瑠璃さんの催淫かかってしまう可能があるから。でも、この人には効いていない!さすが、と言えるが、でもやっぱり気になる』
「勝さん、あなた、平気なんですか?」
そう問いかける葉に彼は背中で語る。
「ふむ。確かになんだか良い香りがして、僕も少しぼぉとして、その、何とも言えない気持ちになったが…しかしっ!僕にはね!」
そう言って彼は首から下げているロケットをチラリと見せる。
小さくてはっきりと見えなかったが、そこには女性が写っていた。たぶん物凄く綺麗な人が。
「愛しのマイハニーが見守っている!故にこんな所で情けない姿を晒す事など無い!」
これが金剛勝という男だった。
どんな状況になろうとも、自分に厳しくという姿勢は崩さない。そして、好きな人をみんなの前でいう事に微塵も臆さない。
そういう性格が合う人が集まってくるのが、この店舗だった。
「勝さん!」
葉は思わず胸が熱くなる。
こんな事で胸が熱くなる意味がわからないが、とにかくなってしまった。
「葉くん、彼らはどうやら彼らは少し正気を失っている。ここは僕に任せて君は行ってくれ!」
その頼もしい言葉に葉は無言で頷き、ロッカーまで急いで駆けていき、二人の荷物を取り出し、瑠璃の手を掴む。
「勝さん!恩にきます!今度、お礼させて下さい」
「そうかい?なら、君の作ってくれた高タンパク、低糖質のあのヘルシー鶏胸肉カレーが良いな!あれは質素な食生活に潤いが生まれたし。あれを頼むよ!」
葉は力強くサムズアップして、二人はジムを後にした。
「はぁ、はぁ、はぁ…。ここまで、来れば安心か…」
葉は瑠璃の筋肉痛を気にしながらも、彼が彼女を引く形でジムから逃げ出してきた。少し寝不足だった影響もあり、流石の葉も疲労感を感じる。
「瑠璃さん、ごめんなさい。足痛いのに、無理やり引っ張ってしまって…」
葉は瑠璃の方を向く、彼女はずっと黙ったまま下を向いていた。
『やっぱり、瑠璃さんに無理させたよな。クソッ、俺がもっとちゃんとしていれば…』
「…げました」
「えっ?」
瑠璃の声は小さくて聞き取れなかった。
葉が何と言ったかもう一度聞こうとすると、彼女は少しだけ顔を上げて、
しっかりと繋いだ手を見つめていた。
「手…つなげました」
それに気づいた葉は、しばらく固まった後、急に恥ずかしくなり、顔があったかくなるのを感じる。
「えっ、あっ!ごめんなさい。俺、何も考えずにこんな無理矢理手を繋いで…。今、離しますね」
そう言って彼は繋いだ手を離そうとすると
ガシッ!
瑠璃は両手で彼の左手を掴み、それを阻止した。
突然のことに葉が驚いていると彼女は顔を真っ赤にして、しかし、今度はハッキリと聞こえる声で伝えた。
「ダメ…です。離さないで下さい」
「瑠璃…さん?」
「葉さんが、葉さんが私の事を応援してくれるなら、私は頑張りたいです。今は恥ずかしくてもいつか大事な人と自然と手を繋げるように…私もなりたい」
「だから、今日は私の頑張りを…、もう少しだけ、見ていてくれませんか?」
ドキッと葉は鼓動が高鳴るのを感じた。
彼女はまだ恥ずかしそうだったが、それでも繋いだ手はしっかりと彼の左手を握っていた。
つい昨日まで、男の人の手に触れるのなんて無理!と騒いでいたのに。
「はい。じゃあこのまま帰りましょう。僕たちのアパートに」
葉は少しだけ照れ臭そうに微笑む。
彼女はそれを直視する事は恥ずかしくてできなかったが、無言で頷いた。
夕暮れが照らす、アパートまでの帰り道。
二人はそれから一言も話す事は無かった。
繋いだ手はお互いの緊張で汗ばんでいて、熱くて、でも、しっかりと繋いで離れないでいて。
何も語らなくても、多くの事が伝わってくる。そんな気がした。
そして、二人はお互いの顔が直視できないほど緊張していて
ずっとずっと心臓の鼓動が早鐘を打っていて
ドキドキしていた事を感じた。
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