私はそれが…、凄く嬉しい
瑠璃は葉の組んだトレーニングを一通り終えて、休憩コーナーで魂が抜けた人の様になっていた。
葉の考えたトレーニングメニューは全身を一通り鍛えるもので、大きい筋肉→小さな筋肉という順で鍛え、体をシェイプアップするというものだった。
最初のベンチプレスからスクワットなど足のトレーニング、ラットプルなどの背中向けの運動、そして、ダンベルプレスなどダンベルを使った運動、最後に腹筋などお腹周りを鍛えて終了。
運動している最中、瑠璃はずっと艶やかな声で『無理』とか『もうダメ…』とか背徳感のある声を出し続け、その度に葉が『ファイト!瑠璃さん』とか『あと一回、あと一回ですよ!』と声をかけ続けて何とか全てのメニューをこなす事ができた。
「ふぅ…疲れた。運動している時の葉さん。意外とスパルタでお姉ちゃんみたいだったけど…」
『でも、ずっと応援して見ていてくれたのは、何だか嬉しかったな…』
瑠璃は自分の顔が疲労感以外で熱くなるのを感じていた。
すると、すっと彼女の前に青いラベルが貼られたペットボトルが差し出される。それはスポーツドリンクだった。
彼女が顔を上げるとそこには葉がいた。
「お疲れ様です。瑠璃さん。初めてのトレーニングなのに本当に頑張っていました。運動後は水分補給も大事なので、飲んで下さい」
「あっ、はい。頂きます。ありがとうございます」
そう言って瑠璃はペットボトルの蓋を開け、スポーツドリンクを飲む。冷たい清涼飲料水が喉を通っていき、疲れた体を癒していく。彼女が美味しそうに喉を潤している横に葉も腰をかけて、同じ様にスポーツドリンクを飲み始めた。
そして、瑠璃はふぅ。と息を吐き、呼吸を整えた後、葉にお礼を言う。
「葉さん。ありがとうございます。自分のトレーニングもあるのに、ずっと私に付き添ってくれて」
それを聞いた葉はペットボトルから口を離し、笑顔で答える。
「こちらこそ、急にジムに行こう!なんて無茶を聞いてくれた上にまさか全部のメニューをこなしてくれるなんて、俺の方がお礼言いたいくらいですよ。瑠璃さん。本当に良く頑張りました。凄いです!」
それを聞いて、瑠璃はエヘヘ。と少し照れる。
「自分でもこんなに頑張れるなんて、思ってもいませんでした。私、ずっと、恋愛する為に何にも努力できて無いな…。と思っていましたけど、今日ここで頑張れて少し自信がつきました!」
それを見て葉は昨日、遅くまで彼女の為にトレーニングメニューを考えて本当に良かったな…と思った。
ふと、何かを思いついた瑠璃が彼に質問する。
「そういえば、葉さんはいつもどれくらいの頻度でここにくるんですか?」
「えっ、俺ですか?そうですね。普段は週4回。忙しい時は週2回くらいですかね」
それを聞いて瑠璃は驚く。
「えっ、あんなにキツイ事をそんな頻度でやっているんですか?でも、葉さん何というかその、そこまで勝さんみたいに凄い戦士の様な体をしていないというか…」
「あぁ、勝さんやあそこにいる人達は何というか食事、生活リズム、トレーニングメニューなど生活の全てを捧げて体を作っている人達です。あそこまでになるのは相当時間も必要ですし、何より簡単にあの境地に辿り着けるものでも無いですよ。それに俺は体を絞るのは好きだけど、別にマッチョになりたくて筋トレしている訳では無いですよ」
「そうですか。だから、葉さんは適度に逞しくて素敵なスタイルなんですね。初めてお会いした時からそう思っていて…。謎が解けた気分です」
葉はえっ!?と軽く驚き、急に褒められて恥ずかしくなる。瑠璃も彼の反応を見て、自分の発言が恥ずかしくなって慌てて言葉を紡ぐ。
「あっ、いや。えっと、変な事言って、ごめんなさい。でも、素敵な体だなって思った事は嘘じゃ無くて…。いやだ、何を言っているんだろ、私…。もー、なんて言えば良いのかな…」
と一人でテンパっている彼女を見て、葉はクスッと笑う。
そして、彼は心の中である事を小さく決意し、彼女に話す。
「瑠璃さん。実を言うと、俺が筋トレ始めたきっかけって、良くある理由なんですよ」
「良くある理由?」
それを聞いて、瑠璃は首を傾げる。葉はスマホを取り出して、彼女にある写真を見せる。
そこに写っていたのはふくよかな顔と体をした小学生くらいの男の子だった。
しかし、その顔は瑠璃がどこか見たことある顔だった。
「この太っている男の子。実を言うと昔の俺です」
瑠璃はええっ!と驚いた表情をし、写真の子と葉を見比べる。
思った通りの反応に葉も少し可笑しくなった。
「筋トレが俺の趣味になったきっかけ。それは良くある理由で『ダイエット』が始まりだったんですよ」
葉は自分の昔話を瑠璃に話す。
彼は小学生くらいの時は『金太郎』とあだ名がつくほど太っていた。食べるものが野菜メインだった為、健康的には問題無いが、いかんせん食べる量が多すぎて、丸々とした体になっていた。
そして、幼稚園の頃までは特に馬鹿にされる事は無かったが、小学生くらいの時から明らかに女子の反応が変わってきたことに気づいて来ていた。彼は新陳代謝も良かったので、良くいる汗っかきの小太り少年だった。しかし、それが原因で自分が女の子に嫌われているなどまるで検討もつかなかった彼はいつものように野菜の本を読んでいた。
しかし、突然、姉が彼の部屋に入ってきて、その生活が一変した。
例の『プリンスプラン』である。
そして、彼女が真っ先に着手したのは肉体改造だった。
「姉はそれから毎日、俺に死なない程度に市営のジムのルームランナーでランニングを強要し、小太りだった俺はガンガン痩せていきました。更に食べる量も少しずつ減らしていき、小学校高学年くらいの時には普通の体型になっていました。いやー、竹刀を持ってルームランナーの後ろに張り付いていた姉は鬼に見えましたね。でもまぁ、毎日俺のダイエットに付き添ってくれたのはありがたかったかも…」
「ふふっ。どこのお姉さんも愛情の表現の仕方が似ていますね」
葉と瑠璃はお互い思う所があり、はにかんで笑い合う。そして、彼は昔話を続ける。
「それから、俺は姉が海外に行き、運動を強要する人はいなくなったのですが、ほぼ習慣になっていたので、運動は続けていたんです。でも、ランニングみたいな有酸素運動だとどうしても自分の思い描いたような格好良い体にならなくて、そして、自分で調べていくうちに筋トレがその最短ルートだって事に気付いて…」
「今も続けているって事ですね。でも、理由は何であれ、やっぱり運動を続けている葉さんは凄いですよ」
葉は照れ臭くなって、頰を人差し指でかく。
瑠璃はふむ。と手を顎につけて考える。
「そうすると、私も続けていると葉さんみたいな素敵なスタイルになるのかな…。あっ、でも筋肉ばっかりつけるのはどうなのかな…」
「大丈夫ですよ。瑠璃さんのメニューはあくまで軽く運動してそのスタイルを更に良くする事が目的です。用は体がある程度絞られれば、どんな運動だって問題ないです。瑠璃さんの周りにもいませんか?適度な運動を続けていて、体が締まっている人」
それを聞いて瑠璃は真っ先に姉を思い出す。
「あっ、お姉ちゃん!そういえば、あの人も水泳とやっているって、言っていました。あと、もう一つそう言えばよ―」
そこまで言いかけて、瑠璃の言葉はストップする。
葉が怪訝そうな顔をしていると、彼女は小さな声で
「夜の運動をしているって、言っていました…」
「あー、真珠さんらしいや」
瑠璃はもう、お姉ちゃんってば。と恥ずかしそうに小声でつぶやく。葉は咳払いし、話を続けた。
「でも、俺の姉も水泳は小学生から続けているから一緒ですね。あと、俺の友達はずっとサッカーをやっていて、今も続けているそうです。バイト先のマスターはダーツ、ビリヤード、果てはクレー射撃やっていて、周りに運動している人が多かったのも、続けてきた理由にはなりますね。その人達はみんな例外無く、スタイルは良いですよ」
瑠璃はそれを聞いてそうですか。と笑う。彼女が今の話を聞いて少しでも運動に興味を持ってもらえた事が葉は嬉しかった。
そして、葉は少し真面目な顔をして彼女に話す。
「実は今日、ここで瑠璃さんにトレーニングして貰った理由はもう一つあるんですよ」
「もうひとつの理由?」
不思議そうな顔をする瑠璃に葉は黙って頷く。
「瑠璃さんのスタイルは無理な運動をしなくて、十分素敵です。だから、今日のトレーニングは運動する魅力を伝わって、スタイル維持の為に興味をもって貰えれば良いかな…と思っていました。だから、どちらかと言うともう一つの目的の方が重要だったんです。でも、それも瑠璃さんのさっきの発言で聞いて、達成する事ができました」
「私のさっきの発言?」
瑠璃は自分の言ったことを思い出す。そして、休憩している時に言った自分の言葉を思い出してハッとする。
「あっ…」
葉は何か気づいた瑠璃にまた頷く。
「俺が今日ここに貴方と一緒に来て、トレーニングして貰ったもう一つの目的。それはあなたに『自信』をつけて欲しかったんです」
「自信…」
その言葉は今の瑠璃からもっと離れている言葉だった。
恋愛を全く知らないおぼこ娘。でも、その為に何を頑張って良いかわからない。
加えて、彼女の性格とサキュバスの特性。彼女が恋に対して、自信をつける理由よりも無くしていく理由の方が圧倒的に多い。
そんな事は葉もわかっていた。だから、彼は彼なり彼女に自信をつけてもらう方法を模索していたのだ。それこそ、徹夜してまで。
そして、彼は目に強い意志を宿したまま瑠璃に言葉を告げた。
「瑠璃さん。貴方は自分が思っているより、他の人よりもずっと恋愛というものに対して頑張っています。成就しなかったのは、それこそ、機会が無いだけだったんです。そして、貴方はスタイル含めて素敵な人です」
「えっ、あっ、その…」
瑠璃は急速に顔があったかくなっていくのを感じたが、いつもの様に目をすぐ逸らす事が出来なかった。
それは葉が冗談や口説き文句などで無く、心の底から本当に彼女の事をそう思っている事が伝わったからだ。そんな彼から恥ずかしくても視線を外す事がどうしてもできなかった。
「お姉さんから聞きました。瑠璃さんのもう一つのサキュバスの特性。黙っていて、ごめんなさい。でも、そんな困難に会っても貴方の様に恋愛に対して、真剣に考えて頑張っている女の子を俺は見たことありません。だから、瑠璃さんのしてきた事はもっと誇って良い事ですよ。私は頑張ってきたぞー!って」
瑠璃は少し目が潤みそうになる。家族でも諦めろと言われた夢。
それでも、彼女は手探りで努力してきた。誰か認められる事がなくても。でも、やはり、だれかに評価されると嬉しく思う。
それが、自分が好意を持つ人なら尚更だ。
葉は少し遠く見て、昔を思い出しながら、話を続けた。
「俺も最初は太っていた自分に少なからずコンプレックスを抱いていました。特に姉に『太っている男は簡単にはモテないわよ』と散々言われて、プライドはボロボロと崩れていきましたし。でも、逆にそんな自分があったからこそ、今まで運動を続けてきた自分が誇れるし、好きになれました」
瑠璃は黙って彼の話を聞いていた。
「実際、運動し始めて体が締まってくると何というか男女問わず好印象になってくるんですよね。もちろん、姉の教えてくれた会話術も影響するけど、でも、ずっと頑張って運動し続けると体は目に見えて変化してきて、それを見て自分にまた自信が持ててと良いループになっていく。それがたぶん姉の狙っていた、運動によるモテ効果ってやつだと思います」
結局、人は見た目が大事なんて身も蓋も無い言い方になりますが…。と葉は苦笑しながら付け足した。
「それでも、やっぱり俺はどんな形であれ瑠璃さんは自信を持って欲しいです。俺も生意気な事が言える程あまり多くの恋をしていませんが、これだけは自信を持って言えます」
「まずは自分の事が好きにならないと、誰かを好きになってもうまくいかない」
それを聞いて瑠璃は思わず言葉が出なくなる。
『私、葉さんが言った様に自分の事好きかな?自分の頑張って来たことに自信を持てているかな…?でも、ただ一つ今日わかったことがある』
『葉さんは私の努力を純粋に凄いと言ってくれた。私はそれが…、凄く嬉しい』
「だから、瑠璃さん。今日、貴方は初心者でもきついメニューを頑張れたんです。だから、自信を持ってください!貴方が自分をもっと好きになればきっと良い人に巡り合えますから!」
そう言って葉は彼女に笑顔を向ける。
その笑顔を見て、瑠璃は今日一日、頑張って良かったと心の底から思った。
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