俺は夢見さんには笑っていてもらいたい
「幸せを、感じた時?」
『そう。あの子が最初に催淫の能力に目覚めたのは、確か、六、七歳くらいの時よ。私と遊んでいた時、あの子がとっても楽しそうに笑った瞬間、甘い香りがして、目の前が真っピンクになったわ』
その風景は葉にも覚えがあった。
急に甘い香りがしたと思ったら、異様にムラムラし、匂いのする方、ベランダに出たら、外が桃色に見えた事。あれはつい最近の事だった。
「それで、真珠さんはどうしたんですか?」
『思わず目の前の瑠璃を真っ裸にしようとしたわ!そして、家族に止められた』
「お姉さん!?」
情欲に身を任せて、嬉々として瑠璃の服を脱がそうとする真珠。
慌てふためき大泣きして全裸になるのを拒む瑠璃。
そして、それを見かけた家族が全力で真珠を止める。
瑠璃以外の顔を見たことなくても、葉にはその光景が容易に想像ついた。
『それ以降、瑠璃は自分が幸福を感じた時にその甘い香りが発生し、ある時は雄の蝶が彼女の周りをずっと舞っていたり、ある時は雄の犬にずっと追いかけられたりと散々な目にあっているわ。そして、見かねた私たちは何とか催淫を抑える研究をしたけど、結局、未だに劇的な方法は見つからず、できた事といえば瑠璃が意識している時は催淫の効果をコントロールできるようになった。というくらいよ。でも、それも完璧では無かった…』
彼女の声に少し影が入る。顔を見ずとも、真珠が落ち込んでいる事が葉にも理解できた。
『だから、私達はあの子が大きくなるまで可能な範囲で他の異性からあの子を隔離した。理由はわかるわよね?』
「はい…」
『お姉さんの言っている事。それは夢見さんが一人の時に催淫能力が発動してしまい、そして、その近くにいた男が理性も常識も何も無い人間だったら。
いや…。間近で受けた俺ならわかる。あれは常識のある人でも理性が飛んでしまう程強力だ。もし、夢見さんとその男が一緒の空間にいたら…』
『そこで生まれるのは悲劇だけだ』
『幸か不幸かあの子にはエナジードレインという身を守る手段はある。でも、それは心までは守れない。今のあの子は、異性は苦手で収まっているけど、間違えた事が起きてしまったらそれはもう恐怖の対象なのよ』
葉は黙るしかなかった。
一歩間違えれば自分もその恐怖を与える側になっていたからだ。彼は真珠の話を聞き、先程の自分の行動をまた悔いる。
『よしんば、もし恋人ができたとしてもあの子がちょっとした油断から催淫してしまって、その男から乱暴でもされたら、もうあの子は男なんて信じられなくなるわ。だから、あの子の催淫を受けても理性を保っていて、あの子が慣れるまで生気の問題を解決してくれて、でも、あの子の事を好いてくれて、あの子から自分から動けるまで待ってくれる男。それが出来る人が瑠璃の恋人になれる人よ。ねぇ、葉くん。いくらあの子が可愛くてもそこまで頑張れる人っていると思う?』
「…」
真珠の声は悲壮感に満ちた諦めが入っていた。
それだけで葉は彼女の悲しみがわかった。
『本当は真珠さんも夢見さんの恋を応援したかったんだ。でも、彼女の体調の事、性格、エナジードレインの件、そして、この能力。色々、夢見さんの為に動いたけど、それでも、出来ることは限られていて、彼女の命の為に心を鬼にするしか無かったんだろう。確かに今の夢見さんの状況なら、恋人を作るなんて簡単な事じゃ無いかもしれない。でも…』
『ここまで、説明して改めて聞くわ。葉くん。本当に自分の時間を賭けてまで、あの子の恋を―』
「プロデュースしますよ。俺は」
葉は真珠が言い終わる前に即答した。
その自信たっぷりな声に彼女は驚く。
「彼女ほど素敵な人のプロデュースができるならそのくらいのハンデが丁度良いです。要はお姉さんの言うように彼女が慣れるまで、その全てを待ってくれる男を探せば良いんですよね?大丈夫。必ず見つけます。俺の近くにいなくても海外にいる姉に聞いてみたり、バイト先のマスターの伝手を借りたりとやりようはありますよ」
なるほどねぇ。とスマホから感心の声が聞こえる。
その声は先程は暗い雲の様な雰囲気だったが、その雲から晴れ間が見えた明るい雰囲気に変わってきていた。
『葉くん。どうやら、あなたの決意は本気みたいね。ここまで、聞いて臆さないなんて』
「真珠さん。俺はあんなに頑張っている人が一つ二つの障害で夢が叶えられなんて嫌だ。俺は夢見さんには笑っていてもらいたい。自分に何かが残らなくても。だから、自分が出来る事を全てやってあげたいです」
『…』
少しの間、お互いに沈黙していたが、スマホから不意にふっ。と笑い声が聞こえ、それを聞き思わず葉も少し微笑んだ。
『まったく、あの子も幸せね。はじめてのおとなりさんがこんな良い男がなんて。今の発言で確信したわ。あの子を任せられるのは葉くん。あなただけよ。必ずあの子を変身させて、素敵な王子様に合わせてあげて』
「はい。必ず夢見さんを幸せにできる男を紹介します!」
『…紹介します!か。まぁ、今はそれで良いかな?』
真珠の声は小さく、聞き取りづらく、葉はえっ?何か言いました?と問いかけた。
『何でもないわ。とにかくよろしく!あぁでも、顔見てないけど、あなたと一夜過ごすのも楽しそうだなー。こんなに性格イケメンなんて知らなかったしー。ねぇ、葉くん。罰ゲーム無しでちょっとだけ味見しても良い?』
「良いです!と言える訳ないでしょう…」
葉は何とも言えない表情で真珠に返答した。それを聞き彼女は満足そうに笑う。
『ふふっ、知っているわよ。でも、この短時間で貴方への興味と高感度が高くなったのは事実よ。今度、会ったら頰にキスマークつけてあげるからね!じゃあね!』
そう言って、真珠は通話を切った。
『なんか、夢見さんとは違う意味でドキドキさせてくる人だな』
葉はまたどっと疲れ、テーブルに突っ伏してしまう。
「…あの子を任せられるのは、あなただけ。か。期待に、応えないと!」
葉は部屋で一人、小さく気合いを入れた。
ガチャ
彼がしばらく部屋でぼー。としていると、瑠璃が返ってきた。
彼女の顔は目が少し赤く、頬もほんのり赤みがさしていた。
「お帰りなさい、夢見さん。…目と頬が赤いけど、何かありました?」
彼女はそれを聞き、目を少し擦り、笑顔で返答した。
「大丈夫です。ちょっと走ったら息切れが酷くて…。運動不足が完全に祟りました。それで辛くなったら、何か涙も出てきて」
確かに瑠璃の呼吸は少しだけ荒かった。
『瑠璃さん、大丈夫かな。サキュバスの能力の事でほとんど表にも出てないだろうし…。なんか、俺に手伝える事とかないだろうか…』
と葉が色々考えていると、ふと、彼女の手にコンビニの袋がぶら下がっている事に気づく。
瑠璃もその視線に気づき、葉にその中身を見せた。
ビニール袋の中には一本の牛乳が入っていた。
「牛乳?」
「あっ、はい。実は葉さんに作って頂きたい料理にこれが欠かせなくて…」
「牛乳を使った料理だと、シチュー、グラタンとかですか?俺もあんまりレシピ知らなくて…。瑠璃さんの好みのものありますか?」
「あっ、ごめんなさい。実はこれを材料に作って貰いたい訳では無いんです」
そう言って瑠璃は自分の家の冷蔵庫からあるものを取り出した。
それはビニール袋の中にたっぷりと入っていたエビやイカなどの海鮮類だった。
「うわっ!凄い量の海鮮。ん?これってもしかして」
「はい。あの日、あのお店で買ったものです。本当はこんなに買うつもりは無かったんですが、虎目さん、また沢山おまけしてくれて」
虎目さんらしいな。と葉は笑う。
瑠璃は海鮮が入った袋を少し上にあげ、それで顔を隠し、彼におねだりした。
「それで、その、葉さんにお願いしたい料理はこれを使って欲しいのです」
「えぇ!こんなに良い材料使って良いんですか?わかりました、気合い入れて作らせていただきます!それで何を作れば良いんですか?」
それを聞き、瑠璃はもの凄く嬉しそうな顔をする。
「良かったぁ。実はちょっと前に大家さんから葉さん料理上手って聞いていたんです!」
『そっか、月長さん。俺をそんな風に言ってくれていたのか…』
「その中でも特に美味しい料理があるって言っていました」
『そっか、月長さんが特に美味しいと思った料理かー。…あれ?』
「でも、私、それを食べる時いつも牛乳と一緒に食べるんです。そうじゃないと、辛くて食べられなくて」
そこまで聞いて、葉は何かを悟った様な顔をする。
『あぁ、わかった。この海鮮使う事。月長さんが美味しいと言ってくれた事(まぁ、あのひと俺の料理、マズいって言ったこと無いけど)。そして、人によっては辛くて食べられないもの。あれか…』
「だから、作ってくれませんか?この海鮮を使ったシーフードカレーを!」
『ですよねー』
四日間連続カレー。
葉はしばらく沈黙していたが、目の前に瞳をキラキラさせた美女が彼の料理を今か今かと楽しみにしている。
よって彼の言う事はたった一つだった。
「シェフカネキにお任せ下さい」
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