もう一つの問題…?
葉は目をギュと閉じる瑠璃の唇を奪おうとしていた。
彼の目に映る景色はスローモーションで頭の中には様々な事が思い出されていた。
はじめて好きになった人とした日の事。
自分の事を初恋の人だと言ってくれた人とした日の事。
どちらも泣いていた、泣かせてしまった記憶しかない。
そして、今、ここにいる。自分を信じてくれた女性も泣かせている。
それでも、彼の理性は抑えられないでいた。
そして、彼は目の前の女性との会話を思い出す。
「私の名前は
「じゃあ!その、大事にします…。ありがとうございます」
「行ってらっしゃい!」
「私、サキュバスの混血だからなんて理由で自分の『はじめての恋』を簡単に諦めたくない!!」
「はい!よろしくお願いします!私だけのプロデューサーさん!!」
「葉さん、私の夢は素敵な人と恋する事です」
その言葉を思い出し、彼の頭の中でずっとモヤモヤしていたピンクの色の霧はさぁぁと晴れ、冷静になる。
彼の顔は瑠璃の唇を奪う手前でピタッと止まる。
瑠璃は自分のファーストキスがまだ奪われていない事に気づき、そっと目を開いた。
その目に映ったのは、葉のほっとした表情だった。
そして、次の瞬間、彼は
「せぇぇのぉぉぉ!俺のアホォォォ!」
と言って、自分の右頬をおもいっきりひっぱたいた。
「だ、大丈夫ですか!?葉さん!」
瑠璃は彼の謎の行動にオロオロし始める。
葉は自分の膨れ上がった頬を右手撫でていたが、突然、瑠璃の両肩を手で掴み、詰め寄った。
「夢見さん、ごめんなさい!俺、あなたに変な事しなかったですか!?」
彼の顔は今にも死にそうなくらい不安そうだった。
瑠璃はそれを見て少し驚いたが、首を横に振り言った。
「大丈夫です。ちょっとびっくりしましたけど、葉さんは何もしませんでしたよ」
それを聞いて、葉は心の底から安堵した表情になる。
彼は安心して全身の力が抜けたのか、廊下の壁に寄りかかってしまう。
それを見た、瑠璃は恐る恐る彼にたずねた。
「あの、葉さんは平気なんですか?」
葉は最初、瑠璃の質問の意図がわからなかったが、しばらく考えてから気づいた。
『やっぱり、あの甘い香りは夢見さんから出でいたものだったのか…』
「平気…というと、さっきの甘い香りの事ですか?」
瑠璃は無言で頷く。その表情は少し暗くみえた。
「平気か?と言われると正直、自信はありません。なぜかあの香りを嗅ぐと少し、その、おかしくなっていましたし…」
瑠璃は俯いたまま、何も言わない。
『あの匂いの正体は気になるけど、俺はどうしても今すぐやらなければならない事がある。それは…』
「夢見さん!ごめんなさい!」
瑠璃は顔を上げて、目を丸くする。今度は葉が下を向き、頭を下げていた。
「初めての恋愛をプロデュースする。あなただけの素敵な王子様を一緒に探すなんて言っておきながら、俺が…あなたの恋愛をめちゃくちゃにする所でした!本当に、ほんとにごめんなさい!」
彼はプライドも捨てて、ひたすら彼女に詫びる。
今、彼が最も恐ろしかったのは、彼女に嫌われる事や彼女の姉から叱責を受ける事ではなかった。
彼女が自分のせいで男女の関係に対して恐怖心を抱いてしまう事。
ただでさえ、異性との交流が少ない瑠璃に自分を応援すると言っていた人間が手のひらを返したようにその情欲をぶつけてくる。
充分な裏切り行為だった。
『俺の、俺のせいだ…。夢見さんがトラウマにでもなったら―』
ピタッ
「えっ?」
葉は痛みが走る右頬に何か触れるのを感じた。それは瑠璃の右手だった。
「夢見、さん…?」
「はじめてです。私のあの香りを嗅いで我慢ができた人は」
瑠璃の表情はなぜかうっとりしていた。
目は潤んでおり、頬は少し赤くなっている。彼女は葉をジッと見ており、その瞳は瞬きすら無かった。
『えっ?えっ?夢見さん?』
今度は葉が彼女に唇を奪われると思ってしまう。
先程のドタバタで瑠璃の服は色々なところがはだけて、扇情的なままだ。でも、彼女はいつもと違いそれを気にする様子は無い。
それほど、今の彼女の雰囲気は言葉で表すと攻めの空気だった。
まるで本来のサキュバスの能力を発揮するかのように。
しかし、葉はそんな瑠璃から離れる事ができなかった。
というのも、おもいっきりひっぱたいた彼の頬に触れている彼女の掌の温度がその痛みを癒しており、その心地良さから離れ難くなっていた。
さらに、さきほどとは別種の心地良い香りが彼の周囲漂っており、彼はずっとここにいていたいような気持ちになっていた。
『夢見…さん…。あ、ダメだ。これ、凄く。俺、夢見さんの…』
微睡みの中に意識が消えそうになったとき、ふと彼の視線の先に銀のボウルが映る。
それを見て、彼は自分のやるべき事を思い出し、心地良い楽園から無理矢理、意識を現実に戻した。
「お、お礼!夢見さん!料理のお礼、させて下さい!」
葉は思わず吃ってしまった。
彼女もそれを聞いて、我にかえったかのようにハッ。となって、慌てて服の乱れを直して、言葉を返す。
「ごめんなさい!何しているんだろ、私…。あっ、あっははは…」
瑠璃はその場から慌てて立ち上がり。
「じゃあ、買い物行ってきます!」
と言ってそそくさと出て行こうとするが、葉が何かに気づき慌てて彼女の行動を止める。
「夢見さん!下!下!そのままだと色んな意味で危ない!」
瑠璃は自分の格好がワイシャツに寝巻きの短パンという初見の人から見たらコスプレと勘違いされるような姿をしている事に気づき、顔を真っ赤にして慌てて葉からズボンを受け取り、バタン!と勢いよく脱衣所の入り、ドアを閉めた。
そして、しばらくするとワイシャツに黒のズボンという格好で彼の前に現れ、ぺこりと頭を下げて家の外に出て行った。
「留守番…してれば良いのかな?」
葉はそう思った後、どっと疲労感が襲い、壁にどかっと寄りかかる。
「はぁ…なんだか疲れた。でも、本当に良かった…」
『夢見さんに何も手出ししていなくて』
彼は安堵して、ふぅ。と溜息をつくと
『やるわね…。葉くん』
と突然スマホから声がし
「ドワァ!」
と間抜けな声を上げる。
「し、真珠さん?どうして急に」
『何、電話越しに妹のピンチを察してね。こっちの世界にある、魔術的なパワーを使って、瑠璃のスマホと無理矢理回線を繋げたのよ』
「本当、無茶苦茶ですね…」
これは瑠璃さんも苦労するなぁ。と葉は思ったが、理由も理由なため、今回はつっこまないでおいた。
彼は廊下からスマホの近く、すなわち瑠璃の部屋に再び戻り、そして、真珠に向かって謝罪する。
「すいません。ピンチの原因を作ってしまったのは、俺です…。大事な妹さんに手を出してしまうところでした」
葉は真珠に誠実に謝罪する。
どんな理由であれ、彼女がサキュバスであれ、それは彼のやった事に対して弁解の理由にはならない。他の人は言い訳にしても彼は自分のせいだと考える。
金木葉はそういう人間だった。
だから、彼は真珠からどんな罵倒も受けても、耐える覚悟だった。
しかし、彼女からの返答は意外なものだった。
『いえ、こちらもあなたに謝るべきだわ。瑠璃のもう一つの問題の事を私は伝え忘れていたのだから』
「もう一つの問題…?」
葉は怪訝そうな顔をする。
『それって、さっきの甘い香りの事か?確かにあの香りを嗅ぐと少しというかかなり夢見さんに対してドキドキしてしまうけど…』
彼がそう考えていると、スマホから声がする。
『葉くん、さっき瑠璃は物心ついた時から異性との接触がほぼ無いって伝えたわね。でも、それは瑠璃の意思じゃないの。私達があの子の為にあえて異性から隔離していたのよ』
「隔離していた?」
『えぇ。その理由こそが彼女を超おぼこ娘にしてしまった理由であり、彼女の夢である、恋人作りが難しい原因なのよ』
葉は真珠の説明とその真剣な声色を聞いて、不安になった。しかし、彼女の問題を聞いておかなければ先に進めないと思い黙って聞いていた。
『それはね、サキュバスの催淫能力よ』
「催淫能力…」
『そう。これは文字通り、瑠璃に対して欲情するって能力なんだけど、あの子の場合、これもコントロールできないの。更に催淫能力はあの子の容姿の効果もあって通常の約二倍の効果がある。でね、その能力が発動する条件なんだけど…』
真珠の説明に少し間が空く。
それはこの後の発言を躊躇っているかのようだった。
『あの子が…幸せを感じた時よ』
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