夢見さんの、夢?

「死ぬ…って、それどういう事ですか!?」


『文字通りの意味よ。私達、混血は恋人を作ってその人から生気を得ないと栄養が足りなくなっていき、最悪、死ぬの。しかも、それは現代医学なんかでは解決できない。私達、サキュバスのみが抱える問題なのよ』


 葉は真珠の説明が嘘偽り無いものだという事を声で感じた。瑠璃を見ると少し俯いた後に困った顔をして微笑む。


『夢見さんのあの様子。嘘じゃない!じゃあ、このままだと彼女は…』


『その子、そのアパートに来てからもう二度も倒れているでしょう?だいぶ限界なのよ』


 葉はそれを聞いてぞっとした。

 あの時の顔色、汗の量、脱力した体…。誰が見ても重症のレベルだった。

 ここままだと、目の前の女性は死ぬ。それもなんて理由で。

 葉は体験したことない恐怖に襲われていた。


「なにか…」


 葉は絞り出すような声で真珠に問いかけた。


「何か手は無いんですか?」


「…葉さん」


 自分にできる事は無いかもしれない…。そう思っていても、こう問わずにはいられなかった。

 瑠璃はそんな葉を何も言わず見つめていた。少しの間の後、真珠の声が聞こえた。


『手は三つあるわ。そのどれもが瑠璃にとって難しい事かもしれないけど』


 三つ。希望があるような数字だが、そのという一言が葉の顔色を曇らせる。それでも、彼はその方法を聞いた。


「一つ目を教えて下さい…」


 地獄に垂れた一本の蜘蛛の糸を掴む様な気持ちだった。葉は今それをしっかり握って真上に上ろうとしていた。そこに希望が無かったとしても。


『一つの目の方法はね…』


 葉の握っている拳がぎゅっと固くなる。


『その子に適当な男見繕って、エッチさせれば良いのよ』


「お姉ちゃん!!」


 葉の握った蜘蛛の糸は派手に揺れて、彼を真下に突き落とした。




「…えーと、どういう事ですか?」


 あまりのショックで意識が軽く飛んでいた葉は、こんな間抜けな質問しかできなかった。真珠はあっけらかんとした声で答える。


『えっ?文字通りの意味よ?要は異性の欲情した感情が私達のエネルギーならその子の美貌にやられた男を無理やりにでもあてがってその生気を吸えば良いワケ。そのもっとも効率が良い方法がエッチなわけよ』


「もう!もう!その方法は嫌だって何度も言っているでしょ!止めてよ!葉さんの前で!」


 彼女は顔を真っ赤にして、涙目でスマホ越しに姉に文句を言う。

 葉はそんな瑠璃を見て、確かにこんな美女が誘惑してきたら、普通の男は一撃で欲情するだろうな。それこそ、犯罪スレスレレベルまで行くような気がする…と思った。

 そして、葉はこの部屋に入る前の瑠璃と真珠の会話を思い出した。


『だって、私、恋人でも無い人とエッチなんてできないよ!!』


『あぁ、なるほど。この方法について話をしていたからさっきの夢見さんからあんなパワーワードが出たワケか…』


 葉は今まで聞いた瑠璃の現状と真珠の性格から考察し、どうして彼女が大声であんな言葉を発したのかようやく理解した。

 瑠璃から文句を言われ続けていた、真珠はハッキリした声で彼女に反論する。


「でも、瑠璃。このままだと貴方は死ぬの。だったら、私はどんな方法を使っても貴方を延命させるわ。それこそ、貴方に嫌われようとね」


 それを聞いた瑠璃は、それは…。と言って黙ってしまう。


『確かに真珠さんのいう事も理解できる。でも、夢見さんは今まで恋人がいなかったんだよな…。初めてできる恋人がそんな適当な選び方で、本当に良いのか?夢見さんもどうみても嫌がってるようだし…』


 葉が反論しようと口を開きかけた時


『大丈夫よ。私もただ適当な男をあてがうワケじゃない。ちょうど良さそうなのをピックアップしておいたわ!』


 スマホ越しから自信満々な声が聞こえる。

 葉も瑠璃もそれを聞いてなんとなく嫌な予感がしたが、とりあえず彼女の提案を聞いてみる事にした。


『そうね…。とりあえず、こんな人はどう?』


 ピロン!


 スマホに音がなり、一枚の画像が送られてくる。

 瑠璃はしぶしぶそれを見て、見たと同時に固まる。

 その様子を見て葉は不安になり、彼女に問う。


「あのー、瑠璃さん。どうかしました?」


 瑠璃は無言でスマホをテーブルの上に置く。葉はそのスマホを覗き込み


「げえっ!!」


 悲鳴に近い声を上げる。


 スマホの中に映っていたのは一人の裸の男性だった。

 いや、男性というよりは巨体のモンスターに近かった。

 顔はまさにオークやトロルで、皮膚からは謎の脂が出ており、体はふくよかを通り越した巨体。


 これが美女を抱く姿を想像すると、それはもはや大学の学友に見せられたエロゲのワンシーンに出てくる、女騎士を無理矢理○○するモンスターにしか見えなかった。


 葉は恐ろしい光景を想像してしまい、思わず吐き気を催し、慌ててお茶を飲む。


『な、なんて写真だ。死ぬかと思った。はっ!まさか夢見さんはこういう男性が好みなのか…?』


 葉は恐る恐る彼女を見る。


 ガタガタガタ…


 彼女は顔を真っ青にし、手は唇の前にあり、吐き気を堪えているように見えた。

 目は涙目になっており、幽霊でも見たかのようにひどく怯えていた。


『あっ、良かった。そんな趣味無かった』


 葉はほっ。と安心した後、『って、そうじゃ無いだろ!』と自分につっこんだ。


『あら、ダメだった?』


「当たり前だよ!!」


 瑠璃は大声で叫び、姉への文句を言い続ける。


「なんで、なんで!?私の好きなタイプをお姉ちゃんにはっきりと言った事は無いけど、少なくともこういう人がタイプだとは言ってないよ!」


 瑠璃は軽くパニックになっていた。

 それもそうだろう。いきなり好みでも無い、いやむしろ苦手なタイプの男性の全裸写真が送られてきたら、男でも混乱する。

 それを実の姉から送られてきたのだ。人によっては絶縁ものだ。

 しかし、真珠からは反省の色が見られない声で補足が入る。


『いや、瑠璃。貴方のタイプの容姿では無いことは充分に理解しているわ。でもね、お姉ちゃんが選んだのはそこじゃ無いのよ』


 彼女の姉はこのモンスターの良さを説明し始めた。

 瑠璃は涙目でスマホを睨みながら、じゃあ、選んだ理由は何?凄く優しい人…とかなの?と聞く。

 この男性のポジティブな所が考えられる瑠璃を葉は素直に凄いと思った。


『聞いて、驚きなさい。この男はね…』


 葉と瑠璃は真珠の次の言葉をじっと待った。


『一日にオナ○ーを十回以上するわ!』


「いいかげんにしてー!!!」


 瑠璃の叫び声が部屋中に響いた。




 その後も真珠から送られてきた男性にまともな人は一人もいなかった。


 童貞暦○十年。通称、右手以外を汚さなかった男。

 写真を見ると何かを悟った仙人のような男性だった。


 女性と夜を共にした件数は数百件。

 職業はヒ・ミ・ツ♡とだけ書かれた、顔はイケメンの金髪の青年だった。

 ただ、その写真には何だか生霊みたいなものが大量に写っていた。


 瑠璃は姉からお見合い写真が送られてくる度に『普通の人!普通の人が良いの!』と苦情を言い続けた。

 葉も真珠から送られてくる男性があまりにも内容だった事と瑠璃をなだめる事に疲れてしまい、二人は今、orzのような格好になり、ぜぇぜぇ…と言いながら呼吸を整えている。


「あの、真珠さん。さっきから送られてくる男性の共通点なんですが…」


 真珠は、ん?もしかして、気づいた?とニヤついた声で言う。

 瑠璃はそれに気づけず、疲労感を癒すため、お茶を口に運んだ。


「その、精力が強そうな人で選んでいませんか?」


「ンガフッ!ゴホッ!お姉ちゃん!」


 瑠璃は思わずむせる。スマホからは全く反省の色が無い声が聞こえた。


「あっ、気づいた?ほら、とりあえず絶倫なら瑠璃も気兼ねなく生気吸収できるかな?って」


「私の恋人をそんな基準で選ばないで!」


 そのやり取りを見ていた葉は瑠璃が気の毒に見えたが、顔を真っ赤にして怒る彼女が可愛かったので何とも言えない気持ちになってハハハ…と苦笑いするしかなかった。


「それに彼らもあなたみたいな可愛い子に手を出して死ねるなら男として本望じゃない?」


『確かに…夢見さんと一夜過ごせるなら、大半の男なら寿命を引き換えにその権利を得るだろう。って、俺は何を考えている、不謹慎な!夢見さんとさっきのモンスター達の寿命を天秤にかけて…、ん?』


「あのー、真珠さん。って、まさか…」


『えぇ、言葉通りの意味よ。その子が嫌悪感を抱くような男性と一夜を過ごす…ううん、正確にはそいつがその柔肌に触れただけで下手すれば昇天するわ』


 葉は絶句し、確認の意味を込めて瑠璃に視線を送る。

 彼女は眉をハの時にして、無言でコクリと頷く。


『どうやら本当みたいだな…』


『私達、サキュバスは異性の生気をある程度自在に吸収したりできるのだけど、その子の場合ちょっと特殊なのよ。その子は自分で生気吸収エナジードレインを簡単にコントロールできない代わりに、嫌悪感や羞恥心を抱く、または生命の危機を感じると通常のサキュバスの倍近い威力でそれが発生するのよ。貴方も覚えない?例えば、その子を介抱した時とか』


 葉はそれを聞いてはっ!と思い出す。


『確かに、夢見さんの体を支えていた時に強烈な眠気も襲ってきた。あれはじゃあ、俺の生気が吸い取られていたって事か…』


 葉が黙って考えているのを見て、瑠璃は不安そうな顔をする。

 彼女の口が開きかけて何か言おうした時に、スマホからまた声が聞こえた。


『その様子だと覚えがあるみたいね』


「はい…」


 瑠璃はそれを申し訳そうな顔で黙って聞いていた。


『そう。妹が迷惑かけたみたいね。ごめんなさい』


「いえ、それは良いんです。勝手に夢見さんの介抱を買ってでたのは俺です。謝られる事ではないですよ」


『そうね。言い方を間違えたわ。妹を助けてくれて


 それを聞いて彼は少し恥ずかしい気持ちになる。

 しかし、肝心な事がまだ聞けていないので、真珠への質問を続けた。


「じゃあ、死ぬっていうのは夢見さんに触れてしまった男性は生気を吸い取られて干物のようになるんですか?」


「そんな事ないですよ!!」


 瑠璃は力いっぱい反論する。

 それを見た葉は怒られたショックよりもプンプンしている彼女が見る事ができて、少し微笑ましい気持ちになった。


『そうね、付き合う男性に対してその子がそういった感情を抱いて、その手に触れれば場合によっては一時間気絶する程度ね。ほら、葉くんも受けたでしょ?強烈なビンタ。私たちはアレをドレインビンタって名付けているわ』


 瑠璃はちょっと、お姉ちゃん!とスマホに向けてまた文句を言っている。

 葉はこの部屋に入る前に瑠璃から強烈なビンタを受け、意識が遠くなっていた事を思い出した。


『そういえば、ビンタ自体はそこまで痛くなかったけど、俺の意識遠くに飛んでいたよな…。じゃあ、あれもエナジードレインだったってことか。あれ?ということは、俺、さっき夢見さんに嫌悪感を抱かれていたって事か?』


 葉が少し不安になっていると、スマホからその不安の元について補足説明が入った。


『でね、葉くんが受けたのはの方のビンタ。瑠璃のエナジードレインでもっとも強力なのはの方よ。そっちを受けていた場合、葉くんはこの部屋にはいなかったかもね…』


 葉は自分が瑠璃に嫌われていないことに少しほっとしたが、あれより強力なドレインがあると聞いて、恐ろしい気持ちになる。


『もしあなたが受けていたのが嫌悪感のビンタの場合、一週間は寝込むわね』


「そんなに強力なんですか!」


 あまりの威力に葉の声も大きくなる。

 瑠璃に視線を送ると彼女は否定できずに俯いている。そのリアクションで彼女のビンタがとてつもない兵器だと理解した。


「でも、そんな事だったらさっきのモンスター達と夢見さんがつき合うメリットがないじゃないですか!」


「葉さん、モンスター達は言いすぎですよ。それは、その、ずいぶん特徴的な男性だな。とは思いましたけど…」


『そうね。私もあんな珍獣達に可愛い妹を紹介するのは苦肉の策よ』


「お姉ちゃん!?」


 真珠は瑠璃の人権擁護を一瞬で否定した。彼女の言葉は更に続く。


『でもね、そんな珍獣達でもその子の能力と合わせればエナジードレインは可能なの。生気さえ得ればその子は延命できる。まぁ、最悪の方法だけど、その子を薄着でベッドの上に手足縛って寝っころがしてしておく→さっきのモンスターをその部屋に呼ぶ→モンスターが欲望に身を任せてその子の肌に触れる→生気を吸われる→二人とも意識を失う→この世界から変態が一人、社会から抹殺されその子が延命される。という素晴らしいループができるわけよ。その珍獣達はそのための贄よ!』


「私こそ、厄災の獣じゃない!それ!」


 瑠璃はついにスマホを掴んでマイクに向けて大声で怒鳴っていた。

 スマホから真珠の愉快そうな笑い声が聞こえる。

 葉はその光景を、苦笑いしながら見ているしかなかった。


『瑠璃。でも、お姉ちゃんは貴方がこのままならこの方法も有りだと思うわ。ここまで珍獣でなくても適当な男を誘惑してカップルになる。それすらできないと貴方の命は本当に危ないの』


「それは、そう、だけど…」


 さっきまでの混沌としていた空気が真珠の言葉でピリッとする。


『確かに、このままだと瑠璃さんの体調は悪くなる一方。だから、適当な男と付き合うという選択肢も有りだとは俺も思う。けど…』


 葉は瑠璃の顔を見る。

 彼女は姉の言葉を聞いてから、今にも泣きそうな顔をしていた。

 その表情で彼女の中で『命の為に適当な人と付き合う』という選択肢が絶対に嫌だという事がわかる。


『夢見さんがこの方法が嫌だっていう事はもう顔を見て分かった。なら、俺は…』


「真珠さん」


 葉はスマホに向かって声をかける。スマホからあら、何?と真珠の声が聞こえる。


「他の二つの方法を教えて下さい」


『夢見さんが一番幸せになる方法で手助けをしたい!!』


 葉は強い思いでその言葉を発した。


『そうね。二つ目の方法は…』


 しかし、真珠が次に提案した方法は彼にとって残酷な返答だった。


『瑠璃がその家から出ていく事よ』




「出て…いく…」


 葉は真珠から予想外の返答を受けて、ショックを隠し切れなくなる。

 彼女は気にせず続ける。


『そう。瑠璃にはそちらの世界で生きるのではなく、こちらの世界に戻ってきて生きて貰うわ』


 葉は真珠の言っている事を全て理解したわけではないが何となく意味は分かった。


『つまり、夢見さんは人間界では無く、真珠さんが今いる世界で生きていく。だから、ここを出ていく。でも、それはつまり…』


『頭の回転が早い貴方ならもう理解できるでしょう?そう。瑠璃がそっちの世界で生活する事は二度と無いわ』


 ドクン…


 葉は心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。


『これはね、私のミスでもあったのだけど、そちらの世界では瑠璃が恋人作らずに生きていくほどの魔力がどうやっても確保できないの。瑠璃がそっちの世界に引っ越しを決めるまで、あらゆる方法を模索したけど結局見つけることはできなかった。でもね、こっちの世界ならある程度は瑠璃が恋人を作らずに生きる方法があるの。つまり、彼女が死ぬことは無いのよ』


 葉は真珠の説明の意味も理解した。

 そして、瑠璃が生きるためならその方法も有りだと頭の中ではわかっていた。


 しかし、心の中にある大きな不安がどうしてもそれをすぐに良しとしなかった。


『もう二度と瑠璃に会えない』


 二人はただの隣人。

 何かのきっかけでここを去ってしまうなんて事は充分考えられる事だった。


 それでも、そのたった一つの事実は葉を苦しめた。

 それこそ、目の前が暗くなりかけるほど。


『夢見さんが一番目の方法を選べないとすると二つ目の方法は間違っていない。でも、俺はこのまま彼女と別れるのが…』


「嫌です!」


 葉は思考の波から現実に引き戻される。

 そして、声の方を向くと瑠璃がスマホを真っ直ぐ見つめていた。

 その目は先程までの泣きそうな表情では無く、強い意志を持った目をしていた。


「お姉ちゃん。私はここに来る前に言ったよね?私がそっちに帰るのは本当に最後の手段だって。私はまだここに来て何もしていないよ」


 真珠は黙っている。

 瑠璃が生半可な決意でこのアパートに来たわけではないことは彼女も充分に理解していた。


 それでも、瑠璃が二日間続けて倒れたという事を聞いて、不安になり、その上でこの案も提示したのだろう。

 そして、瑠璃もそんな真珠の優しさを理解したうえで言葉を紡いだ。


「お姉ちゃん。心配してくれてありがとう。でも、私はここでどうしても自分の夢を叶えたいの。ずっと昔から夢見ていた事を」


「夢見さんの、夢?」


 葉はそれを聞いて瑠璃をじっと見つめる。


 彼女は葉の方を向き、困ったように笑いながらもはっきりと伝えた。

 彼女の夢を。


「葉さん、私の夢は素敵な人と恋する事です」

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