行ってらっしゃい!

 葉と瑠璃は目的の魚屋がある横丁に向かって歩く。

 葉曰く目的地の横丁の名前は『瑪瑙横丁めのうよこちょう』だと、瑠璃に伝えた。


「ふふっ、楽しみです。私、横丁って行ったこと無いから。でも、横丁のお魚屋さんってそんなに沢山の種類があるものなのですか?」


「あぁ、それはこの横丁が生まれた歴史がちょっと特殊で…」


 葉は瑠璃に道案内がてら、その横丁の歴史を説明する。


 その横丁がある場所は元々、腕利きの宝石加工職人がたくさん暮らしていて、しかも、みんな金持ちだった。時代の流れで宝石加工の需要が減ってくると、彼らは持っていた資金を使って各々で店を出し始めた。

 拘りの強い人が多かったため、他の場所では扱わない商品を店頭販売することや、サービス精神も旺盛で、『赤を切っても客に良いものを!』という人も多く、その横丁にある店目当てで来る人は昔からたくさんいた。

 そのため、代々続く店が多いのも特徴だった。


 一駅行けば、大型のモール店もあるのに、未だに栄えているその横丁は瑪瑙=アゲット・アゲートと呼ばれる事も有る為、通称『アゲ横』。

 葉のおススメの店も歴史ある魚屋で近くのスーパーでは売ってない魚もなぜかそこに行くとあるため、良く利用しているという。


「なるほど、アゲ横ですか…。覚えやすい。でも、なんで瑪瑙って名前がついたのですか?」


「なんでも、その辺りで一番加工されていた宝石が瑪瑙だった為、そう名付けられたみたいです。まぁ、結果としてアゲ横なんて面白い名前になってしまいましたが」


「へぇー、名前まで歴史ある横丁ですね。それにしても葉さん、そんな話良くご存知ですね」


「知り合いから聞いた話をたまたま覚えていただけですよ。でも、楽しんでもらえて良かった」


「はい!とっても為になりました。ありがとうございます」


『まさか、こんな話が瑠璃さんに刺さるとは。話のネタってどんな所から来るかわからないものだな…』


 葉は雑学の大事さを心に刻み、またこの話を教えてくれた美世に再び心の中で感謝した。


 そうこうしている間に二人は目的地、アゲ横に着いた。






 アゲ横は平日にも関わらず賑わっており、お客の声と店員の声が混じりあってお祭りの様になっていた。


「うわー、凄い!今日、平日ですよ。こんなにお客さんがいるなんて!普段からこんな沢山の人が買い物しているのですか?」


「ここ、ある人物の提案で観光客用の案内所が設置されたので、平日でも普通のお客以外に観光客もたくさん来ますよ。今日はちょっと多いですけど…」


 ちなみに観光客の案内所を提案したある人物とは葉と瑠璃の住まいピローコーポ大家、月長美世の夫、故月長善次郎氏である。

 その為、月長さんは未だにこの横丁の店の方々から大量の贈答品を頂いているらしい。


 俺、もしかしてとんでもない人と知り合いなのかも…。と改めて、美世様の凄さに驚いていると、瑠璃から質問が上がる。


「あの、葉さん。その目的地のお魚屋さんってこの横丁のどの辺りにあるのですか?」


「えっーと、普段ならもうちょっと人が少ないから案内も簡単ですけど…」


 今日は何だか人が多く、目的地は横丁の入り口からだと見えなかった。

 葉は少し困りながらも瑠璃に心配かけまいと言う。


「今日はちょっと人が多いから、俺の後ろについてきて下さい。大丈夫。人が多くても一本道だから逸れてもすぐに見つかります」


「そう…ですか」


 瑠璃は少し不安そうにしたあと、一呼吸置いて葉を真っ直ぐに見て言った。


「わかりました!葉さん、お任せします」


「はい」


『瑠璃さん、人多いところ苦手なのかな?俺がしっかりしないと…』


 葉は通い慣れた横丁であったが、いつもより気合いを入れて、入っていった。






 ガヤガヤ…


『うわっ、今日は特に多いな。目的地までが遠く感じる』


 葉のおススメの魚屋はアゲ横の入り口からそこまで遠くない。

 しかし、今日は特に観光客が多く、人混みに揉まれ目的地に全く辿りつけないのだ。


「瑠璃さん、大丈夫ですか?」


「はいっ、大丈夫です。あうっ!」


 とても、大丈夫な雰囲気では無かった。

 彼女は自分の胸部を抑えながら、葉の後を必死についてくるが、やはりこの人混み。全然、前に進まないのである。


『これだと、時間がかかるな…。だからと言って、これ以上ペースを上げると瑠璃さんが追いつか―』


 ギュ!


 突然、葉の右腕に何か当たる。その感触は以前も感じた事があった。

 葉は思わず体が固まる。

 そして、視線だけ右にずらすと瑠璃は葉の右腕に思いっきり抱きついていた。


「あっ、あの、葉さん。恥ずかしいから、振り向かないで欲しいですけど、このまま進んでくれませんか?これなら、はぐれないし…」


『このまま…だと…』


 瑠璃の声は少し怯えていた。この見知らぬ地でこの人混みなら当然だ。

 しかし、瑠璃を心配しつつも葉はどうしても右腕に意識がいってしまう。


 この人混みの中でもわかる瑠璃の色々柔らかな感触、少し体温が高くなっている影響で瑠璃のいい香りがより強くなる。

 顔は見えないがまたあのちょっと困った顔が横にあると思うと葉の頭の中で妙な背徳感が生まれ、


『アゲ横の神さまありがとう!』


 と彼は存在もしない神に感謝していた。


「わっ、わかりました。このまま進みましょう」


「は、はい。お願い…します…」


 葉は瑠璃に腕を組まれた状態で前進する。

 心なしか観光客のカップルがニヤニヤしてこちらを見る、老夫婦が微笑んでくれるような気がした。

 彼は恥ずかしさも当然あったが再び存在しない神にこの時間を与えてくれた事を感謝していた。


『あぁ、アゲ横の神さまありがとう。叶うなら、この素敵な時間がずっと続きますように』


 しかし、アゲ横の神様は無情だった。

 葉と瑠璃が数分歩いてすぐ、目的地は見つかった。


「あの、瑠璃さん…。あれです…。あれが目的地の魚屋です」


 葉の声は心なしか元気が無くなっていた。

 良い樹木を使って出来た看板には大きな字で魚屋・虎の目さかなや・とらのめと書いてあった。


「あっ、あれですか?良かった。意外と早く見つかりましたね!」


「そうですね…はは…」


『ちくしょーーーーーーーーー』


 葉は心の中で嘆いた。



「いらっしゃい!おう!葉ちゃん、久しぶり!おぉ!横のべっぴんさんは誰だい!葉ちゃんも隅におけないねぇ!」


 瑠璃はそれを聞いてちょっと赤くなるが、それでもハッキリと否定する。


「べっぴんさんだなんてそんな…。それに葉さんは素敵なおとなりさんだけど、私、彼女じゃ無いですよ!」


『うっ…わかっていたとはいえ、こうもハッキリ否定されると悲しいものがある…。でも、まぁ瑠璃さんが、綺麗って言われたのは何だか俺も嬉しいな』


 横で急に威勢の良いおじさんに褒められて、瑠璃はちょっと恥ずかしそうにアワアワしている。その姿はやはり可愛いなと葉も感じた。

 しかし、道案内の仕事は真っ当すべきなので、魚屋・虎の目店主、『虎目洋次とらめようじ』に葉は二人で来た目的を説明する。


「お久しぶりです。虎目さん。実は僕の家のお隣さん、この綺麗な人の事ですが、美味しいお魚屋を探しているって言っていたので、僕の知っている限りで最高の店を紹介し―」


「で!俺の店ってわけか!かー、葉ちゃんほんといい奴だな!」


 葉の話は途中で遮られた。チラリと瑠璃を見ると彼女はクスッと笑っている。


『良かった。この人の性格嫌いじゃないみたいだ』


「いやー、わざわざこんな混んでいる時にここを紹介してくれて、感謝だぜ、葉ちゃん!よっしゃ!今日は良い鯖が取れたから小さい奴で悪いけど、数匹持ってきな!」


『…マジか。良い鯖だと』


 葉は心の中で、よっしゃあぁ!と飛び跳ねそうになったが、今日の夕食がされてしまっている事を思い出し、ちょっと悲しくなった。


「ありがとうございます。でも、今日は月長さんからお裾分け貰う代わりに料理を作って上げる約束をしてしまったので、その鯖は横にいるべっぴんさんに上げて下さい」


「よ、葉さんまでべっぴんさんだなんて言わないで下さい!恥ずかしい…。それに、悪いです。今日来たばっかりなのにそんなサービスまで頂いて…」


「良いですよ。せっかく貰える良い鯖です。ここの魚本当に美味しいから、鯖嫌いじゃなかったら貰って下さい。ねっ?虎目さん?」


「くー、葉ちゃん。あんたやっぱり良い男だな!お嬢さん安心しな。葉ちゃんにはまた来た時サービスするから、今日はあんたがこの鯖食べてくれ!」


 これである。このサービス精神旺盛な所と本当に魚が美味いので葉はわざわざ人混みの中を通り抜けてもここを紹介したかった。


 虎目洋次の常連さん愛は熱烈で、葉も焼き鮭が食べたくて買いに行ったら、色々おススメされて、それを買ったらまたサービスされて、最終的に海鮮丼が出来た。なんて、事が多々あった。

 瑠璃も最初は遠慮していたが、根負けして大人しく鯖を受け取る。


「じゃあ…お言葉に甘えて。葉さん、このお礼は必ずしますね!」


「良いですよ。そんな。でも、喜んで貰えて良かった」


 葉は瑠璃が洋次にオススメされて、魚を見始めた時、そう言えば今何時だ?とおもむろに腕時計を確認し、目が飛び出た。


 学校の講義開始時刻がギリギリまで迫っていたのである。

 葉は思わず声を出す。


「ゲッ!講義の開始時刻がヤバイ!虎目さん、瑠璃さん、ごめんなさい。俺はここで抜けます!」


「えっ、そんな、私のせいでごめんなさい!駅まで送ります。虎目さん、私、またここに戻ってくるので、その時ゆっくりオススメ教えて下さい」


「おう!待っているぜ!葉ちゃんもまたな!今度時間ある時に」


 葉は簡単に挨拶すると横丁を早歩きで駆け抜ける。瑠璃はその後を必死に追う。


 後ろから虎目の「頑張れよー」という声が横丁に響いていた。




「すいません。もっとゆっくり案内出来たら良かったのに…」


「いえ。葉さんの方こそ時間は大丈夫ですか?」


「はい。次に来る電車に乗れれば問題無く着けます。見送りありがとうございます」


 葉は頭を下げる。瑠璃はそれを見てちょっと慌てる。


「そんな、良いです。お礼を言うのは私の方です。このご恩は早めにお返ししますね」


 葉は顔を上げるとありがとうございます。と笑って、改札に入っていった。


 ピッ


 改札の中に入ると、瑠璃が声をかける。


「葉さん!」


 葉は振り返る。彼女は手を振って、笑って見送りしていた。


「行ってらっしゃい!」


 改札に入っていく高校生のカップルが「あぁいうカップルに大人になってもなろうね」と言いながら、葉の横を通り過ぎていった。

 葉はそれを聞いて恥ずかしさもあったが、嬉しい気持ちがずっと勝っていたので、彼女の声に応えた。


「行ってきます!」


 瑠璃は葉が見えなくなるまで、手を振っていた。

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