さっすが、葉!カッコイイ!抱いて!

「お隣さんが美女で大人のお姉様とかお前、どんだけツイてるの?馬鹿なの?エロゲかラノベの主人公なの?」


 昨日の話をすると、その男は矢継ぎ早に彼に罵詈雑言をぶつけてくる。

 しかも、遠慮無しに。


「おぅおぅ、言ってくれるな、おい。お前こそ、年下で小柄でしかもスタイルも良い。おまけに看護師志望で優しいとか、良い所寄せ集めの彼女がいるくせに何言ってんの?」


 彼はそれを聞き、勝ち誇ったドヤ顔をする。


『殴りたい…この笑顔』


 と葉は思った。そして、彼の悪口はまだ続く。


「だからと言って、貧血で倒れてきて、それを支えてあげた…だと?ねぇ、それどんな幸運?おっぱい当たるやつじゃん、それ。嘘だったら妄想野郎。本当だったら、一発ビンタして良いかな?」


「良い訳ないだろ、このアホ」


 バイト先でのくだらない会話。

 彼らが話をしているのは、喫茶『星の菜園』のカウンター内。

 葉は今日もバイトで来ており、横にいるのは彼のバイト仲間であり、悪態をつける友でもあった。


「というか、お前は本当、俺の前だと遠慮ないよな…。喋らなければただのイケメンなのに…」


 それを聞いてまた、彼がドヤ顔をする。


『本当に殴りたい…この笑顔』


 と再び葉は思った。彼の名前は『玻璃湖太郎はりこたろう』。葉の中学時代からの親友であり、今は彼と同じで大学の医学部に所属している。

 彼の外見の特徴を一言でいうとイケメン。しかも、彼は葉とは異なり、だった。


 その顔の良さは美麗衆目そのもの。クラスの中のカッコいい人では常に一か二位。

 おまけにスポーツは球技全般が得意で彼がボールを操ると「友達どころかずっと前から親友だろアレ…」と評されるほど、上手かった。


 しかし、彼の本当に凄い能力はその頭脳だった。医者を目指している彼はその夢を叶えるに充分な学力を備えていた。成績は学内のみならず、学区内で上位。しかも、同級生からも分からないことがあれば、先生ではなく彼に聞けと言われるほどの教え方も上手かった。


 葉もプリンスプラン中は何度か学力で彼に挑んだが、差が出すぎてやめてしまった。

 天才の彼に葉が唯一勝てたのは料理の腕くらいだった。


 そんな彼は他人に対しても紳士であり、男女共に人望があった。

 良く物語で出てくるイケメン特有の裏のある性格…なんてものもなく、表も裏も爽やかで良いやつだった。故に『ナチュラルイケメン』と呼ばれ、老若男女問わず好かれる非の打ち所がない性格なのだが、なぜか友達である葉の前だと結構砕ける。

 そして、先程の様な馬鹿な会話をこのバイト先で繰り広げているのである。


「しっかり、これで葉にもやっと春が来たかー。そんな美人ならカップルになれたら幸せだろうなー」


 いいなぁー。と彼は付け足す。

 それを聞いて、葉はコップの水滴をタオルで拭く作業をしながら、溜息をついて言葉を返した。


「お前はなぁ、お隣が美人だからって恋愛に発展するとは限らないだろ。というか、本来そんな可能性はゼロだ。それに、俺は…」


 彼は少しだまって、その後、小さく呟いた。


「…年上苦手なの、お前も知っているだろ」


 葉の表情に少し影が堕ちる。

 それを見て湖太郎は机の上で頬杖をつき、呆れる。


『まだ引きずっているのか。コイツ。良い奴なんだけどこういう所が次に進めない理由なんだよなぁ…』


 彼はそのまま、葉に聞こえるように溜息をつく。

 その無礼な態度を見て、葉は何だよ。と少し睨む。


「いやなに、俺が唯一悪態つける友達のお前にも春が来た!と思って喜んでいたが、なかなかそうは上手く行かないなぁ。あーあー、早くしたいなお前とお前の彼女、そして、俺と俺の彼女でダブルデートってやつを」


「悪いが他を当たれ。そして、もし出来たとしても貴様に相談するのは最後だ」


 葉はふっ。と笑う。それを見て湖太郎もふっ。と笑う。


『良いよな。ダチって。こういう馬鹿な話ずっと出来るから。何だかんだで、コイツに結構、助けられているんだよな…』


 今度、何かジュースでも奢ってやるか…。と葉が心の中で思っていた時、湖太郎から質問が飛ぶ。


「そう言えば、昨日のバイトの後、お前夕食何食べた?俺、疲労で死んで何も食えなかったわ」


 そう。昨日の『星の菜園』で発生した地獄の戦場に実を言うと湖太郎もいた。

 しかし、お互い忙し過ぎて、アイコンタクトくらいしか取れず、二人とも閉店後は真っ白に燃え尽きたボクサーの様になって、それぞれ帰路についていた。


「昨日の晩飯?そう言えばカレー食べたな。お隣さんの来訪で少し冷めたけど…」


 ガタッ!!


 突然、湖太郎が椅子から立ち上がる。

 葉は彼のあまりの突然な行動に驚き、拭いていたコップを落としそうになる。


「あっぶね。お前!なに急に立ち上がってんだよ!驚くだろ!」


「カレーを食べた…だと…」


 湖太郎は良く見ると少し震えている。どうやら怒っているようだった。

 俺、何か言ったか?と葉が少し考えていると、湖太郎は声を大にして叫ぶ。


「っざけんなよ!お前、カレー作ったらなら俺も呼べよ!お前のカレー食えるなら、今日の昼、学食で味気ないカレー食わなかったわ!」


 玻璃湖太郎。彼は実を言うと結構グルメであり、食には割とこだわる方だった。

 そして、彼と葉をとして繋げたのは、葉が中学生の時にキャンプで作った『カレー』であり、その味に感動した湖太郎は、以降『葉のお手製のカレー』の大ファンになった。


「何だ!昨日は何のカレーを作った!お前が作るなら基本レシピじゃ無いだろ!」


「声がデカいわ!いやまぁ、昨日はちょっと暑かったから、スーパーで夏野菜買って、鶏肉と野菜のカレーを…」


「何だそれ!?聞いただけでもう美味そうじゃねーか!畜生!親友だと思っていたのに!俺がにうるさいのも知っているはずなのに!」


「いや、まぁ、っていうか現在進行形でうるさいよ、お前…。ここ、今は客いないけど喫茶店だよ?雰囲気ぶち壊しじゃない?」


 葉はだんだん面倒臭くなり冷たい態度を取りはじめる。

 しかし、彼の怒りのボルテージは下がらない。


「いや、俺のこのカレーにかける熱き思いはもう治まらない。くっ、仕方ない。今日は彼女に会って帰るはずだったが予定変更だ!葉!罰として!」


「何だー?罰としてー」


 葉はもう彼を見ずに、コップを拭く作業を再開している。

 湖太郎は腕を組み仁王立ちしたあと、サムズアップした親指を自分の顔に向けて得意げに言う。


「俺の家に来て、カレーを作ってくれ!リクエストはだ!」


 葉はそれを聞いて、コップを拭く手を止め、ふっ。と笑った後、彼を見た。

 それはゴミを見るような目だった。


「やっぱ、お前一発殴らせろ」



 ※※※



「まさか、二日続けてカレーを作るとは…」


 自宅のキッチン。葉は夕食の準備中だった。

 結局、あの後湖太郎は


「カレー食べたい!お前の作ったカレー食べたい。葉君のカレーじゃなきゃ、ヤダヤダー!!」


 と男に言われても微塵も嬉しくない駄々をこねはじめ、そのあまりのしつこさに


「だー、わかったわ。作ってやるから黙れ!でも、お前の家に行くのは面倒だから作って明日ここに持ってきてやる。それで良いだろ!」


「ほんとか!欲を言うと作りたても食いたいが背に腹はかえられん。良し!それで手を打とう!サンクス、葉!材料の牛肉は!」


「当たり前だ、アホ!」


「あのー、葉くん、湖太郎くん。カレー談義で盛り上がるのは良いけど、ここ喫茶店だよ?ちょっと静かにね。あっ、ちなみに僕も葉くんのビーフカレー食べたいな。例の福神漬けとラッキョウサービスするから少し多めに作って貰えないかなー」


「くっ、なんて魅力的な交渉材料…。こうなりゃ、一人分も二人分も変わらない!やってやるよ、コラー」


「さっすが、葉!カッコイイ!抱いて!という事で俺、牛肉買ってきまーす」


「いやだから、湖太郎くん、今バイト中…。あっ、行っちゃった。まぁ、暇だから良いかぁ…」


 などと喫茶店でマスターも交えた漫才を繰り広げ、バイトを定時で終え、そして今に至る。

 本日のレシピは牛肉メインのビーフカレー。野菜はシンプルに玉葱・人参・ジャガイモだが全てマスターの自家製。

 牛肉は湖太郎が買ってきた

 葉が負担したのはスパイス代くらいなので、赤字にならなかったのが唯一の救いだった。


「まぁ、湖太郎もマスターにも世話になっているから、これくらい良いか…。さすがに明日もカレーだったらしんどいが…」


 昨日と同じ作業なので、彼は手際よく夕食を作り、昨日と同じくサラダを添えて完成。

 我ながらいい出来だと葉は満足した。


「出来た。どれ、明日二人に配る前に味見とくか…」


 彼が最初の一口を頂こうとしたその時


 ふわっ…


 とどこからか甘い香りが漂い始めた。

 それは葉の作ったカレーやサラダ、そして、お茶から発せられるものでも無かった。


『なんだ、この香り?妙に落ち着かない感じになるけど…』


 彼は無視して食事を再開しようとしたが、その香りがどうしても気になり、スプーンを置き、カレーとサラダにラップを掛け、その匂いの元を探り始めた。


 自室の芳香剤、風呂場のシャンプー・石鹸、キッチンの洗剤、玄関の消臭剤、どれも違っていた。

 彼は虱潰しに色んな個所を犬みたいに嗅いで回ったが、部屋の中を全て周り、この香りは内から来ているものでは無いと分かった。


『自室では無い…。そうすると、外か!』


 ガラッ


 彼はベランダを開ける。

 すると先程の甘い香りは一気に強くなり、急に嗅覚が刺激された葉は思わずクラッとする。


『えっ、なんだ、コレ!?嗅いだことないぞ、こんな甘い香り…』


 それは葉が二十年間生きていて感じたことが無いほど、甘く魅力的な香りだった。

 ベランダから見える景色は日が沈みかけいて、空が橙色になっていたがその甘い香りがあまりにも強すぎたため、葉にはその景色にピンク色が混じって見えた。


『いやマジでなんだ?この香り…。それにこの香りずっと嗅いでいると…』


 葉はこの香りを嗅ぎ続けていて、体にある変化が起きている事に気づく。

 胸を押さえて、ふぅーと息を吐くが、それでもそれは改善しなかった。

 彼の体に起きた変化それは


『この甘い香りを嗅いでいると…妙にドキドキする』


 彼は外に出てから呼吸が少し荒くなり、鼓動が早くなり、体が火照り始めていた。

 それは思春期の少年の大半は経験があるだろうと思われる、ある欲望からくる感情


『えっ?もしかして今、俺…よくじ―』


 バサバサバサバサバサッ!


 突然、空から大量の鳥や虫達がこのアパート目がけて飛んできていた。

 葉はそれを見て、今度は恐怖で顔が青ざめた。


「うわっ!なんだ、アレ!!気持ちわる!!」


 葉は慌てて家の中に入り、ベランダの扉を閉めようとした時、


 ガラララッ…ピシャン!!


 お隣からも同じようにベランダの扉を閉める音がした。

 彼が無事、家の中に避難すると、向かってきた鳥や虫達は急に向きを変えて散り散りになり、そのまま見えなくなっていった。


「何だったんだ?今の…」


 葉は机の上に放置されていた冷めたカレーをレンジに入れ、温め始める。

 再び、部屋の中にカレーの良い匂いがし始める。その香りを嗅いだとき、彼は気づいた。


『そういえば、さっきの甘い香り無くなっているな…』


 彼は不思議に思ったが、温まったカレーを食べ始めた。

 外は暗くなっていた。

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