よろしくお願いします、葉さん

「あっ、どうも…」


 葉は簡単に挨拶する。

 すると、その女性は少し困った顔で話し始めた。


「本当にごめんなさい。こんな遅くに。でも、ご挨拶無しに勝手に横に入居するのも失礼と思ってしまって。ご迷惑ですよね?」


 彼女は少しシュンとなる。葉は慌てて答える。


「あっ、いえ。そんな。ご丁寧に挨拶ありがとうございます」


 それを聞き彼女は、良かった。と笑う。


 おとなりさんの突然のご挨拶。名前も年齢も分からなかったが、一つだけ確信を持って言えることがあった。


 目の前の女性は美人だ。それもとびきりの。


 服装は白ワイシャツのスカートスーツ姿。

 スカートの下から続くタイツを着用した足も魅力的だが特に目がいってしまうのは上半身胸部。

 つまり、胸である。


 そこにある双丘はワイシャツのボタンが軽く悲鳴を上げているのでは?と思うほど豊かであり、形も美しかった。

 ワイシャツの下にはピンク色のキャミソールが透けて見えており、むしろアンダーウェアが見えるより扇情的になっている。


 そして、そこに目がいかないように視線を上げると、美しい顔が視覚に入ってくる。

 眉、まつ毛は綺麗に整えられており、その瞳もずっと見ていると吸い込まれそうな程綺麗で不思議な魅力があった。

 肩まで流れている髪は艶がある黒で、それは毛先まで美しかった。

 頬は薄化粧だが、元々の素材が良いのかそれだけでも十分美しかった。


 彼は超絶美少女(性格はアレとして)の姉が近くにいるので、なかなかそれを超える女性の出会う事は少なかったが、目の前にいる女性はそれと同等、いやそれ以上の人かもしれないと葉は思った。

 しかし、彼女と姉とでは『美しさの系統』が違った。


 彼の姉が花で言うなら、彼女の花は椿みたいな感じだった。


 葉は思った。


『褒め言葉になるかわかないけど、何と言うかこの人、その』


 彼は一呼吸置いて、確信する。


『大人びて、色っぽいなぁ…』


 葉の思った通り、彼女の第一印象は可愛いでも綺麗でもなく、『大人びていて色っぽい』美しいという事には変わりないが、少し艶があるお姉様だった。そして、その容姿を最も的確に表現する言葉はとてつもなく失礼だが、


 ちょっとエッチな感じがする大人の女性だった。


 葉はしばらくその女性の顔をマジマジと見ていてしまった為、不思議に思った彼女は彼に問いかけた。


「あの…私の顔、何かついていますか?」


「あっ、いえ」


 葉は初対面の女性をジロジロと見ていた事を反省し、そして、慌てて言葉を紡ぐ。例のとびきりの笑顔を添えて。


「お隣さんがこんな綺麗な方でびっくりしてしまっただけですよ。素敵な人が引っ越しきてくれて、俺も嬉しいです」


『…何言っているの、俺?』


 彼は自分の発言を秒速で後悔した。


『お隣さんにまでこういう寒いセリフを言うのは駄目だろう…。もう嫌だな、この癖』


 彼はしばらく笑顔のまま、脳内で反省会をし、彼女の反応を窺う。彼女は少し驚いた後に、ふふっ。と笑い、艶のある口元から言葉を紡いだ。


「ありがとうございます。お上手ですね」


『…さすが、大人の女性。なんて余裕のある返しだ。そして、この笑顔。やっぱり何というか、その気は無くても変なスイッチ入りそうだな』


 葉は彼女の返答に感心した後、自分一人でさっきのセリフに対する後悔、そして眼前の女性の色香があまりにも強烈だったため、少し顔が赤くなる。


 それもその筈。ただの学生である、彼は今まで年上の人にプリンススマイルを使った例がほとんど無い。予想される効果が無いのも当然の事だった。葉はこの良い隣人となら、平穏な生活が続けられると感じた。


『こんなに大人びた人なら、俺の癖が変な方向に行くこと無いし、男女のイザコザなんて、面倒なものから無縁の生活が続けられる!やったー!!』


 彼は心の中でそっと安堵した。彼女は微笑みながら、葉に問いかけた、


「私もお隣の方が良さそうな人で良かった。あっ、もし、その、ご迷惑でなければ、一つ質問良いでしょうか?この辺りで―」


 クラッ


 目の前の美女が話をしている最中に突然、倒れた。


「ちょっ、大丈夫ですか!」


 葉はそれを全身で支える。

 彼女を良く見ると顔色も少し悪く、額に少し汗もかいていた。貧血だろうか?と彼が考えていた時に、自分の胸に何か柔らかいものが当たっている事に気付いた。


 彼女のだった。


『うわぁ、大きいなぁ。と思っていたが、ここまでとは…じゃなくて!この状態は色々マズイ!倫理的にも理性的にも』


 彼女を支えている彼の視覚内には美女の顔。その顔は少し体調不良で辛そうだったが、不謹慎とわかっていても、葉はそのハの字の眉が可愛く見えて仕方が無かった。

 嗅覚には彼女から漂う良い香りが入ってくる。つけすぎた香水の様な匂いではなく、シャンプーとトリートメントからくるほのかに香る甘い匂い。それは街中であったら、振り返ってしまうほど良い香りだった。

 聴覚は美女の荒い吐息。一定のリズムで吐き出すその吐息はどう表現していいか、わからなかったが、とにかく艶やかだった。

 そして、触覚は彼女の色々と柔らかい感触。むしろそれだけでも、葉の理性がぶっ飛びそうなレベルだった。

 人体の五感のうち、四つが目の前の美女に支配されている。理性崩壊の手前だった。


『マズい…マズい…。とは言え女の人を床に寝かせるのもアレだし…。だからと言って、この体勢も…。それになんだ?少しずつ眠くなって、力が抜けていくような…』


 葉はドキドキした感情から一転して倦怠感に切り替わりつつあった。そして、彼の謎の眠気がピークに近づき、体勢を維持し辛くなってきたその時、


「ご、ごめんなさい。突然、倒れてしまって。ちょっと貧血気味みたいで…」


 彼女は葉から慌てて離れ、その時、葉の眠気もパッと無くなった。


「あっ、いえ。俺は大丈夫ですが…。救急車呼びましょうか?」


 初めてあったお隣さんとは言え、彼は少し彼女の事が心配だった。

 人があんな急に倒れたら不安にもなる。それが女の子なら尚更だ。そう彼は思った。


「心配してくださって、ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」


 そう言うと彼女は頭を下げ、部屋から出て行こうとする。

 葉はそれを見送る前に、一つだけ彼女に質問した。


「あっ、あの!そう言えば名前をまだ聞いていませんでした。俺は『金木葉』って言います。貴方は?」


 彼女は笑顔で答えた。

 その顔はさっきの大人びた感じとは少し違って見え、花が咲いたような美しく可愛らしい笑顔だった。


「私の名前は夢見瑠璃ゆめみるりって言います。よろしくお願いします、葉さん」


 それが彼とお隣さんの初めての出会いだった。

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