悠久の時を越えて

 目が覚めた。

 また……見知らぬ天井がある。

 白い……ただ白いだけの天井。

 あの、木でできたログハウスの天井とは全く正反対の、無機質な天井。

 ここがどこかも分からない天井。


「目が、覚めたのね」


 女性の声がした。体を起こす。私が寝ていたのは、白いベッドだった。

 傍に椅子があり、そこに、アンフィスが座っている。


「アンフィス……アイサは? アイサはどうした」


「こことは違うところにいるわ」

「どこだ」


「それは、教えられないわ」


「ここは、どこだ」

「施設……ムイアンが作った、らしいわよ」

「ムイアンが?」

「ええ。三次元だけじゃなく、四次元方向も壁に囲まれてる、カミアンすら出ることのできない『牢獄』よ。ここじゃ次元シフトは使えないわ」


「カミアンを捕らえておくために作られた場所、か」

「そうね」


「あれから……どうなった」

「あの島にあった彼女達のデータ、そして彼女達自身、全て世界各国の政府に向けて公表されたわ。人工頭脳による人口抑制計画……世界中が大混乱、ね。人工頭脳『ムイアン』の使用が国際的に禁止されて、思想警察も解体されたし、C担も『闇』に葬られたわ」


「アイサに、会わせてくれ」

「それは無理よ」


「アイサはどうしてる」

「元気でやっているわ。島にいた子たちと一緒に暮らしてる」


「アイサは、私に会いたがってはいないのか?」


「いいえ」


「死んだと、伝えたのか」

「いいえ」

「では、なぜ」


「もうあの子……アナタのこと、覚えてないのよ」

「どういうことだ!」


「薬物と手術による、記憶の消去が」

「コノエ君に会わせてくれ」

「だめよ」

「やってることが、思想警察と同じじゃないか!」


「ええ、そうよ。でも、あの子たちが生きていくには、そうするしか方法が無いのよ。全てを忘れて、女性だけが暮らす場所で、穏やかな一生を送る。彼女たちが許されるのは、そういう人生だけよ」


「コノエ君を……コノエを、絶対に許さない」

「そう……」


 アンフィスが、ポケットから紙を取り出した。そこで私はようやく、彼女が着ている白い服がマタニティドレスであることに気が付いた。


「これ、渡してくれって」

「これは」

「コノエからの伝言よ」


 折りたたまれた紙を広げる。そこにはただ一行だけ、文字が書かれていた。


『許してもらおうとは思っていません。』


 私はその紙を握りしめ、そしてうなだれた。

 しばらくの間、音のない時間が過ぎていく。


 おもむろに、アンフィスが口を開いた。


「ねえ、ヤンティナ」

「……ああ」

「ここにね、赤ちゃんがいるのよ。私とコノエの子よ」


 そう言ってアンフィスは、自分の少し膨らんだお腹に手を置いた。


「ああ」

「時々ね、動くのよ」

「ああ」

「それでね、ヤンティナに、この子の名前を付けて欲しいの」


「……なぜ?」


「この子はね、アタシが知る限り初めての、カミアンと人との間の子よ。カミアンは悠久の時を生きる。でも人間はね、悠久の時を何度も何度も生まれ変わり続けるの。コノエとは違うだろうから、記憶はもうないと思うけど、でも」


 そう言ってアンフィスは、私の手を取り、自らのお腹へと導く。


「アイサって子もね、いつか必ず、誰かに生まれ変わるわ」


 トン、という音がしたように思えた。


「元気でしょう? アナタもその人と、子供を作れたら、いいわね」


 また暫く、沈黙が続く。しかし、無音ではなかった。

 微かではあるが、空気を震わす胎動。

 さっきまで聞こえることのなかった『音』が、はっきりと部屋の中に響いていた。


「性別は……分かっているのか」

「男の子よ」

「そうか」


 また静かに、その音に耳を澄ませる。

 涙が、こぼれた。

 後から後から溢れ出し、私の頬を流れ落ちる。


 私の涙が止まるまで、アンフィスは私の頭を撫で続けていた。


「レクァル」


 涙が止まった時、私はそうつぶやいた。


「……どういう、意味?」

「いや、意味はない。ただ、そういう『音』が聞こえてきただけだ」

「そう……レクァル……レクァルね。ええ、いい響きだわ。ありがとう、ヤンティナ」


 アンフィスはそう言って、微笑んだ。


「私は、いつまでここにいることになる」

「島の子たちの最後の一人が、神の御許に召されるまで、よ」

「そうか……百年弱、かな」

「そんなに長くは無いわ」

「なぜ」

「彼女たち、『普通』の人間より寿命が短く、みたいね」


 アンフィスの言葉に、私は小さく「そうか」と返事をした。


「それにしても、君はいつから一神教徒になったんだ?」

「ムイアンがいなくなって、また世界に『神』が戻ってきた。アタシもブームに乗ってみようかと思っただけよ」

「カミアンらしからぬ言葉だな」

「アナタほどじゃないわ」


 そして二人で、小さく笑い合った。

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