全てを捨てても 2
一瞬、と言えるだろうか。
ニアがムイアンの懐に飛び込み、手の甲の鉤爪で切りつける。かわしたところに、コノエの傘が突き出された。
左手のブレスレットで、何かをしたかったのだろう。ムイアンが左腕を上げた、その付け根に、ムイアンが何かするよりも前に傘の先端が突き刺さる。
その傷口から、まるで人間と同じような、赤い体液が噴き出した。しかし怯みも、苦悶の声もない。
ムイアンが右手でコノエの傘をつかむ。
そこに再びニアの鉤爪が繰り出され、ムイアンの腹を引き裂く。切り裂かれた服の切れ端が、宙に舞った。
皮一枚で避けたものの、そこにコノエが待ち構えている。ムイアンは彼によって、後ろから羽交い絞めにされてしまった。
「ふむ……こうも一方的とはな」
驚く様子も無く、ムイアンがそうこぼす。
「ニア」
コノエには、それに付き合う様子は見られない。名を呼ばれたニアが、とどめを刺すために右手の鉤爪をムイアンの腹に向けて、突き刺す……
そこでニアが、後ろへと飛びずさった。
それまでニアがいた場所をエネルギーの波動が通過していき、山肌に当たる。熱せられた岩が融け、小さな破裂を起こした。
「どういうつもりかな、ヤンティナ」
殺気を帯びた声で、ニアが私に問う。
「悪いがそこまでだ」
「ヤナさん、どうして」
コノエ青年が驚きで声を上げた瞬間、ムイアンが体をひねる。コノエ青年はそれを無理に押さえつけようとすることなく、ムイアンを突き飛ばすと、ニアの許へと跳び寄った。
「君の思い通りにさせるわけにはいかない。だからだ」
ムイアンがゆっくりと立ち上がる。腕からあふれ出る液体を気にする様子は、ない。
「ムイアンに、何を吹き込まれたんですか」
コノエのその言葉に、ムイアンはふふんと鼻を鳴らした。
「君たちはアイサを殺そうとした。何を今更」
「ヤナさん、もう知波アイサには手を出しません。貴方にも。約束します、信じてください」
「君がそういうのなら、そうかもしれない。でも、そうであっても、君たちの行為を認めることはできない」
「なぜですか」
「君たちのやろうとしていることは、あの子たちの生活を、そして人生を奪う行為だからだ」
もう、アイサの中に、ユーカナ達との生活が入り込んでしまった。あの、安心に満ちた笑顔を見た後で、それを奪い去るような行為を見過ごすことが出来ようか。
再びコノエと並んだニアは、コノエの腕を抱くと、「やれやれ」と聞こえるように声を出した。
「ヤナさん、貴方が守りたいものは何ですか」
「アイサだ」
「他の全てを捨てても、ですか?」
「ああ、そうだ」
人間がどう……私には関係ない。
「じゃあ、その子だけ守ることを考えてください。それ以上は、望みすぎだ」
しかし、『アイサの一部』であるのなら、捨てるわけにはいかない。
「初めから捨てるのと、結果的に捨てるのとは違う。コノエ君、君の守りたいものは何だ」
「恋人たちです」
「なら、他の人間がどうなってもいいだろう」
「それを守るために、人間を守ることが必要なんです」
彼も同じだろう……そう思いかけて、ふと気付く。
「それは、嘘だな、それ以上に君がやりたいのは、ムイアンの消去、ではないのか」
その言葉に、コノエ青年はしばらく口をつぐんだ。
「なぜそこまで」
「それも俺の存在理由、だからです。理由に理由はありません」
結局、彼と分かり合えることは、ないだろう。
「ニア、君がコノエ君と一緒にいるのはなぜだ?」
「ふふっ、それはね、コノエがボクの存在理由だから、だよ」
そういってニアは、コノエの肩にしなだれかかる。
「ふふふ……はっはっは!」
ここまで黙っていたムイアンが、不意に笑い声をあげた。裏も邪もない、純粋な笑い声。
「皆が皆、己の存在理由の為に命を燃やす。いい、いいではないか。それに比べ、理由も無く、ただ生きること自体が存在理由になっている人間の何と多いことか……ああ、コノエ、私はお前を壊したくて仕方がない」
場の空気が変わった。
「おしゃべりは終わりだ。次の『始まり』のために」
ムイアンがそこで言葉を止める。もう、戻せない。
「さあ、始めようか」
コノエの言葉と共に、再び時計が動き出した。
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