全てを捨てても 1

 あれから三日が経った。

 多少の警戒心を残していたアイサも、もうすっかりこの島の生活に溶け込んでいる。


 子供たちの教育はどうなっているのかと思っていたのだが、ちゃんと学習室があり、それなりの勉強はしているようだ。

 炊事洗濯をし、小さい子らを連れて島で遊び、そして星を眺めながら夜を過ごす。


 都会では考えられないようなスローライフ。

 アイサの表情が、日に日に穏やかになっていく。そこには、アイサが経験したことのない『家族の空間』があった。


 こんな一日が、一日でも長く続けばいい。


 その夜、狂おしい程に愛し合った後、アイサを見ながらそう思った。


「どこに、行くの?」


 ベッドを抜け出した私に気が付いたアイサが、身を起こしこちらを心配そうに見ている。

 ルームライトの淡いオレンジ色に浮かび上がるアイサの姿態は、これまでの子供っぽさとは違う、どこか妙に艶めかしいものを含んでいた。

 そこにふと、少しの寂しさを感じる。


「少し、風に当たってくる」


 アイサも、と言いかけて口をつぐんだアイサに近寄り、「すぐ、戻るよ」と言って額に唇を寄せた。


「どこにも、行かないよね?」


 子供の様に抱き着いて来たアイサの髪を撫でる。


「もちろんだ」


 漂う匂いは、むせるほどに甘酸っぱかった。


※ ※


 月明かりが海面に反射している。夜のしじまを破るのは、波の音だけだった。


 大きな岩の上、手を後ろに付いて座る人影がある。ブラウスとパンツのタイトな服装姿。ウェーブのかかった髪の毛が、風に揺れている。エメラルドグリーンの瞳を夜空へと向けていた。


「まだ、何か用があるのか?」


 人影に向けてそう尋ねたが、ムイアンは動くことも無く、「いや、お前にはもう用はない」と言葉を返した。


「じゃあ、そこで何してる」

「待っていたのだ」


 星影の中で、ムイアンがうっすらと笑ったように見えた。緑色に光る眼が空から下に落ち、こちらとは別の方向を向く。

 つられて向けた視線の先、波が押し寄せるきわに、二つの人影が立っていた。


 見覚えのあるシルエット。雨傘を持った青年と、ドレスをなびかせるショートボブの女。

 青年が私の方を向いている。


「ヤナさん、いたんですね」

「コノエ君……なぜ、ここに」

「キミが務めていた学校を調べた。あの子、アイサの家も、ね」


 ニアが代わりに答える。

 アイサを育てたじいや……ヒーノフと言うカミアンが何かアイサの家に残しているのではとは、思っていたのだが、結局行かずじまいだった。

 コノエ青年はその何かを見つけたのだろう。


「やっと来たか、コノエ」

「『人口抑制計画』のデータを手に入れた。早速、いくつかの政府が興味を持ってくれたぞ」

「ほう。だが、そんなものだけで、世界は動くのか?」

「『証拠』が、な。お前がやろうとしたことを世界が知ることになるんだ」


 コノエの口調は、ムイアンを問い詰めるようなものではない。勝ち誇ったものでも無い。


「やっと、この世界からお前を追い出せる。三十年前の借りを、返すぞ」


 ただ淡々と、ただただ淡々と、コノエ青年はそう言った。

 私の胸の中で、不愉快さがざわめきを立てる。


「待ちたまえ、コノエ君」


 間に割って入った私の言葉に、コノエ青年は少し意外な顔を向けた。


「何ですか」

「『証拠』と言ったな。前も言ったはずだ、アイサを利用するのは私が許さない」

「別に、もうあの子じゃなくていいんです。だから、ここに来ました」


 それはつまり、ユーカナ達を利用するということか。


 彼女たちの『秘密』を暴くことにより、人類が人工頭脳『ムイアン』の危険性を認識すれば、『ムイアン』を排除する動きが一気に起こる可能性は高い。

 もしかしたら政府の中には、ムイアンの計画に加担しているものもいたかもしれないが、ことが明らかになれば、権力者というのは末端に責任を押し付け保身を図るものである。


 AI依存の社会から脱却するのか、もしくはAIを挿げ替えるだけに終わるのか。それは私には分からない。分からないが……


 彼女たちは、どうなるのだ?


「ヤナさんは、そこで見ててください」


 もう私には興味が無い。そういう様に、コノエ青年はまたムイアンの方へと顔を向けた。


「コノエ、そんな方法では私はぬぞ。私は世界そのものなのだ。私を消したければ、世界そのものか、そうでなければ『人間』を消すがいい」

「それは後で考える。おしゃべりはもう終わりだ、ムイアン」


 コノエの言葉に、ムイアンが岩から地面へと降り立つ。


「一つ聞きたいことがある、コノエ」

「なんだ」

「もう一度死んでも、お前は私を追いかけ続けるのか?」

「お前がいる限り」

「本当にそうなのか、それが知りたい。だからもう一度、死ね」


 その言葉を合図に、私以外の三人が、動いた。

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