追憶の村 9
目の前の女性、ユーカナが放つ匂いに私が気付いてしまったことを、彼女は見逃さなかった。むせるほどの甘酸っぱさと生々しい体液のにおいが混ざった、カミアンしか気づかない匂い。
その匂いを、なぜアイサとは別の女性が放っているのだろうか。その答えは、ユーカナのスカートの中にあるのだろう。
いや、この女性だけではない。私の気のせいなどではなく、あの、シノアと呼ばれていた少女からも、やはり同じ匂いがしたのだ。
「何の、お話でしょうか。カミアンとは、何ですか?」
「視線、というものは、思う以上に相手に知られるもの。白を切るのは、無駄なことですわ」
ユーカナは、カミアンのことも、C担のことも知っている。
「私がカミアンだとしたら……どうするのですか?」
この女性は何かしら『組織』の人間だ。話の内容からは、ここは軍の施設だと……防衛軍のことか、もしくは在日米軍?
しかし、カミアンについての案件は思想警察と公安が担当しているはず。軍も絡んでいるのだろうか。
「なぜあの子を連れているのか。目的を、お話しください」
「アイサを、ですか? なぜそんなことを」
話の腰を折るつもりで逆に投げかけた質問だったが、ユーカナはそれには答えない。私が質問をすることは許さない。彼女の視線はそう言っていた。
それにしても……彼女の質問の内容は意外なものだ。この女性は、私がここに来た理由に警戒している。偶然ここに来たという私の言葉を信じていない。それは分かる。
しかし、なぜアイサのことを?
アイサが、ユーカナと同じ体を持っていることを……知っているのだろうか。
「もしやアイサを……アイサを知っているのですか、ユーカナさん」
「あの子を連れている目的を、お話しください」
……間違いない。この女性は、アイサを知っている。
「断れば?」
「あの子とは二度と会えなくなる、というだけですわ。貴方だけなら、すぐにでも逃げることができるのでしょう?」
冷たい視線が私に固定されたままでいる。警戒。ただそれだけが、彼女の視線を占めていた。
「アイサは、思想警察と公安特務課、C担に追われていました。それがなぜだかは分かりません。それを助けた、ということです」
「なぜ?」
「なぜ? 彼女にそう頼まれたからです」
「頼まれたから? それだけで?」
「ええ」
「それは、おかしいですわ」
「何がです?」
「貴方にはそうする理由がないですもの。カミアンは己の欲望に忠実に行動するもの、ですわ」
「なるほど、多分、そうなのでしょう。私は、私の欲望に忠実に行動しました。それまでの生活を捨てて。アイサを守りたい、それが私の『欲望』です」
彼女の視線をまっすぐに受け止める。私に、隠すべきことも、後ろめたいことも存在しない。
ただ、アイサを守る。それが今の私の、全てなのだから。
つと、ユーカナが私の腕を取った。
「この傷……誰に?」
「アイサを襲った、カミアンに、です」
しばらくの間、ユーカナは私の腕に巻かれた包帯を見ていた。一体、この傷に何を思うのか。不思議に思ったところで、ユーカナが視線を上げた。
「貴方は、あの子を守るとおっしゃった。他のカミアンを敵に回しても、ですか?」
「ええ、もちろん」
「あの子のために、仲間を、同族を、その全てを『排除』してでも、ですか?」
私を見つめるその瞳に、どういう感情が含まれているのか、私にはくみ取れない。その質問の意図も、よくは分からない。
「貴方には、その覚悟がありますか?」
しかし、私には目の前の女性の意図することなどどうでもよかった。そう、私には、そのために生き、そのために死ねるような、私にとってのイデーがもうあるのだから。
「その全てを排除してでも。もちろん、あなたも例外ではない。アイサと会えなくなると言いましたね。そんなことはさせない。無理やりにでも連れて行きます。私を、止められますか?」
脅し、だった。しかし、私の言葉にユーカナは、ただ微笑みを浮かべる。
「あの子は、ここに残りますわ、きっと」
「なぜ?」
「だって、あの子は……妹ですもの。私の」
妹……妹……
その言葉が私の頭をループする。そして脳内に何のイメージも生み出さないまま、消えていった。
「どういう、意味……」
理解を拒絶した脳が、別の意味を求め、そう言葉を出す。私が無意識に発したものにも、ユーカナはただ微笑みを返しただけだった。
「それは、どういう意味ですか」
彼女を問い詰めるために立ち上がる。と、それをドアから入ってきた声が遮った。
「ヤナ!」
アイサが、目を見開き、息をついて私を見つめている。
「アイサ、どうした?」
「ここ、見覚えがあるの。アイサ、ここを、知ってる……」
そのアイサの方に、ユーカナはゆっくりと顔を向けた。
「お帰りなさい、アイサ」
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