追憶の村 7

 少女からバスケットを受け取ったアイサは、少し離れたテーブルの上でその中身を取り出している。バナナと、そして包帯……

 いつの間にか私の腕に巻かれていた包帯は、この子が用意してくれたものだろうか。いや、こんな小さな子が、この島に一人でいるわけはない。他にも誰かがいるはずだ。


 それにしても……私の鼻腔を刺激するこの匂い。これは……


 アイサが?


 しかし私には、目の前の少女から漂ってきているものに思えてならない。それが示す事実を考えだそうとしたところ、突然少女が出入口へと走りだし、扉を勢いよく押し開けると、そのまま外へと走り去ってしまった。


「ヤナ、腕を出して」


 アイサが替えの包帯と消毒薬と思しき瓶を手に、私の傍に身を屈める。何かを言おうとした私を押しとどめると、腕に巻かれていた包帯を外し始めた。


「もう、傷が塞がってるね。よかった」


 安堵した様子でそうこぼす。


「人間より、治りが早いからね」

「だからといって、あんな無茶はしないで」


 アイサは少し怒った様子を見せた。

 あの状況で、ああする以外アイサを守る手を思いつかなかったのだが、それでも私は「すまない、気を付けるよ」とアイサに答えた。


 包帯、消毒薬、それに部屋の備品。南の島にいる、色白の女の子……一体ここは、どういう場所なのだろう。アイサはあまりそのことを気にしている様子を見せていない。


 アイサが包帯を巻いている間、改めて部屋を見渡してみた。もちろん、答えは出てこない。

 新しい包帯を巻き終えたアイサが、私の腕をそっと撫でる。その仕草に、少し胸を締め付けられるような思いがして、私はアイサの髪を優しく撫でた。


「ヤナ」

「なんだい」

「ありがとう。アイサを守ってくれて」


 アイサが私の腕に頬を寄せる。


「アイサのせいで、ヤナが」

「ほら、そんなことは言わない」


 アイサの髪に顔を近づけた。髪の毛にキスをしようとすると、アイサが顔を上げる。少しの間見つめ合い、そして唇を合わせた。

 軽く。

 アイサの舌が、私の唇の隙間を割って入ってくる。

 二人の舌が絡み合い、アイサが私の首に手を回した。激しさを増したキスがしばらく続く。

 ようやく離れたアイサの唇から、ふと言葉が漏れた。


「あの人」

「……誰?」


 アイサがゆっくりと私に抱き着く。


「ニアって言う人」

「あ、ああ」


 そして、その腕に少し力を込めた。


「アイサを、殺そうとしてた」

「ああ」

「なぜ?」


 なぜ、と訊かれても、アイサがカミアンにとって『邪魔者』であるから、とは答えられるわけがない。


 学校で、そしてホテルで、アイサは思想警察や公安にその身を狙われていた。しかしそれは、その後どうなるかは別にして、『身柄の確保』であったはずだ。

 ああまであからさまに、命を狙われたのは、初めてだろう。


 部屋から『跳ぶ』直前に見たコノエ青年の目……逃がさない、そういう目だった。多分彼は、どこまでも私たちを追いかけてくるだろう。感情ではない。理性で彼はそうしているのだから。

 アイサの肩が震え始めた。嗚咽が部屋に小さく響く。私はただ黙ってアイサを抱きしめ返した。


 と、キィという音がして、扉が開く。入り口に先程の少女と、そして二十代半ばだろうか、大人の女性が立っていた。

 それに気が付いたアイサが慌てて私から離れ、顔を隠して涙をふく。そして入ってきた女性の方へと近寄った。


「目が覚めたようね」

「はい、おかげさまで、ありがとうございます」


 アイサがそう返事をした相手の女性からは、年齢よりも落ち着いた印象を受ける。彼女も、ゆったりとした麻のワンピースを着ていた。少しウェーブのかかった長い髪は、やはり淡い色をしていて、肌の色は白い。

 自分が本当に『南の島』にいるのか少し不安になったところで、入り口からさらに二人の女の子が中へと入ってきた。まだ年端もゆかぬ子たちだが、背格好はおろか顔も瓜二つだ。女性の体の陰に身を隠し、私の様子をうかがっている。

 女性、少女、双子の女の子、そしてアイサが並ぶ。それを見て私は、自分の呼吸が少し荒くなるのを感じた。


 そこにいるアイサは、まるで……


「ヤナさん、少しお話、よろしいですか?」


 女性は私にも穏やかな笑顔を見せてくる。彼女の言葉に、私はうっくりとうなづいた。

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