性別Z 1
二人が消えた後、私はアイサを椅子に座らせ、変わり果てた姿になったマスターがいる部屋の中を調べた。
部屋の中にあった機器類はことごとく壊されていたが、そのどれもが、何かに押しつぶされたように不自然にひしゃげていた。
マスターは……抵抗した様子もなく、後ろから何か鋭利な刃物で首を刺されたようだ。
マスターをこのままにしておくのは忍びなかったが、どうすることもできない。これ以上得られる情報はもうないようで、私は再び店内に戻ると、茫然とした様子のアイサを連れてアパートへと向かった。
※ ※
これからどうすればいいのだろう。当てもなく、ただアパートに戻ってきたのだが、アイサはここに戻ってくる道中もずっと無言のままだった。
結局コノエ青年は、なぜアイサのことを公にすればムイアンを『消せる』のか、説明をせずに消えてしまった。いや、それをあのカミアンが止めたのだが……
「ヤナ……あの人たちも、カミアンなの?」
部屋に入った後も、アイサはしばらくの間ベッドに腰かけて、黙ったまま宙空の一点を見つめていた。それからようやく私を見上げ、口にしたのがその言葉だった。
アイサの瞳には、今までとは少し違った感情が見える。私はその感情に少し恐怖を覚えた。
「女性の方は、そうだね。でも、あの青年は違う」
コノエ青年の話を、アイサも聞いていたのだ。それまで話に出ていた『情報』というのが、まさか自分についてのことだとは思ってもみなかったに違いない。
……アイサはいったい何を思っただろうか。
コノエ青年は『その子の存在を公にする』と口にした。どう考えてもそれは、『アイサの染色体の秘密』のことだろう。ただ、アイサの秘密とムイアン、そこに一体どんな関係があるというのか……私にはわからないが、彼はそれを知っているのだ。
が、しかし、しかし……今問題なのは、それではない。アイサは気づいたはずなのだ。自分の何かが調べられたということに。
「でも、ヤナはあの人のこと、人間じゃないって」
「身体的ではなく精神的に、という意味でね」
そう答えて、さらに後悔をする。身体的に、という部分でアイサが小さく、しかしはっきりと分かるほどに反応した。
「そう……」
アイサの身体を走る震えが、どんどんと大きくなっていく。その震えを押さえようと、私はアイサを強く抱きしめた。
抵抗することも、抱擁し返すこともなく、アイサはただ私のされるがままである。そのことが却って私に更なる恐怖心を抱かせた。
「アイサは……何なの」
アイサが、ポツリとつぶやく。
「何って……」
「調べたんでしょう?」
心臓が跳ねたような気がした。アイサを抱く腕から、思わず力が抜ける。私は慌ててもう一度アイサを抱きしめたが、今度はアイサがそれを振り払った。
「アイサ……」
「何が分かったの? アイサは……何だったの?」
そう言って私を見つめたアイサの瞳には、怒りも悲しみも無く、ただ、ただ、空虚な絶望だけが広がっていた。
それを生み出した原因が、アイサに黙ってそのような行為をした私にあるのか、それとも、明かされるであろう自分の正体の予期にあるのか。私には分からなかった。いや、後者であると信じたかった。
それと同時に、自分をあざ笑う自分に気が付く。
自分が嫌われたという可能性よりも、アイサが傷ついたという可能性を信じようというのか。私は、どれほど、身勝手なのだろう。
「すまない、アイサ。黙っているつもりは」
「で? アイサは何なのよ!」
ヒステリックな声を上げたアイサは、少しハッとして、目を伏せてしまった。
もう、これ以上黙っていても、状況は悪化するばかりだ。これまでのことを正直に話そう……
「染色体を」
恐怖に体が震える。
「調べた」
アイサを怒らせる恐怖。アイサに嫌われる恐怖。そして、アイサを失う恐怖。
それらと戦いながら、私は言葉を続けた。
「一本だけ、違うらしい」
そこでアイサは、顔を背ける。しばらく、沈黙が続いた。
「違うって……」
「性染色体がね、一本、違うんだ。他の人と」
「……私の身体は、それが原因?」
「多分、そうだと思う。『一本だけ違う』ということしか分かっていないから、それ以上のことは何とも言えない」
「そう……」
そうつぶやき、またアイサはしばらく黙ってしまう。アイサがどう感じ、何を考えているのか。そのことだけが気になり、私はただ、アイサを失う恐怖に耐えるしかなかった。
「アイサは……人間じゃないのかな」
再びアイサが口を開く。
「いや、そんなことは」
「でも、『正常な』人間じゃ、ないんでしょ」
返事に窮した。
「じゃあ……人間じゃないなら、ヤナと一緒だね」
アイサがゆっくりと振り返る。そのアイサの顔を見て、私は息を飲んだ。
……私の知らないアイサがそこにいる。彼女は目を細め、そして口元に笑みを浮かべた。
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