抵抗有理 4
ガタンと、扉のところで物音がした。
振り返ると、アイサが顔を青ざめながら口元を押さえ、目を見開いて部屋の惨劇を見つめている。
「アイサ、見るな」
アイサの視界から部屋の中が消えるように素早くアイサを抱きしめたが、彼女の全身から発せられる細かい震えは、収まることなく私の腕へと伝わってきた。
「マスターが……マスターが……」
アイサの淡色の髪の毛に唇を寄せる。しかし、どんな言葉をかけていいのかわからない。私はアイサを抱きしめたまま、とりあえず店内の椅子へと連れて行った。
アイサは私の体に腕を回し、私の胸に顔をうずめたままでいる。部屋の中の惨状は、デモで見た怪我人とは次元が違っていた。だから、無理もないだろう。
私はただひたすら、アイサの髪の毛を撫で続けた。
ここは、このロクアイは、『安全地帯』では無いのだ。それをマスターは身をもって証明してしまった。
しかし……誰がマスターを殺したのだろうか。あの青年の言葉を信じるのなら、その『ムイアン』というものが殺したのかもしれないが……
どういう姿をしている? 彼は人間の姿形していると言った。そして、カミアンと同じ能力を使う、とも。馬鹿な……あのホテルで私を襲った女がムイアン? あれが人工頭脳だっていうのか?
ぐるぐると巡る私の思考を、ドアが開くカランという音が停止させた。私は咄嗟にアイサを庇いつつ、右手をドアの方へとかざす。
「待ってください」
しかし、視線の先、薄暗い店内の照明に照らし出されたのは、コノエ青年の姿だった。
「君か」
少し安堵して、手を下ろす。
「なぜ、ここへ?」
「ムイアンを追った後、そのままデモの処へ行ったので。まだ、調べたいことがあるんですよ」
そう言って彼は、店内に入ってきた。一人のようだ。
「いや、奥でマスターが……」
「ええ。俺たちがここに来た時にはもう殺されていて」
彼の言葉に、ぞくりとするような感覚が背中に走った。
もちろんというべきか、彼は知っているのだ。ここで起こったことを。それなのに……どこか他人事のような物言いだった。いや、彼にとっては他人事なのだろうが……人が一人死んでいるんだぞ?
ふと、私を抱くアイサの腕に少し力が入る。私もアイサを強く抱きしめ返した。
「誰が、マスターを」
「ムイアンですよ」
「ムイアン? なぜだ、理由が分からない。確かに彼は非合法なことをしていたが、経済的なことだ。殺されるほどのものではない。それに、ムイアンというのは、あの人工頭脳のことなんだろう? 肉体を持っているというのはどうなんだ? 人間を殺すのか?」
現代社会は『ムイアン』という人工頭脳が国家の政策から地域の安全まで管理しているのだ。彼が言う『ムイアン』というのが、この世界で稼働している人工頭脳のことを指しているのであれば、それが人間を殺したとなると……大ごとである。
「それはですね」
「……君たちではないのか?」
私は、何事かを説明しようとした彼の言葉を遮った。コノエ青年が怪訝な表情を見せる。
「何がです?」
「マスターを、殺したのは」
私の言葉に、彼は少し驚いた表情を見せた。しかし、その表情が少しわざとらしく見えたのは、私の考え過ぎだろうか?
「俺たちが、ですか? それこそ理由がありませんよ」
彼はすぐに真顔に戻ると、何か抗弁をするわけでもなく、ただそうとだけ答える。
「紅蜥会を潰したのは君たちだろう? マスターは紅蜥会と繋がっていた」
「確かに紅蜥会を潰したのは俺たちです。でもそれは、彼らをこの島から追い出したというだけのことです。人間は、殺していませんよ」
またぞくりとした感覚が、背中に走った。
この青年は、ホテルで襲ってきたあの女と同じ『におい』がする。いや、逆だ。においがしないのだ。
この青年は、余りにも『人間くささ』に欠けている……
「そもそも国家を動かしているような人工頭脳が、たかだか裏社会とつながっているだけの男をわざわざ殺すとは考えられない。それならば、世界中の反社会勢力が、ムイアンに殺されているはずだ」
疑いの視線を強めた私を見て、彼は少し、笑った。
「彼は、それ以上のことをしようとしたんですよ」
「それ以上?」
「ええ。さっきお見せした紙に書いてあったもの。あれが何か、貴方は知ってますよね?」
あの紙に書いてあったものは……アイサの、染色体を検査したものだ。ただ単に、アイサが人間とは違う性染色体を持っている、ということが分かっただけの。
「あれがどうかしたのか」
「あれが」
コノエ青年は、そこで一旦言葉を切ると、目を細めて、口の両端を更に上へと上げた。
「ムイアンが消したかったもの。そして、俺が欲しかったもの、なんですよ」
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