抵抗有理 3

「私が勤めていた高校の生徒だ」


 女の視線を正面から受け止め、私はそう答えた。


「ふーん、それがなぜ、ここにいるのかな?」

「思想警察に追われていた。だから私が助けた。それだけだ」


 私の言葉に、さらに何か言おうとした女を、コノエが手で制止する。


「これを」


 その手をそのままジャケットの懐に入れると、コノエは一枚の紙を取り出した。それを私の方へと差し出す。訳もわからずそれを受け取ったが、すぐに、その紙についていた血のりに気が付いた。

 はっとして目の前の青年を見る。

 短めに揃えた黒い髪。はっきりとした二重瞼の目は、少し目じりが下がり気味で、やや上がり気味の眉とは対照的だ。どこかしら幼さの残る顔立ちでありながら、その目はどことなく達観した者が持つもののようであった。

 受け取った紙を広げてみる。

 

 紙には、一見何の意味もない文字の羅列が書いてあった。1から46までの番号。そして、その一つ一つの右横にならぶ『ACVMPHSHHH』という文字。一番下の列、46番だけには、その文字列の代わりに『?』が一つ付いていた。


「これを、どこで」

「ムイアンがいた、あるバーで」


 コノエの言葉に、全身から血の気が引いていく。


「この……血は?」


 その問いに、コノエは何も答えようとはしなかった。


 この青年は、なんと残酷な眼をしているのだろう……


 私は何も言わずにその場を離れると、バリケードを越えてアイサの許へと走った。


※ ※


「ヤナ!」


 私を認めたアイサが、嬉しそうに声を上げる。その横で、あの女性が未だ残る怪我人の手当てをしていた。更にその傍では、ガスマスクを外したユウトが、その様子を覗き込んでいた。


「ああ、兄さんやないか、さっきはありがとうな」


 ユウトが人懐っこそうな顔をこちらに向ける。


「ユウトから聞きました。本当に、ありがとうございます」


 応急手当が終わったのだろうか、手当てされていた人を別の人間に預けると、その女性は感謝の言葉とともに頭を下げた。


「いや、こちらこそ、アイサの面倒を見てくれてありがとう」

「いえいえ、アイサちゃんには手伝ってもらってましたから」

「ヤナ、サヤカさんって看護学部なんだって!」


 救急救命という程ではないだろうが、『医療の現場』を垣間見たアイサは、どこか高揚した様子を見せていた。彼女にはいい経験になったかもしれない。

 しかし……


「アイサ、すまないが、ちょっと一緒に来てくれないか」


 私のただならぬ様子が分かったのだろう。アイサは、表情からそんな高揚感をさっと消すと、しっかりした眼差しで私を見つめた。


「うん、分かった」


※ ※


 アイサの手を引っ張り、バー『パレンケ』へと走る。解散したデモ隊は、思い思いの方向へと消えていっていたが、繁華街の方には誰も来ていないようで、土曜の夜にもかかわらず店の周囲に人はいなかった。


「マスター!」


 店のドアをやや乱暴に開けて中に入ったが、カウンターにマスターの姿はない。ただ、奥の部屋への扉が開けっぱなしになっていた。


「マスター!」


 もう一度声を掛けてみるが、返事はない。そのまま、部屋の中へと入る。


「入るな!」


 しかし部屋の中を見た瞬間、私はアイサにそう叫ぶ。

 視線の先には、血の海の中に突っ伏して、もう動かなくなったマスターの姿があった。

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