雨傘の少年 3

 ガスマスクの青年を見送った後、私は彼が話しかけていた女性に気になっていたことを尋ねた。


「コノエという少年は、ここに来てないのか?」

「少年? コノエならもう大学生よ」


 彼女は、負傷している人の傷口周辺の服を破り、届いた消毒薬を使って手際よく手当てをしている。随分と手慣れた手つきだった。


「君たちは、何のためにこのデモを?」

「『情報の自由』、要求はそれだけ。ねえ、もっと包帯をちょうだい!」

「情報の自由?」

「そうよ。今、忙しいから後にして」


 目の前の女性は、どうも『救護班』のリーダーのようで、周囲の者に次々と指示を出している。マスクで顔が半分隠れているが、彼女も大学生くらいのように見えた。

 改めて周囲を見回してみる。彼女と同じように怪我人の手当てをしている者、物を運んでいる者、周囲の様子を見ている者、ほとんどの者が『若者』だった。

 皆一様に殺気立っているように見える。


 ここに、『コノエ』という人物がいないのであれば、ここにいる必要はない。そう思ってアイサを連れて人混みから離れようとしたが、ちょうどそこで、連続する複数の破裂音が橋の方で鳴り響いた。その音はさらに続き、その後、あの異臭が辺りに立ち込める。


「これは……」


 残念ながら、橋の方の様子はここからでは見えなかった。


「催涙弾の臭いよ。あんまり嗅ぐと鼻をやられるから、マスクをした方がいいわ。目もね」


 橋の方をうかがっていた私に、さっきの女性が声を掛けてくる。


「マスクを持ってない」

「じゃあ、早くここから逃げて」

「相手は誰だ?」

「公安の機動隊よ、多分。デモ隊が橋を通ろうとすると、妨害にやってくるのよ」


 怪我人の手当を続けながらも、彼女は私にそう教えてくれた。

 と、そこにまた、両脇を抱えられて別の人間が運ばれてくる。男性のようで、さっきの若者と同じように、ガスマスクを着けていた。


「どうしたの!」

「ケンジが撃たれた! 催涙弾じゃない」


 ぐったりとしている男性が横にされる。着ていたシャツがまくり上げられると、お腹が紫色に腫れ上がっていた。


「なによこれ……」


 惨たらしい傷跡に、手当をしようとした女性の手が止まる。


「これはビーンバック弾だ」

「なにそれ?」


 思わずつぶやいた私の言葉に、彼女が眉をひそめて私を見た。


「テロリスト鎮圧用に使われるものだ」


 私の知る限り、思想警察の特殊部隊しか装備していないはずだ……


「ひどい……」

「武勇班が火炎瓶を使い出した。機動隊を本気にさせたみたいだ。後方はもう逃げたほうがいい!」


 怪我人を連れてきた男が、彼女に向けて半ば怒鳴るように叫ぶ。


「そんな、武勇班を見捨てていくの?」

「俺たちではどうしようもないだろ」

「ユウトが前線に行ってるのに」

「全員で捕まれっていうのか?」


 二人の言い争いを見ている周りの人間に、動揺が広がるのが見て取れた。


「さっき、橋の方へ戻っていった彼がユウト君かな?」

「そうよ」


 再び私を見た彼女の眼は、今にも泣き出しそうなものに変わっている。


 どうするべきか……


 状況を横で見ていたアイサに目を移した。惨状を目の前にしている割には、アイサはしっかりとした視線で私を見つめ返している。そして、恐る恐る手を伸ばすと、私の袖をつかんだ。


「ヤナ……助けてあげて」

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