雨傘の少年 2

「大丈夫かい?」


 私はアイサの手を引きながら、通りをセンターブリッジの方へと走る。

 あの後部屋に戻った私を、服を着終わったアイサが少し不安げに出迎えたのだが、そのままアイサを外へと連れ出した。

 連れていくリスクと、アイサ一人を部屋に残すリスクを天秤にかけた結果、私は前者を取ったのだ。


「うん。何だか、飛んでるみたい」


 『重力制御』で、アイサの身体にかかる重力の影響を減らしてあげている。体力的には問題ないだろうが……


 センターブリッジで起こっていることは、マスターが言っていた『デモ』に違いない。しかし、火の手が上がるなんて様子は随分と不穏であり、マスターが『戦場になる』と言っていた言葉が思い起こされた。

 危険極まりないことではあるが……『少年』に会わなければならない。きっとデモ隊の中にいるはずだ。


「ヤナ、あれ」


 ここまで出歩いている人を見かけなかったが、センターブリッジに近づいてきたところで、前方に人がいるのが見えてきた。そこで走るのをやめる。


「そういえば、そもそも何のデモか、聞くのを忘れてたな」

「デモというからには、何かの要求?」

「そうだろうね……」


 アイサと顔を見合わせるが、もちろん答えなど出てきはしない。しかし、様子を見ながら近寄っていくうち、やや切迫した声がはっきりと聞き取れるようになってきた。


「おい、消毒薬を、早く!」

「こっちもよ! 救護班、来てちょうだい!」


 人だかりができたところから声が飛び、何人かが慌ただしく走っている。更に近寄ろうとした時、かすかな異臭が鼻を刺激するのを感じた。


「アイサ、何か臭うかい?」

「うん……ちょっと、臭いね」


 嗅いだことのない臭いで、鼻の中がピリピリしだす。アイサが顔をしかめた。


「これを」


 私はスーツのポケットからハンカチを取り出し、アイサに差し出す。


「鼻に当てて」

「うん……ヤナは?」

「私は大丈夫だよ」


 アイサがハンカチで顔の下半分を押さえたのを確認して、私たちは人だかりの方へと近づいた。

 人だかりは二つ、どちらも倒れている人間を介抱しているようだ。驚いたことに、皆、黒いマスクをしていた。


「やばい、武勇班が押されとる」


 更に一人橋の方からやってきて、叫びながらその人だかりに加わった。それを見て私は一瞬ぎょっとする。街灯の光に、ガスマスクを被った人物が浮かび上がった。

 と、手当てを受けていた人物が苦悶の声を上げる。随分酷い火傷を負っているようだ。


「大丈夫か?」


 声を掛けると、周囲の視線が私に集まった。ガスマスクの人物が、驚いたような声を発する。


「お前、そんな恰好で何しとんねん」


 ガスマスクの下から聞こえたのは、若い男性の声だった。


「何って、火の手が上がるのを見たので、何事かと」

「知らんのに来たんか?」

「あ、ああ……」


 何となく肯定すると、ガスマスクの男は傍にいた黒マスク姿の女性と目を合わせ、再び私に視線を戻す。


「他所もんがこんなとこ来たらあかん。危ないから逃げとき」

「しかし、その人はケガをしている」

「催涙弾の直撃や。今日はいつもより激しいで……まずいわ、まずいわ、おい、コノエとニアさんはどこ行ったんや。このままやと、突破されるで!」


 ガスマスクの男は、声を掛ける対象を私から女性へと移した。


「それが、まだ戻ってこないのよ」


 女性が悲痛な声で答える。


「何しとんねん。ちょう、『前線』戻るわ。手当頼んだで」

「分かった、気を付けて!」

「おう!」


 女性に向けてそう返事をすると、ガスマスクの若者は、再び橋の方へと走っていった。

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