愛すべき理由 5

「アイサ……どうかした?」


 そう尋ねたものの、何かしらアイサのただならぬ雰囲気が、ガラス越しにも伝わってくる。

 と、浴室の電灯が何の前触れもなく消えた。


「アイサ?」


 外を覗こうとシャワーを止めた瞬間、浴室のドアが開く。蛍光電灯の薄い残り灯の中、一糸まとわぬアイサが、うつむいた姿で私の目の前にいた。

 右手で胸を、そして左手で私に見せたくない部分を隠している。シャワーから滴る雫が床を打つ音に、アイサの吐息が混じり、浴室に響いた。


「一緒に、シャワーを浴びるかい?」


 アイサも、もう子供ではないのだ。そうするためにアイサが目の前にいるわけではないのだろう。それが分かっていても、この場の空気を壊すような言葉しか口から出てこなかった。


「ヤナは……」


 しかし私のそんな言葉が、アイサの『スイッチ』を押してしまったようだ。


「なぜアイサを守ってくれるの?」

「それは……」

「アイサがあの人たちに連れていかれると、ヤナの身が危なくなるから?」


 あのC担の女に『カミアン狩り』という話をしたのを、アイサは聞いていた。普通に考えれば、そういう『疑い』を持つことは自然の成り行きだと言えよう。


「違うよ」

「じゃあなぜ?」

「アイサを守りたいと思ったから」

「なぜ?……ヤナは、アイサのこと、好き?」

「もちろん、好きだよ」


 そう答えて、心のどこかを針がえぐるような痛みを感じた。

 人間を好きになるという感情を、私はもうとっくの昔に忘れてしまっているのだ。いや、そんな感情を抱いたことがあるのかさえ、もう思い出すことはできない。

 アイサのことを守りたいとは思っていても、アイサのことを『好き』かどうかは、自分でもわからなかった。


「ほんとに? アイサの胸が……こんなに小さくても?」


 アイサが右手を下ろす。盛り上がりをほとんど感じさせない小さな胸が、私の前にさらされた。


「あ、ああ。べ、別に小さくてもいいんじゃないかな。ほら、女の子の胸って、大きさじゃなくて、か……」


 感度、と言おうとしてやめた。人間になりたいと思い、人間のことを様々な方法で調べた結果の、ソース不明の耳学問。アイサの口から発せられるであろう次の言葉を封じるためだけに発した言葉は、二人の間の空気の表面を滑るだけ滑って消えていった。

 薄明りの中、アイサが上目遣いで私を見る。その瞳を見た瞬間、私は自分が致命的な失敗を犯したことに気が付いた。この後に出るであろうアイサの言葉を止めるような気のきいたセリフは、私の語彙の箱には、無い。

 私を上目遣いで見据えたまま、アイサはゆっくりと口を開いた。


「アイサは……女の子なの?」

「あ、いや、も、もちろんそうだ、と思うよ」

「でも、アイサのは……」


 アイサが再び、視線を落とす。


「こう、なの」


 制止する暇もなく、アイサは自らの左手も下へと下した。本来、陰核があるであろう場所から前へと突き出た親指ほどの突起と、その下から斜め下へと垂れ下がる構造物。次第に薄れていく蛍光の残り灯の中、それらが作る影だけが、異様に黒く浮き上がって見えた。


「そ、それは……」

「アイサは本当に、女の子なの?」

「アイサが自分をそう思っているのなら、もちろん女の子だよ」

「……分からないの。アイサ、自分が何なのか、分からないの」

「大丈夫、ちゃんと女の子だ」

「じゃあ、それを証明して、ヤナ」


 顔を上げたアイサ。何も言えずに立ちすくむ私にゆっくり近寄ると、私の顔に両手を伸ばす。その暗赤色の瞳が、焦点を失った。


「アイサと、一つになって」

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