愛すべき理由 4
パスタを食べ終えると、私たちはマスターに礼を言って、もちろんお金は払った後にバーを出た。部屋の備品としばらくの生活品を買うためにイーストアイランドにあるショッピングモールへと足を運んだのだが、『次元シフト』をするには辺りが明るく人目に付きすぎるのと、アイサの体調が心配なため、自動運転タクシーを使う。
物珍しそうに車内を見回すアイサに気が付き、声を掛けた。
「乗ったことない?」
「家と学校の往復しかしなかったから」
これまでアイサがどういう生活を送ってきたのか、詳しくは聞いていない。それをしようとも思わない。ただ、アイサの両親、つまり『生みの親』については、やはり聞かなければならないだろう。
「アイサはご両親、えっと、本当のご両親を知っているのかい?」
恐る恐る聞いた私に、アイサは首を振って答えた。
「アイサが小さい時に死んだって」
「じいやが?」
「うん」
「そっか……写真かなんかは?」
「残ってないって」
悲しげな表情をするアイサを見て、私はここでこの話題を切り上げることにする。これ以上アイサに聞いても、分かることはほとんどなさそうだった。
役所のデータベースを探れば何かわかるかもしれないが、それをすることによるリスク、つまりC担に気づかれることは避けたかったし、マスターに頼むことも、アイサについてのことだけに、したくはない。
アイサの『過去』については、一旦置いておくことにした。
ショッピングモールでいくつかの物を購入した後、まっすぐアパートに帰る。一番大きなものは冷蔵庫だったが、それは明日運んでもらうことにした。
アパートに到着した時には、そろそろ夕方になろうかという時間で、部屋に戻ると郵便受けに紙が二枚、それぞれ水道とガスの開栓を伝えるものが入っていた。洗面所に行き、水が出るのを確かめる。
「マスターが手配してくれたみたいだ。トイレもシャワーも使えるよ」
そう言ってリビングに戻ると、アイサは買ってきた当面の服と着替えを備え付けのクローゼットにしまっていた。
軽い悲鳴を上げて、アイサが手に持っているものを後ろに隠す。それは、ショッピングモールで唯一私と離れて購入していた下着のようだった。
「ご、ごめん」
「う、ううん、いいの」
「えっと、じゃあ、私は少しシャワーを浴びることにするよ。アイサが使った棚は、分かるようにしておいてくれるかな」
アイサの『身体』についての話題になることを、無意識に避けようとする自分を意識しつつ、私は逃げるように浴室へと向かった。
服を脱いだところで、洗濯機を買うべきだったことに気が付く。とりあえず脱いだものを床に置き、私は浴室でシャワーを浴び始めた。
少し温めのお湯を浴びながら、昨日からのことを思い起こしてみる。してしまったことを後悔しても仕方がない。本当にこれでよかったのかも、考えた上での行動だったはずだ。それを飲み込んだ上で未来を見た時……もしも、アイサが私から離れたいと思うようになったら、私は何を思うのだろうか。
一度手にしたものを手放す……そのやるせなさを私はかつて、遥か昔に、経験したことがあった。それがどのようなものであったのか、もう今となっては記憶の片隅にも残っていない。ただ、その『やるせなさ』だけが、私の精神に焼き印となって刻まれていた。それゆえ、人間とはなるべく『接触』せずに生きてきたのだ。
「それをまた……私は経験しようとしているのか?」
有限の時間を生きる人間と、悠久の時を生きるカミアン。その交わりは常に、『死』という結末によって、カミアンが置き去りにされるのだから。
『カミアンにはカミアンのいるべき世界がある。人間に干渉してはいけない』
あの女……エメラルドグリーンの瞳を持ち、自ら人間でないことを口にしてはばからなかった。しかし、カミアンでもないという。
では、何者なのだ?
ふと、浴室のドアの外に気配を感じ、視線を向ける。
「ヤナ」
スモークのかかったガラス張りのドアの向こう、アイサのシルエットが儚く揺れていた。
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