催涙弾の降る街 8
呼ばれて入った六畳くらいの広さの部屋には、一見それが何なのか見当もつかないような、様々な機器が並んでいる。それらは大抵四角い箱型なのだが、そこから伸びたコードは全て、部屋の隅にあるコンピューターにつながっていた。
「これを見てみろ」
マスターは私を見ながら、デスクの上に設置されたモニターを指差す。覗き込んだ画面には1から46までの番号が縦に並んでいて、その一つ一つの右横には全て同じ文字の羅列、『ACVMPHSHHH』と書いてあった。
いや……一番下の列、四六番だけには、それがない。代わりに『?』が一つ付いていた。
「マスター、これ、染色体データだね。このハテナマークは……」
そう問いかけた私に、マスターは微妙な表情を向けた。
「アンノウン。該当データなしってやつだ」
「なし?」
「あのお嬢ちゃんが持ってる染色体の内、四十六番目だけが」
そこでマスターは一呼吸置く。
「データベースにあるどの生物のものでもねえってことよ」
私とマスターは、目を合わしたまましばらく無言でいた。
「四十六番目ってことは……性染色体?」
「そうだ」
「四十五番目は?」
「これは人間のもの、X染色体だな。他の染色体には、特に変わったところはねえ」
「つまり、彼女はXX型(女)でもXY型(男)でもないってこと?」
「そうだな。あえて言うならXZ型、か」
ホテルでの出来事が、頭の中をよぎっていった。
「なんか、心当たりがあるみてえだな」
言葉を止めて考え込んだ私の様子を見て、マスターが勘繰りの言葉をかけてくる。しかし私は、それには答えなかった。
「変異か何かかな?」
「それならそうと分かる。そうじゃねえってことだ」
「考えられることは?」
「それ以上は、DNAを詳しく調べてみねえと分からねえな」
そう言ってマスターは肩をすくめた。
「どうする。もっと調べるか?」
「いや、ありがとう。もうそれでいい」
結果がどうであっても、染色体だけを調べるつもりだった。つまり、アイサが人間か否か。ただ結果としては、判断しにくいものだった。
染色体が一本だけ人間と違っている。あのアイサの身体はその結果なのだろう。
「お前さん、あの子をどうするんだ?」
「どうもしない。あの子を守る。そう約束したから」
「だがな、あの子は普通じゃ……」
「あの子はあの子だよ。どうであるかは関係ない」
もう歩き始めた道だ。引き返すことはできない。その気もない。守ることはもちろんだったが、アイサが幸せに暮らせるようになる為に傍にいるつもりだった。
しかし……彼女にとっての幸せとは何なのだろうか。
左手のひらを見る。ホテルで私たちを襲撃してきたあの女のことを思い出した。
あの女の投げたナイフは、ME変換フィールドを貫通してきたのだ。あの女が本当にC担なのだとしたら……対カミアン用の装備があるということだ。
私がアイサと一緒にいることが、本当にアイサの幸せにつながるのだろうか?
「ケガしてるじゃねえか」
「ああ、大丈夫。もう傷はふさがってるから」
「お前さんに手傷を負わせるなんざ、まともな奴じゃねえな」
「まあ、そうだね」
彼女はアイサに『除染』を行うと言っていた。しかし、思想警察に連行された者の末路は、残念ながら聞いたことがない。それはつまり、彼らにアイサを渡しても、アイサが幸せになる保証はどこにもないということなのだ。
「ほらよ」
マスターが何かを私に向けて放り投げた。それを右手でつかみ、確かめてみる。見たことのあるようなカギだった
「しばらくそこを使え。ベッドしかねえから、シーツだけは一つ持ってくといい」
「ここ、空いてるの?」
「ああ。場所は覚えてるだろ?」
かつて私が住んでいた、小さなアパート。その部屋のカギだった。
「ありがとう」
「当面の金は工面してやるから、明日また寄ると良い。無理はすんなよ」
「分かってる」
マスターにそう返すと、私はアイサを見に二階へと上がった。
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