催涙弾の降る街 5

 私たちが降り立ったのは、六つある中でも一番大きな人工島の、目についた広い公園の一つだった。

 ここからどこへ、と言っても当てはほとんどない。辺りの様子は、私がこの場所から出ていった五年前からあまり変わってないような気がした。

 とりあえずの記憶を頼りに、調子の悪そうなアイサを気遣いながら、私は繁華街だった場所へと向かう。そしてその外れの、まさに場末ともいうべき通りにあったバーの前へとたどり着いた。

 不思議だったのは、いかな場末とはいえ、そしてこの時間だとは言え、ここに来るまでに誰一人とも会わなかったことだ。繁華街付近は、平日の深夜ですら、合法違法を問わない娯楽に興じる人間であふれかえっていたはずなのだが……


 薄汚れたドアには、素っ気なく『BAR パレンケ』とだけ書いてある。やっているかもわからないような店だったが、私は構わずドアの取っ手を引っ張った。


 カラン


 古典的な音が、中に居る人間に来客を告げる。


「すまんが、もう閉店だ」


 入るや否や、濁声が私たちを迎えた。


「ピニャ・カラーダを、ココナッツ抜きで」


 薄暗い店内のカウンターの中でしかめっ面をしながらグラスを拭いている初老の男に向けて、私はそう告げる。白髪頭が頭頂部で薄くなっているその男は、視線を私の方に向けた後、眉だけを少し動かした。


「また懐かしい顔じゃねえか。今更何しに来た」


 棘を含んだ物言いは、この男、パレンケのマスターの昔からのものだ。


「変わってないね、マスター」

「変わってねえと思うなら、そりゃお前さんが変わったんだろうよ」

「何かあった?」

「あったも何も……って、なんだそりゃ」


 ぶっきら棒に対応していたマスターは、私の後ろにいたアイサに気付くと、不思議そうな声を上げた。


「ちょっと、ね。落ち着ける場所を探してる。どこか無いかな」

「ロクアイでか?」


 私は黙ってうなずいた。


「全うな生活をしに出てったんじゃねえのかよ」

「そのつもりだったんだけど」


 私に寄り掛かり、目をつむりながら気分の悪さに耐えているアイサを、マスターが怪訝な表情でしげしげと見つめる。


「まだガキじゃねえか。誘拐じゃねえだろうな」


 その言葉にどう返していいか分からなかった。微妙な表情をしてしまった私を見て、マスターもまた得も言われぬ微妙な表情を浮かべる。


「おいおい、冗談だろ……」

「少なくとも、追われていることに、違いはないかな」

「勘弁しろよ、ったく……」


 そう言いながらマスターは、手にしていたグラスをカウンターに置き、改めてアイサを観察しだした。


「なんだ、お嬢ちゃん、随分具合悪そうだな」

「そうなんだ。だから、ゆっくり休めるところと……できれば、しばらく住めるところを探してる」


 私のその返事に、マスターがこれまでで一番驚いた顔を見せた。


「おいおい、ヤナ、本気で言ってるのか?」

「ああ、本気だよ、マスター」

「そうか! あ、いや……」


 一瞬、マスターの顔が明るくなったが、すぐにまたしかめっ面に戻ってしまった。


「マスター、確かに自分勝手に出て行ったのは悪かったと思ってる。でも」


 マスターの反応に、慌ててこの街を捨てた言い訳をしようとした私を、マスターは手を振って制止した。


「いや、そうじゃねえ」


 歯にものが挟まったようなマスターの物言いに、今度は私の方が怪訝な表情になる。


「じゃあ、何?」

「やっぱり『外』の世界には伝わってないのか」

「……何が?」


 そう聞き返すと、マスターは一つ溜め息をついて右の眉だけを上げた。


「ここはもう、昔のロクアイじゃねえんだ。週末になるとな、『雨』が降る」

「雨?」

「ああ、『催涙弾』の雨が、な」

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