催涙弾の降る街 4

 廊下に飛び出しあらん限りの声で叫んだアイサに向けて、しかし女は、何の感動もないような冷たい視線を送った。


知波ちばアイサ。貴女は『異常ミーム』に汚染されている。だからそんな考えを持ってしまうのだ。早く『除染』を」

「アイサは、異常なんかじゃないもん!」


 女の言葉を遮って、再びアイサが声を上げる。女の、エメラルドグリーンの瞳がチカチカと光を点滅させた。


 この目……人間のものではない?


「この子が望んでない以上、悪いがこの子は渡せない。このまま私が連れていく」


 そう言って私は、アイサを自分の背後に隠すように、後ずさりをした。


「全く、愚かな存在だな。人間も、カミアンも」


 嘲笑。そんなニュアンスを含んだ言葉だったが、女の表情には全く変化はない。ぞくりとした感覚を背筋に覚えつつ、部屋の扉へと更に後ずさった。

 女が右手を腰に当てる。


「まるで自分が人間でもないような口ぶりだな」


 投げかけた言葉に、初めて女が笑った。


「ああ、そうだとも」


 その言葉とともに女の右手が動く。同時に左手を前にかざしたが、女の右手から放たれた銀色のナイフが、運動エネルギーを失うことなく、私の左手のひらに突き刺さった。

 激痛に、思わず手をやったが、そのナイフはワイヤーによってまた女の手の中へと戻っていく。抜かれたナイフの痕から、真っ赤な血がこぼれ落ちた。


「ヤナ!」

「大丈夫、中へ」


 後ろからのアイサの声を制止し、右手の人差し指から女へとエネルギーを放ったが、女は再びそれを左手で受け流す。

 その隙に、アイサ共々部屋へと入り、ドアを閉めた。


「ヤナ……」


 心配そうに私を見つめるアイサ。

 私はこの子と……離れたくはない。その衝動が私を突き動かす。


「ごめん」


 そうアイサに声を掛けると、私は傷口に口を当ててあふれ出る血液を口に含み、そのままアイサの唇を奪った。

 軽く驚きの声を上げたアイサは、しかしすぐにそのかわいらしい唇を開く。私の口からアイサの口の中へと移された血液が、ゴクンという音とともに、アイサの体の中へと入っていった。


 激しい音とともにドアが開いた。踏み込んできた女と目が合う。女の右手から放たれた銀色のナイフが私の目前へと迫るのを見つめながら、私はアイサを抱いて、四次元空間へと『シフトイン』した。


※ ※


 ロクアイ。

 大小六つの人工島で構成されている都市で、旧関西、現在の第三管区に属している。光陽女学院のあった第一管区、つまり旧関東からは五百キロほどの距離だ。


 四次元空間からロクアイ上空へと『シフトアウト』すると、眼下には、真っ暗に広がる深夜の海と、夜景が広がる人工島が見えた。もう深夜の二時を回っている頃だろうが、この時間でも人が活動しているのは、昔と変わっていなかった。

 どんな人間かは、この際置いておこう。


 重力制御でゆっくりと光の余りない、つまり人気のなさそうな方へと降りていく。抱きかかえられながら、私の首にしっかりとつかまっていたアイサが、少し苦しげな息を吐いた。


「大丈夫か?」


 生身の人間にとって四次元空間を移動する『次元シフト』は、深刻なダメージを引き起こす行為だ。それを緩和するための『カミアンの血』だったのだが、アイサの体中に十分回らない内に『跳んで』しまったため、彼女の体に何かしらの影響を与えてしまった可能性が高い。


「頭が……揺れてる……」


 返事を返せるだけの意識はあるようだ。


「どこかで休もうか」


 少し胸をなでおろしつつ、アイサに余計な負担を掛けないように、私はゆっくり、ゆっくりと街に向けて高度を下げていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る