催涙弾の降る街 2

「えっと、とりあえず今は、血だけでいいんだよ」


 私は少し苦笑いをしながら、諭すようにアイサに微笑んだ。しかしアイサは、まるで何かのスイッチが入ったかのように、私の顔を自分の方へと引き寄せる。


「アイサに、ヤナのを飲ませて……」


 その声の誘惑は、魔法よりも強力で抗いがたい。二人の距離が縮まり、唇と唇が触れ合おうとしたその時、私は部屋の外、ホテルの廊下に響くかすかな、普通では聞き取ることができないような物音を感じ取った。

 アイサの口に人差し指を当てる。


「静かに。外がおかしい」

「ヤナ……」

「ここにいて」


 アイサの瞳に不安の影がよぎる。私は、ドアへとそっと近づき様子をうかがおうとしたが、その先手を打つかのように、ドアのロックが外れる音が響いた。

 そしてドアが開く。

 その瞬間、私はそのドアを蹴り戻した。中へと入ろうとした侵入者が両手だけドアに挟まれ、驚きの声を上げる。

 手には銃のようなもの、そしてその腕には……皮膚を覆う黒く硬い籠手。


 装甲服……


 ドアをもう一度開け、今度は体重を乗せてドアを閉める。防火用の金属板が張られた重いドアが勢いよく侵入者の腕に食い込むと、ドアの向こうから苦悶の声が上がり、銃のようなものが侵入者の手を離れて床に落ちた。

 そのままドアを開け放ち、侵入者の頭を廊下の壁に叩きつける。さしもの装甲服でも、直接の衝撃は中の人間へと伝わるのだ。そのまま崩れ落ちる侵入者の顔から、防護用ヘルメットをはぎ取った。


 見知らぬ男。もう一撃加えようとして、廊下の先にいる別の気配に気が付いた。装甲服のゴーグルの奥で光る眼と私の目が合う。


 破裂音がしたのと、私が咄嗟に右手を差し出したのが、ほぼ同時だった。右手のひらのすぐ先で、小さい布の袋が運動エネルギーを失い、そのまま重力に従って廊下に落ちる。カシャンという金属的な落下音が廊下に響き、袋のようなものから金属の丸い弾がこぼれ出した。


 ビーンバッグ弾……思想警察の特殊部隊か!


 落ちたものを拾おうとした私の視界の端に、撃った隊員がそのままこちらに突っ込んでくるのが見えた。


 私の能力を見ても、驚いてない?


 警棒のようなものを取り出し、私に向かって突き出す。拾う動作を途中で中断し、相手に向けて一歩前に出ると、警棒を掻い潜ってその懐へと入り、肩でその突進を受け止めた。そのまま相手を押し返す。バランスを失った相手の腹に蹴りを入れて距離を離すと、右手で素早く床に落ちていた金属の小さな弾を一つ拾い、それを握り締めながら人差し指を相手に向けて突き出した。


 私の手の中で、その金属の内の微小な質量の一部がエネルギーへと変換され、人差し指を媒体として、光線となって射出される。それが相手の右腕を撃ち抜いた。

 装甲服の表面に高熱によって赤くなった穴が開く。遅れて血が噴き出すと同時に、侵入者は苦悶の叫び声をあげて床に転がった。

 

「ヤナ!」


 音を聞きつけたのか、アイサが部屋から顔を出す。


「ダメだ、部屋の中に」


 振り返ってアイサに声を掛けた。少し怯えた様子の彼女の視線が、足元に転がっている者から、廊下の中ほどで血を流している者へと移る。そしてさらにその先へと……

 アイサのその視線の動きに気付き、私は再び振り返る。

 廊下の先に、黒いサテンブラウスにペプラムパンツ、シルキーでタイトな服装に身を包んだ女性が一人、目をつむって立っていた。

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