鏡の部屋のアイサ 5

 しかし、私はそれから手を離すことができないでいる。それは、もっと知りたいからではない。この手を離してしまうと、彼女を拒絶するような、そして彼女が私の許からいなくなり、二度と戻ってこなくなるような気がした。


 知りたい、とこの子は言った。私の心を。

 私は、どうしたいのだろう?


「君が追われてるのは、多分『保護』の為だと思う。でも、私は、命を狙われることになるだろう。知波さんが私のことをどう思っていようと、私といたら今よりもっと危険な目に遭う。そんなことに君を……」

「いいの。先生、強いから」

「私は、強くなんかない……」


 戦うのが嫌で仲間と距離を置き、そして身を寄せた町まで捨てて、ここまで流れ着いてきた。そんなもの、強いはずがない。


「じゃあ、アイサを守ってくれないの?」

「そうじゃないよ、知波さん。でもね」

「アイサって……呼んで」


 彼女が私に、最後通牒を突き付けてきた。そう感じた。

 もう、逃げることはできそうにない。


「私といれば後悔するかもしれない。君も見ただろう。私は、人間じゃない」

「いいの。別に先生がなんだっていいの。先生のこと、ずっと好きだったの。ずっと見てた。今日、やっと気づいてくれた。最後の最後に」


 もし今日、この子が講師控え室に来なかったら、もう私と会うことはなかっただろう。C担の連中に連れていかれたであろうから。

 彼らはこの子をカミアン探しに利用するつもりなのだ。もちろん、それを諦めてはいまい。今もまだ探し回っているはずだ。私と共に……


 私はこの子を本当に守りたいと思っているのか? ただ損得で考えているだけなのでは?


 ベッドの中から漂い出す匂いは一向に消える様子が無い。手に握られたままの『秘密』の粘膜質の壁面からは、じっとりとした粘液が私の指に絡みつくように、今もしみ出していた。

 それを『気持ち悪い』と思ったなら、ここまで悩む必要はなかったかもしれない。しかし、匂いも感触も、その物理的な振る舞いと同じく、私の心をも絡めとろうとしている。


 私はこの子に、欲情しているのだ……


 いや、これは、この手のひらの中にある『秘密』が発する匂いが……一種の『フェロモン』となって私を突き動かしているだけなのではないか?

 この子は、無意識に私を捕らえようとしているのではないか?

 この私の欲情は、本当に私の心の中から自発的に発生したものなのか?

 私は本当に、この子を欲しいと思っているのか?

 この子と生きていく覚悟が、私にあるのか?

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