鏡の部屋のアイサ 6

 私は知波アイサの『秘密』を握ったまま、欲情と疑念、湧いてくるその感情たちの一つ一つに『NO』を付けていった。否定し、否定し続け、自問自答を繰り返し、あらゆる感情を消していった後でも、しかし否定しえないある感情が私の心の中にぽつんとひとつ残っているのに気が付く。

 それは、カミアンを捨てて人間になろうとして、しかし結局人間になり切れなかった私に、どうしても足りなかったものだった。

 なんと皮肉なことだろう。再びカミアンに戻らざるをえなくなった後で、私はそのことに気付いたのだ。


 私は、そのたった一つだけ残った感情を、そっと彼女につぶやいた。


「君を守りたい。ずっと傍にいたいと思う。だから、私と一緒にいてくれ、アイサ」


 その瞬間、私の手の中にある『アイサの秘密』から、これまで以上の量の粘液があふれ、私の手を濡らした。しかし私は手を離さない。持てるすべての愛おしさを込めて、やさしくそれを愛撫した。

 私の手の動きに、喘ぎにも似た声でアイサが答える。


「うれしい……」


 私はそのまま、アイサを後ろから強く抱きしめた。


※ ※


 何かしらの感情の高まりを感じた時、アイサはあの独特な匂いがする分泌液を、彼女が持つ未知の器官から分泌するようだった。

 私の左手に、いまだ色濃く残る粘液の感触と、そしてこの匂い。しばらく見つめていた私を、アイサが恥ずかしげな声でとがめた。


「先生、恥ずかしいから、洗ってきて……」

「あ、ああ、ごめん。そ、そうだね」


 洗面所へ行き、手を洗う。匂いが薄れた手のひらを見て、少し物足りない気持ちになった。

 タオルで拭き、寝室へと戻る。すると、アイサはソファにあった服を身に着けている最中だった


「でもどうして、そんなに私のことを? アイサから見れば、私はおじさんだろう?」

「先生って、いくつ?」

「いくつに見える?」

「んー、三十歳」

「そうか……じゃあ、そういうことにしておこうか」

「ほんとはいくつなの?」

「その三百倍以上、かな」

「じゃあ、おじいさん、ね」


 そう言って、アイサは微笑んだ。でも彼女は、それ以上私の年齢について聞こうとはしない。そのことに、あまり興味のない様子だった。


「ねえ、先生」

「何?」

「アイサも、先生のこと、名前で呼んでも、いい?」

「名前? いいけど」

「ほんと? じゃあ……」


 そう言うとアイサは、私の首に手をまわし、私の瞳をじっと見つめた。


「大好きよ、ずっと私の傍にいてね、ヤナ」

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