鏡の部屋のアイサ 2

「ねえ、先生」


 まとまらない考えがぐるぐると回るだけだった思考を破るように、シャワーを浴び終えた知波アイサが声を掛けてきた。

 何気なく振り向くと、彼女はバスタオルを手に持ち、備え付けのバスローブを着た姿で立っている。慌てて視線をそらし、あらぬ方向を向いた。


「あの、知波さん。服を着てください」

「バスローブじゃだめなの?」

「だめというか……何かあった時、すぐに出られる格好でないと、ね」


 そう私が答えると、知波アイサは口をつぐんでしまう。横目で彼女をうかがうと、うつむいてバスタオルをいじっていた。


「服じゃ、寝にくくて」


 光陽女学院は私服OKの学校だったので、彼女が着ていたブラウスとスカートも彼女の私服だ。たしかに、それでは寝にくいだろうが……


「じゃあ、すぐに持ち出せるように、たたんでソファに置いておくと良いかな」


 私も、ほぼ手ぶらの状態で来ている。スーツのポケットに入れてあった財布がなければ、ここに入ることもできなかったくらいだ。カバンがないのは意外に不便だった。


「先生は?」

「私は大丈夫。いつでも動けるよう、ここに座っておくから、安心して横になりなさい」


 時計は夕方過ぎを指していた。七月ではまだ外は明るいだろう。動くとすれば、深夜の一時頃だろうか。

 知波アイサがベッドに入るのを確かめ、私はまたソファに体を預けた。少し残り香はあるものの、知波アイサの匂いは随分とおさまっている。


 シャワーを浴びると匂いは流れ落ちるのだろうか。


「ねえ、先生」

「はい、何かな? さすがにまだ眠れないか」

「アイサって……変なの?」


 知波アイサは、顔を私とは反対の方に向けていた。


「何でまた、急に?」

「だって、先生、何もしてこないから」


 一瞬、何のことだか分らなくて、私はきょとんとしてしまう。なるほど、そういえば彼女も、ここがどういう場所なのか知っているのだ。


「一応こう見えても、それなりの理性を持ってると自負しているよ」


 正直なところ、彼女がどういうつもりでそんなことを言ったのか分からない。少なくとも、彼女が遊びなれているようには見えなかった。


「アイサも、『異常』なの?」

「異常? なぜ?」


 体臭を気にしてのことだろうか。しかし今は、私の鼻は何も感じていない。ましてや、カミアンにしか分からないという匂いであるならば、これまでの人生において、彼女の放つ匂いで彼女自身が嫌な思いをしたということは無かっただろう。


 それにしては随分、気にしているような……


「ねえ、先生」


 再び知波アイサが私を呼ぶ。


「何かな?」

「こっちに、来て……」

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