神々のいない世界で 9
「先生は……アイサを助けてくれるの?」
ふと彼女がそう口にする。その瞬間なぜか、決断を迫ったはずの私の方がまるで彼女に決断を強いられているように感じた。
『人間』として生きるために仲間を捨ててこの町に来た。しかし今、せっかく手に入れた『人間』としての生活を捨てようとしている。
――全てを捨てても、私を助けてくれるの?
彼女の言葉が、私にはそんな風に聞こえた。
『じいや』というカミアンに育てられ、今はC担に追われている少女。カミアンにしか感じない匂いを放つ少女。C担の手に落ちれば、私はもちろん、もうわずかしか残っていないであろうカミアン達に災いをもたらす少女。
だから助ける……ではない何かが、私の心を揺さぶっていた。その正体は分からない。
彼女を助けるには、一旦捨てたはずの『カミアン』に戻らなければならないだろう。本当にそれでいいのか?
私は、一瞬だけ自分に問いかけ、すぐに返ってきた答えに従うことにした。
「君がそれを、望むなら」
知波アイサは少し潤んだ瞳を私に向けると、ゆっくり、しかし大きく頷いた。
「開いてるぞ!」
建物の方から男の声が聞こえる。
「さあ、早く」
私に促されて、軽やかにという訳にはいかなかったが、彼女も何とか柵を越える。
「あっ……」
柵を越えたところで、知波アイサが小さく声を上げた。
「どうした?」
「かばん……」
男ともみ合った時に彼女はかばんを落としていた。拾わずに来たことを、今更ながらに思い出したようだ。
「大切なものが入っていた?」
慌てて尋ねた私に向けて、彼女は首を横に振る。
「もう、いらない」
少し遠い目をしながら、知波アイサはそう答えた。そして軽く微笑む。
男たちが階段を上る音が、大きく聞こえてきた。下を覗き込んだが、屋上は建物の五階部分に当たるだけに、普通に落ちればただでは済まないだろう。
学校の裏手に広がる林を見ながら、私は一つ息を吐いた。
――短い『人間』だったな。
「しっかりつかまって」
知波アイサを左腕で抱きかかえた。その拍子に彼女は軽く声を上げたが、すぐに私の身体に両手を回し、強い力でしがみついてくる。
「行くよ」
そんな彼女の耳元にそう囁くと、彼女の体ごと思い切り宙へと飛び出した。
悲鳴も上げず、知波アイサはただ私の身体をきつく抱きしめている。軽い浮遊感と頬に当たる空気の圧力が、まるで水の中を進んでいるような錯覚を与えていた。
久しぶりの重力制御だったが、二人の身体はバランスを崩すことなく、滑空しながら林の中へと入っていく。
と、軽い悲鳴が上がり、その後、驚きの混じった感動の声に変わった。
「すごい……」
知波アイサが眼を見開いて、後ろへと流れていく周りの木々を見ている。空気抵抗で次第に速度が落ち、二人の身体はゆっくりと高度を下げていくと、林を抜けそうなところで地面へと降り立った。辺りを見回したが、人に見られた様子はなさそうだ。
知波アイサは、ぼうっとした表情で立ちすくんでいた。
「大丈夫?」
声を掛けると、彼女がはっと我に返る。
「カ……カミアンって、飛べるのね」
「あ、いや、飛ぶのとは少し違うのだけど」
「でも、飛んでた。ウェンディになったみたい」
知波アイサが私の腕をぎゅっと抱きしめる。驚いた私に向けて、彼女は飛び切りの笑顔を見せた。
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