神々のいない世界で 8
意味不明瞭な声を上げて、私に殴られた男が後ろへと吹き飛んだ。
「先生!」
驚いて私を見る
伊郷の傍にいた男が、懐から何かを取り出す。そして何も言わずに、取り出したものを私の方へと向けた。
軽い破裂音。
知波アイサを庇い、咄嗟に右手を前に差し出す。右手のすぐ前方で僅かな塵煙が上がったかと思うと、銃のようなものから発射された球形のゴム弾が動きを止め、鈍い音と共に床に落ちた。
男の顔が驚きに歪む。
「貴様……カミアンか」
床に落ちたゴム弾を素早く拾い、一瞬動きを止めたその男に向けて投げつける。ゴム弾を顔面にまともに食らった男は、がっという声と共に、床に倒れて悶絶を始めた。
それを一瞥した伊郷は、しかし全く動じた様子を見せない。腰に手をやり私を見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「彼らから逃げられると、思っているのですか?」
「反対にお聞きしたいですね。そいつらは何者ですか」
しばらく私を射るような眼で見ていた伊郷が、ふっと表情を緩める。
「公安警察特務課……C担よ」
C担……治安維持を担う公安警察の中でも、『カミアン』を専門に追いかける部署だ。以前に噂に聞いたことはあったが、会うのは初めてだった。
……バレてしまったか。
顔を変えでもしない限り、今後ずっと追いかけられることになるだろう。暗澹たる思いが私の胸に広がった。
「なるほど、お教えいただきありがとうございます」
「どういたしまして」
伊郷は、両の掌を広げて少し上げるジェスチャーをした。
実際のところ、伊郷もよくわからない人間であったが、今それを気にしている余裕はない。
「失礼します」
そう言うと私はもう後ろを振り返ることなく、ノックアウトされた男の横をすり抜け、知波アイサの手を引いて廊下を走りだした。
「やっぱり先生は……」
「その話はあと。とりあえず、こっちへ」
知波アイサの言葉を途中で遮ってそう答えると、私は上へ行く階段を上り始める。
「先生、そっちじゃ」
「出入り口や校門は連中がいる可能性がある。私に任せて」
強引に彼女の手を引いて、さらに階段を駆け上がった。知波アイサが私の手を握る力をぎゅっと強める。
最上階まで上がると、金属製の扉が現れた。階下では何人かの男たちの声がしている。
急いでノブをひねったが、幸いカギはかかっていない。そのままドアを開け外に出ると、まだ高い場所にある太陽の光が私たちをまぶしく照らした。
「先生、屋上だと」
逃げられない。知波アイサが不安げに私の方を見つめる。
「こっちだ」
彼女の手を引っ張り、屋上にある落下防止用の柵まで走る。そのまま柵を乗り越えた。
「乗り越えて」
その先はもう何もない。柵の外、建物の淵からそう促す私に、知波アイサは一瞬不安げな視線を向けた。
「私を、信じてくれるかい?」
彼女に決断を迫る。彼女の行動如何にかかわらず、私はここを去らなければならなくなった。その私に彼女が付いてくるかどうかは、彼女が決めることだ。
このまま私といけば、もう学校に戻ることはできないだろう。それは彼女にもわかっているはずだ。さほど親しくもなかった男性に、自分のこの先の運命を委ねること自体、通常ではありえないことだと言える。ましてや、屋上から飛び降りようとしていれば、尚更だ。
淡い色の髪が、風に吹かれて揺れる。私を見つめるどこか儚げな目は、私の心の奥底から必死に何かを探そうとしているかのようだった。
そのうち追手が屋上にも来るだろう。タイムリミットは近い。しかし私は、知波アイサが自分で何かを言い出すまで、辛抱強く待ち続けた。
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