神々のいない世界で 5

「質問? どんな内容でしたか?」


 しかし、私の危惧とは裏腹に、伊郷が質問を進める。


 この匂いに気が付いていないのか?


「えっと、授業の内容の質問でした。フーコーの。何かあったのですか?」


 質問というものは、答えれば答えるほど、更に追加されていくものだ。腰を折るには、質問を返せばいい。


「放課後に職員室に来るよう呼び出しをしてあったのですが、彼女が見えないので」


 呼び出し?


「彼女が何かしたのですか?」

「生徒個人の話なので、言えません」


 放課後に教頭が、得体のしれない男二人を連れて生徒を探している。

 明らかに不審な状況であったが、伊郷の言葉にはそれ以上の詮索を許さないというニュアンスが含まれていた。


「そうですか。もしまたここに来たら、職員室に行くよう伝えましょう」

「お願いします」


 伊郷の目を見ながらそう言ったが、彼女の様子に、私を疑うような素振りは見受けられない。

 内心ほっとしたが、そこで自分自身に対する疑問が心の中に忽然とわいてきた。


 なぜ私は、知波アイサをかくまおうとしているのだろうか。


 確かに彼女は「助けて」と言った。しかしそれは、単に何か悪さをしてしまった生徒が、叱られる恐怖からかくまって欲しいという、ある種子供じみた反応でしかなかったのかもしれない。

 教頭に嘘をつくというのは、後でバレれば、私にとって深刻な……下手をすればこの職を失うリスクを抱えるに違いない。せっかく手に入れた静穏な生活だというのに。

 しかし……彼女が口にした『カミアン』という言葉。それを、どうみても『学校の犬』でしかない非常勤講師に告げるというのは……私はそこで確信する。


 知波アイサは、『カミアン』とは何なのかを知らないのだ……もしかしたら他の場所でも、その言葉を誰かに告げたのかもしれない。

 なら、この男たちは、思想警察か?


 後ろの男たちを見た。目が合った男が、口を開く。


「ちょっと、部屋の中を見させてもらえますか?」


 その男は、黒縁のメガネの奥の目を細めて、にこやかに微笑んでいた。


「構いませんが」


 そう答えるやいなや、男は部屋の中に入ろうとしたが、私はそれを入り口で押しとどめる。驚いた様子で再び私を見た男の目の奥に、思わず表に出た『ヤバさ』を感じ取った。


 こいつらは、思想警察じゃない。あの冷酷な、全く感情のない無機的な眼ではない。これは、きわめて有機的な目だ。だからこそ、もっと危険な何かを感じる……


「今、成績評価の最中です。ここから見るのは結構ですが、部外者が中に入るのはご遠慮ください。生徒の個人情報が多くありますから」


 私より若干背の低いその男に、私は威圧を込めてそう伝える。


「それとも、この人たちは学校関係者ですか? 教頭」


 そして伊郷に話を振った。


「いえ」


 目を閉じて、伊郷が首を横に振る。


「じゃあ、何ですか」

「西紀先生には関係ありません」

「関係無いのなら、なおさら部屋の中に入れるわけにはいきません。成績評価が終わった後にしてもらえませんか?」


 少し露骨過ぎただろうか。彼らがこのまま別の処へ行ってくれるのならいいが、それを期待するのは少し虫が良すぎるような気がした。

 しかし、伊郷はしばらく目を閉じて考えた後、男に声を掛ける。


「今は探す方が先です」


 教頭の言葉に、男は黙って入り口から離れた。


「お邪魔しましたね、西紀先生」


 そう言うと伊郷は、踵を返してさっさと歩いていく。男たちもそれに続いたが、部屋に入ろうとした男は、去り際に私を一瞥していった。


 一体何者だ?


 残念ながら私の記憶に彼らの情報はない。知波アイサに聞けばわかるかもと、部屋に入りドアのロックをかけた。

 机の方へと戻る。ロッカーの影に未だ身を寄せて、知波アイサがこちらを不安げにうかがっていた。

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