第100話 母

城が戦場と化す。


なだれ込んだ、エーヌの軍勢。

アリシヤは玉座の間で、ただその時を待つ。


それは辛いことだった。


悲鳴が、戦いの音が聞こえてくる。

その音は扉の前まで来た。

玉座の間までたどり着いたものはそう多くなかった。


アリシヤとアウトリタは、フィアを前に、エーヌの民を倒していく。


そして、彼女が現れる。


「レジーナ」


フィアが呟いた。

現れたレジーナは返り血を浴び、不気味な微笑を浮かべていた。


「やっと、ここまで来た」


レジーナはそう呟くと、素早く剣を振りぬいた。


「お前はそちらに集中しろ。周りは私が何とかする」


アウトリタの言葉にアリシヤは頷き、レジーナの前に立った。


「アリシヤ。どいてちょうだい。貴女を殺したくはないわ」

「引けません」


アリシヤは剣の切っ先をレジーナに向けた。


「私はこの物語に終わりを告げるもの。私は終焉の紡ぎ手です」


レジーナは一瞬目を見開いた。

だが、その口元に微笑が戻る。


「なら仕方ないわね」


レジーナが構える。


「戦いましょう?」


手に衝撃が来る。

レジーナの一太刀をアリシヤは受け止め、払う。

それは、重い一撃だった。


だが、アリシヤはひるまない。


レジーナの胸元にまっすぐ剣を向ける。

レジーナはそれをいなす。


迷いはなかった。


実力は互角。

長引く戦い。


アリシヤは身を翻し、その剣を避ける。

身を低くし、レジーナの至近距離に潜り込む。


立ち上がり剣を振り切る。

レジーナの剣がそれを受け止める。


互いの剣が、音を立てて鎬を削る。


これ以上は支えられない。


アリシヤは、剣をはじき後ろに下がった。

レジーナは荒い息を吐きながら、アリシヤに問う。


「ねえ、アリシヤ。どうして?」

「何がですか?」

「貴女には真実を教えたはずよ。貴女だって役割だと」


互いに様子を見ながら、円を描くようにゆっくりゆっくり足を進める。


「私を殺せば貴女はもう戻れないわ。皆から大英雄と称えられるでしょうね。そして、殺される」

「…」

「私、そんなの嫌だわ」


アリシヤは目を見開いた。


「嫌…?」

「嫌よ。自分の大切な子が、殺されるなんて嫌に決まってるでしょう?」


レジーナは笑って言った。


そうか。そうなんだ。

この人にとって自分は子供なのだ。

ただそれだけの存在で、彼女なりに愛情を向けてくれているのだ。


今更ながらにそれに気づいた。


だからこそ。


アリシヤは心に決める。


「私も嫌です」

「なにが?」

「あなたにこれ以上多くの命を奪わせたくない」


レジーナの息がふっと乱れた。


「だから―」


アリシヤは踏み込み、レジーナの懐に飛び込む。

レジーナの守りが遅れた。

今なら―


真っ赤な血が飛んだ。


「え」


アリシヤは声を上げた。


自分はレジーナの腕を狙った。

そして、剣はレジーナの肩を切り裂いた。

だが、レジーナの胸に突き刺さる剣があった。

それは己の後ろから差し出されている。


アリシヤは振り返る。


「フィア…女王?」

「ごめんなさいね。アリシヤ」


真っ白なドレスが返り血に濡れていた。

フィアは、剣を抜くと地面に倒れたレジーナに寄り添う。


アリシヤはレジーナを見つめて口元を押さえる。

心臓は貫かれてはいない。

だが、彼女の余命があと少しなことくらいアリシヤでもわかった。


「あ、はは…」


レジーナは天井を仰ぎ、笑った。


そして、フィアを手招く。

その頬に、手を添える。


「妹に…殺されるなんて…皮肉なものね」

「お姉さま」

「でも…娘に殺されるなんて…もっといやよ…」


アリシヤは息を呑んだ。


「ありがとう…私の可愛い妹」


フィアは頷いた。

そして、レジーナはアリシヤを向く。


「ごめんね…」

「え」

「醜い母で…ごめんね」


アリシヤは首を横に振る。


彼女の行いは残虐非道だった。

だが。

だが、今だけは否定したい。


レジーナの碧い瞳に涙が溜まる。


「アリシヤ…お願いがあるの…」

「なんですか…」

「お母さんって…呼んで」


フィアの口から血が漏れる。

アリシヤは震える唇を開く。


「お母さん」

「…うん」


アリシヤはレジーナの手に自身の手を重ねる。

暖かい手だった。


エレフセリアとレジーナで暮らした三か月があったという。

きっとこの手はアリシヤの頭を優しく撫でたのだろう。


この人は自分の母親だ。


今更になって実感として込み上げてくる。


「お母さん!」

「…うん、アリシヤ」


レジーナは微笑んだ。


「アリシヤ…。最後にお願い…」

「なに?」

「貴女は…世界を愛して」

「え」

「エレフセリア様の…ように…世界を」


アリシヤは息を呑んだ。


レジーナは誰よりもこの世界憎んでいたはずだ。


レジーナの目が閉じていく。

アリシヤは必死になって叫んだ。


「私、大好きだよ!この世界には大好きなものがいっぱいある!だからこの世界もきっと愛せる!愛してみせる!」


レジーナは小さく笑って目を閉じた。


聞こえただろうか。

最後の言葉は。


アリシヤの目から涙が落ちた。


「さよなら。お母さん」


扉から、赤い面をした女が駆け込んでくる。


「レジーナ様…!」


アウトリタが剣を構える。

だが、フィアが首を横に振った。

彼女は面を外すと、レジーナの亡骸にそっと寄り添った。


「カリーナ」


フィアが彼女に声をかける。


「…私はいつも間に合わない」


カリーナがぽつりと零した。

カリーナがアリシヤを振り返る。


「レジーナ様はなんと…?」

「世界を、愛せと」


アリシヤは答えた。

カリーナは目を見開いた。

そして、涙の浮かんだ笑顔を見せた。


「そう…そうですか」


カリーナはもう一度視線をレジーナに移す。


「私は裏切者です。私は貴女を止めたかった。そんなことを言っても、貴女は許してくれないでしょうね。だから」


カリーナは、羽織っていたストールを脱ぎ、レジーナの顔にかけた。


「地獄で会いましょう。レジーナ様」

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