第101話 終焉、そして、はじまり
外で鐘の音なった。窓を振り返る。
「来た」
フィアが呟いた。
ソーリドが率いる軍勢がやってきたのだ。
それは圧倒的な数だった。
カリーナから、エーヌの民の侵攻を聞いたフィアは賭けに出た。
住民を外に逃がし、王都を戦場にする。
そして、自らの身を危機にさらし、エーヌをおびき寄せ集まったエーヌを、王都で殲滅する計画を。
ソーリドは、アウトリタとの相談の元、エーヌといつか正面からぶつかり合うことを見越して兵を集めていた。
ソーリドはその兵を近隣の街へ待機させ好機が来るのを待っていたのだ。
「まだ終わりじゃない。気を抜くな」
アウトリタの言葉にアリシヤは頷く。
今からエーヌの残党が、この城へ押し寄せてくるはずだ。
「アリシヤちゃん」
タリスが駆け込んでくる。
タリスは、アリシヤの横に並ぶと、剣を構えてひどく警戒した。
「敵襲。それも一番厄介な」
アリシヤは息を呑んで頷いた。
扉をくぐり、リベルタが入ってくる。
「お疲れ、アリシヤさん。それとも大英雄様と言った方がいいのかなぁ?」
「勇者様…」
「レジーナ様との会話聞こえてたぞ。本当にあんたは正義の味方みたいな人間だな。反吐が出る」
笑顔を崩さずリベルタは言った。
だが、アリシヤは首を横に振った。
「正義の味方ではありません」
アリシヤは深く息を吸う。
そしてリベルタを見据える。
「勇者様。私の答え、聞いてくれますか?」
「…どうぞ」
アリシヤは促されるままに、話を始める。
「勇者様。私は迷いました。大英雄になるか、このまま逃げるか」
「ああ」
「だけど、こちらの道を選びました。私の大好きなものを守るにはこの道が最良だと思ったから」
アリシヤは暗い蒼い目を見据える。
「ですが、この先は別です」
「この先?」
アリシヤは深く息を吸った。
そして叫ぶ。
「私は!オルキデアの!店員になります!」
隣でフィアが吹きだした。
リベルタの笑顔が崩れた。
アリシヤは続ける。
「いえ、私、騎士とか英雄とか自分にあってないと思うんですよね。無鉄砲だし、作戦と分かってても勝手に体動いちゃうし。だったら適材適所。私は城勤めをやめて、オルキデアに勤めようと」
「待て」
地を這うようなリベルタの声。
もう、アリシヤはひるまない。
「何ですか?」
「あんたは真実を知ったはずだ。知ったはずだ。世界が反転するさまを」
確かに見た。
常識が揺らいだ。
何もかも嘘だったと思った。
リベルタは低く唸る。
「それでもあんたは、そんなことを言うのか…?」
「ええ」
リベルタの言葉にアリシヤはあっさりと頷く。
リベルタが顔をしかめた。
アリシヤは苦笑する。
「だって、私にとって世界は美しいものではなかったから」
「は?」
「十四年近く迫害され続けてきたんですよ。この世界が美しいなんて到底思えませんよ」
赤い髪と目。
逃げるように暮らしてきた。
向けられる瞳は侮蔑か恐怖。
アリシヤはいつもフードで視界を隠していた。
世界は見るに堪えないほど醜かった。
「だけど、私の世界は反転した」
アリシヤはリベルタを見つめる。
「皮肉なものです。あなたが私を陥れる策、それによって私の世界は反転したのです。醜い世界から、美しい世界に」
リベルタが口を閉ざした。
タリスが言ってくれた。
赤い髪と瞳が美しいと。
思えばアレがきっかけだったかもしれない。
アリシヤは笑う。
「その中で私はたくさんの大好きに出会った。そして、それは再び世界が反転しても揺らがなかった」
アリシヤは、まっすぐにリベルタを見つめた。
そして、言い放つ。
「だから、私は大好きなもののために生きる。私は自分の好きを捨てたくない」
わずかに訪れた沈黙。
それをリベルタの笑い声が崩す。
「あ、はは…!綺麗事…!綺麗事でいてえらく幼稚だ」
「知ってますよ」
「だろうな。あんたは聡いから」
リベルタが剣をくるりと回した。
その動きは見たことがあった。
アリシヤは息を呑んだ。
ルーチェを斬ったあの日も、リベルタは同じように剣を弄んでいた。
「気に入らねぇな」
ごくりと息を呑む。
「さあて、アリシヤさん剣を抜け」
狂った瞳がアリシヤを射貫く。
それでも、アリシヤは引き下がらない。
「待ちなさい!」
フィアが声を荒げる。
リベルタはつまらなさそうにそちらに顔を向ける。
「何ですか?」
「殺す必要はないと、今朝告げたはずです」
「ああ、言いましたね」
リベルタは鼻で笑った。
「お言葉ですが、あれは女王としての言葉ですか?」
「…」
「あなた個人の言葉でしょう?」
「リベルタ!」
アウトリタの鋭い声が飛ぶ。
だが、フィアはそれを止める。
そして、悔しそうに唇を噛んだ。
「その通りよ…」
「だったら、俺個人の思いを貫かせてもらいますよ」
リベルタがにやりと笑った。
アウトリタがアリシヤの前に立った。
「下がれ。お前には敵わない」
「分かってます。だけど、彼女ならきっと」
アリシヤは言った。
扉から差し込む光。
その光が一人の人物を映し出す。
「間に合わないかと思ったよ」
アリシヤは安堵の息をついた。
彼女は剣を持ちながら、小さく笑った。
「悪かった。だが、間に合っただろう?」
彼女は玉座の間に足を踏み入れた。
リベルタは呟いた。
「スクード」
「お前の相手は私だ」
ルーチェは剣の切っ先をリベルタに向けていった。
リベルタはふっと笑った。
そして、互いに踏み込んだ。
一度、二度、三度。剣が交わりあう。
素早いその攻防に息を呑む。
「なあ、スクード!」
リベルタが叫ぶ。
「なんだ!」
ルーチェが答える。
カンッ、と音を立てて剣と剣がはじけた。
「お前はどうして狂わなかった!あと一押しだったのに!」
楽しそうに彼は言った。
「アリシヤがいたからだ!」
上機嫌に彼女は答える。
「そして、お前が生きてたからだよ!」
彼女の振った剣が彼の右腕を掠る。
わずかだが血が飛んだ。
「ははっ!綺麗事!」
彼の切っ先が彼女の頬を浅く抉った。
彼は笑った。
「なあ、スクード!」
「なんだ!」
彼の剣が彼女の髪を薙いだ。
黒い髪が床に散る。
「俺にもそんなものがあれば、こんな風にはならなかったかなぁ!」
「さあ!私には分からないな!」
その言葉を最後に二人は剣を交えることに集中した。
美しい剣劇だった。
アリシヤは息を呑んでそれを見守った。
二人は笑っていた。
心の底からそれを楽しんでいるような笑顔だった。
だが、それにも終わりが来る。
ルーチェがリベルタの脚を掬った。
体勢を立て直そうとしたリベルタを蹴り、そして、ルーチェはリベルタの剣を奪い、投げ捨てた。
地面に伏したリベルタ。
ルーチェはそれを見下ろす。
「あれだけ剣で戦っておいて最後は蹴りかよ」
「はは、読めなかっただろう」
そういって二人は笑う。
リベルタは地面に転がり投げ捨てられた剣の方向を見てふっと息を吐いた。
手を伸ばしても届かないことが分かったのだろう。
ルーチェは剣を持ちながら彼に問う。
「なあ、なかったのか?」
「あ?」
「お前に好きなものはなかったのか?」
ルーチェの問いにリベルタは顔を逸らした。
「あったよ」
「…だったら」
「でも、全て過去のものだった」
リベルタが目元を覆った。
自嘲気味に彼は話し出す。
「俺は大好きだった。この国の人が、この国が、お前が、そして自分自身が」
「…」
「でもそれは真実を知る前のそれらであって、真実を知った後では全て空虚に映った」
リベルタが目元から手を離し、スクードを見上げる。
「なあ、スクード。何もかもが空しいんだ。これが世界なのか?これが俺なのか?それを知りたくて、人の答えをずっと横から見てきた」
リベルタは続ける。
「だけど、どれも気に入らない。空しく映るんだ。なあスクード。本当は気付いてた」
「何がだ?」
「俺がおかしいんだな」
リベルタはそう言って笑った。
どこか寂しさを帯びた笑顔だった。
「アリシヤさんもタリスも…そしてお前も狂わなかった」
「そうだな」
「八つ当たりだったんだなぁ。きっと。何かを持っているお前らが羨ましかった」
「はた迷惑な話だ」
「その通り」
リベルタはけらけらと笑い、だらりと地面に手を広げた。
「俺の負けだ。スクード」
ルーチェは剣を右手にかけ、そして、リベルタに近づいた。
アリシヤは息を呑んだ。
ルーチェは左手でリベルタの頭を持ち上げ、思いっきり頭突きしたのだ。
鈍い音が玉座の間に響く。
あまりに痛そうだ。
アリシヤは他人事ながら頭を押さえた。
「っああああ!なにすんだよ⁉」
リベルタの抗議にも頷ける。
ルーチェは剣を投げ捨てる。
そして、リベルタに馬乗りになり、その胸倉をつかんで持ち上げる。
「ざまあみやがれ、クズ野郎!」
ルーチェは笑顔で叫んだ。
リベルタは面食らっている。
「はい?」
「気に入らない」
ルーチェはぱっと手を離す。
リベルタが地面に頭を打ち付ける。
床に転がりながら頭を押さえるリベルタ。
そんなリベルタを見つめながらルーチェは呟く。
「気に入らない。お前のすべてが気に入らない」
「スクード?」
「本当にお前はさあ!」
ルーチェが頭を押さえて、口を開く。
「昔はあんなにわんころみたいで可愛かったのに、久々に会ったと思えば人の腹斬るし、アリシヤ攫うし、牢屋に監禁するし、犯そうとするしさあ!」
「ちょっと待って、スクード!未成年もいる!」
「お前がしでかしたことだろ」
「すいません」
ルーチェが長いため息をつく。
「なのに、お前を嫌いになれないんだよ」
「は?」
リベルタが目を見開いた。
ルーチェはそんなリベルタに微笑む。
「私はお前を救いたかった」
「…」
「だけど…私がどれだけ答えを提示したところでお前は納得しないんだろう?」
「…そうかもな」
ルーチェは立ち上がりそして、リベルタに手を差し伸べる。
「だから、私が付き合ってやるよ。リベルタ」
「あ?」
「お前が自分で答えを見つけるまで、私がそばにいる」
リベルタは地面に転がったままその手を見つめている。
だが、首を横に振った。
「できない。スクード」
「何故?」
「俺は、醜い。これから生きていたって、お前に対する歪んだ感情も、アリシヤさんやタリスに対する劣等感も、この国に対する恨みも消えない」
「いいよ」
ルーチェは短く、そして笑顔で告げる。
「私が許す」
リベルタが腕で目元を覆った。
「…殺してはくれないのか」
ルーチェはリベルタの腕を顔から剥がすと、目を見つめていった。
「生きて、生き延びてくれよ。リベルタ」
リベルタは目を見開いた。
「ははっ…皮肉」
その目には薄く涙が浮かんでいた。
そんなリベルタに近づく者が一人。
リベルタが苦笑する。
「タリス。殺すか?」
「…一つだけ質問させてください」
「なんだ」
タリスは深呼吸して静かな声で尋ねた。
「チッタの村で、俺と姉さんを助けてくれた。あれはシナリオ通りでしたか?」
「…いいや」
リベルタは小さく笑った。
「違う。あれは違うよ」
「だったら!」
「うわっ⁉」
タリスが勢いよくリベルタの腕を引いた。
リベルタは否応なく上体を起こす。
タリスははにかんだ。
「だったら、あなたは俺と姉さんにとっては勇者だ!」
「…ったく、お前はお人よしが過ぎるよ」
リベルタはアリシヤを振り返る。
「あんたもな」
「私ですか?」
「ここまで利用されたのに相手を殺さないってのはおかしいだろ」
アリシヤは口元に手をやる。
確かにリベルタの言っている通りなのかもしれない。
でも、なぜだか今はそうは思えない。
「ああ、そうか」
アリシヤは気づいた。
リベルタが首をかしげる。
「信じたいんです。あなたを」
「は?」
「全てが嘘ではなかったと、私が信じたいだけです。たったそれだけです」
リベルタが息を呑み、そして呆れ顔を浮かべた。
「こりないなぁ」
「ね?英雄向いてないでしょう?」
「確かにそうかも」
ため息をついたリベルタのその背をルーチェが軽く蹴る。
「さあ、立ち上がれ。クズリベルタ」
「へ?」
「まだ、エーヌの残党は残っている」
ルーチェは落ちた剣をリベルタに渡す。
「私の横で無様な戦いするなよ」
「それはこっちのセリフだ。スクード」
二人はふっと笑った。
ルーチェが一瞬、アリシヤを振り返る。
微笑むとリベルタの耳に向けて叫んだ。
「リベルタ!大好きだ!」
「うるせぇっ‼」
エーヌの民は、ソーリド率いる軍そして、勇者たちによって鎮圧された。
フィアはバルコニーに出て告げる。
「物語は終わりました!始めましょう。私たちの未来を!」
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