第90話 歩き出す
深夜。
アリシヤとタリスはラナ爺の部屋をノックする。
「ラナ爺さん。遅くに申し訳ありませんが」
「大丈夫。起きてるよ」
扉が開いた。
ラナ爺は椅子に座り、何かを考えていたようだった。
「心は決まったか」
ラナ爺の言葉に、アリシヤは頷く。
「私たちは、抗います」
「え」
「私たちは、この国に抗います」
それが二人の出した答えだった。
ラナ爺はその茶色の目を見開いた。
一瞬俯き、そして笑った。
「あっはっは…!そうか、そうか!」
ラナ爺がタリスを見つめる。
そして、穏やかに笑ったように思えた。
「大きくなったなタリス」
ラナ爺が立ち上がった。
「少し待ってろ。準備を整える」
そういってラナ爺は二人に座るように促し、部屋を出ていった。
***
十数分後。
「待たせたな」
そういって、眠そうな目をこすっているファッジョとともに現れたのは―。
「誰?」
アリシヤとタリスは同時に声を上げた。
体格のいい初老の男性。
まとめた白い髪は、その男らしい顔に似合っている。
男性は笑う。
「あはは、分からんかタリスー、アリシヤ君ー」
ラナ爺だ。
おそらく、この声はラナ爺だ。
そうか髭を剃ったのか。
アリシヤは口をぽかんと開ける。
「劇的ビフォーアフター…」
タリスが頭を押さえ苦笑する。
「まじかぁ…ジジイ、嘘だろ?」
ラナ爺が快活に笑う。
「さあ、さっぱりもしたし、作戦会議だ。ファッジョ、地図を出してくれ」
「へいよ」
ファッジョが、机の上に地図を開いた。
それは城の設計図だった。
タリスとアリシヤは目を見開く。
「ジジイ、本当に何でこんなもの…」
「ワシは城で仕えていた」
ラナ爺は言った。
「信じられんかもしれんが、これでも高貴な家の生まれでな」
「嘘だろジジイ」
「本当だ。ワシは、サトゥルノ・ラナンキュラス。サトゥルノ家の直系だ」
アリシヤは、ラナ爺、いや、ラナンキュラスの瞳を覗く。
茶色の瞳。
見たことがある。その鋭さ。
「サトゥルノというと…アウトリタ様の家ですね」
アリシヤの言葉にラナンキュラスは頷いた。
「そう。アウトリタ様は赤子のころから知っている。なぜなら甥っ子だからの」
ラナンキュラスは懐かしそうに目を細めた。
サトゥルノ家の次男に生まれたラナンキュラス。
物語の重要な役割を担うサトゥルノの家では、成人になると、この国の真実を親から伝えられる。
ラナンキュラスも初めは戸惑った。
受け入れがたい真実だった。
だが、ラナンキュラスは諦め、受け入れることにした。
「こんな大きなものに逆らえるわけがない。そう思ったんだ」
だが、ラナンキュラスの兄・オルゾは違った。
「抗おう」
結婚し、子供がいたオルゾ。
オルゾは自分の子供であるアウトリタに、この物語を引き継がせたくはなかったらしい。
オルゾは、奮闘した。
城の中で、物語反対派を増やし、なんとかこの物語を終わらせようと。
だが、一五年前に魔王が現れる。
「知ってるだろ?サトゥルノ家は魔王の軍勢によって多くの人間が殺された」
それは、物語賛成派の者の仕業だった。
混乱の中、ラナンキュラスは死んだオルゾとその妻の横で、呆然と立ち尽くしている少年を見つけた。
アウトリタだった。
だが、その手を引くことはなかった。
ここで死んだ方がきっと幸せだろうと思ってしまった。
「そして、ワシは逃げた。逃げて逃げてこの名無しの街に逃げ込んだ」
アウトリタはその後、国の者に保護されたと聞く。
そこから立派に育ち、今では国を率いるものとなっている。
オルゾの願いはかなわなかった。
アウトリタはこの国の物語に深く関わっているだろう。
「後悔している」
ラナンキュラスは呟いた。
「ワシは兄のようにこの国に立ち向かう勇気はなかった。それどころか一人の子を救うことさえ疎んだ。自分の意気地なさがいやになる」
ラナンキュラスは机の上の地図に手をやった。
「いつか、兄の敵を討とうと噂を集め、いつかいつかとずっと思い続けてきた」
首を横に振り、ラナンキュラスは言う。
「心のどこかではわかっていた。いつかはもう来ないと。だが—」
茶色の瞳がアリシヤを見据える。
「君達は抗うのだろう?この国に」
「ええ」
「もちろん」
アリシヤは、そしてタリスは頷いた。
「いい。だったら、ワシの知っていることもの、全て授けよう」
「ありがとうございます」
アリシヤは頭を下げた。
そこから、タリス、ラナンキュラス、ファッジョとともに作戦会議に入る。
作戦と言っても簡単なものだ。
だが、ラナンキュラスの城の知識は非常に役に立った。
話がまとまるころには、外は明るくなっていた。
「どうだ?いけそうか?」
ラナンキュラスの言葉にアリシヤは強く頷いた。
恐怖はぬぐえない。
失敗だって考えられる。
わかってる。
でも―。
アリシヤは空を仰いだ。
雨が上がった春の空は澄み渡っていた。
深く息を吸う。
自分の中に見つけた答えを胸に。
そして。
アリシヤは隣を振り返る。
タリスが笑った。
共に歩んでくれる仲間と共に―。
アリシヤは動き出す。
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