第89話 変わらないもの

仕切りだけがある小さな部屋。

ベッドだけがある簡易な部屋だ。


アリシヤはベッドに座る。


「アリシヤちゃん」


仕切り越しにタリスの声が聞こえる。


「なんですか?」


アリシヤはベッドのふちに手をかけ、足を伸ばす。


「いや…」


タリスの言葉が切れた。

沈黙が訪れる。


「この部屋、俺と姉さんが使ってた部屋なんだ」

「そうなんですか」

「そう。アリシヤちゃんが使ってるのが姉さんの部屋だった」


また、沈黙。

アリシヤはベッドに深く手をついた。


「タリスさん。私はすべてを失いました」

「アリシヤちゃん?」

「英雄という地位も、勇者様という信頼できる人も…ルーチェですら信頼できるか分からない」


天井を見上げため息をついた。


「タリスさん、あなたが私を認めてくれるから、私はいる。私はたったそれだけの存在で、私は…なんなんでしょうね」


苦笑した。


自分を形作っているのは、周りの人だと思っていた。

リベルタの部下で、ルーチェの大切な人で、セレーノとタリスの家族、そしてロセの友達。

ほとんどを失った。


そして、ずっと子供のころから思っていた。

自分は化物なのではないか。

それすら否定された。

それは嬉しいことのはずなのになぜか胸に穴が開いたような気がした。


「アリシヤちゃんはアリシヤちゃんだよ」

「そうですかねぇ」


タリスの言葉にアリシヤは適当な答えを返す。


なんだか納得できない。


タリスが言葉を投げかけてくる。


「勇者様の部下じゃなくても、英雄じゃなくても変わらないこともあるだろ?」

「どうでしょう…?」


アリシヤは考える。


変わらない事。

あるのだろうか。

こんなに世界が変わってしまった今でも変わらない事。


自分が赤い目で、赤い髪であること。

確かに変わらない。


だけど、そうじゃなくて。


ああ、そうだ。自分の中身だ。


真実を知ってしまった。

真実を知ったことで自分が変容してしまったように感じた。

アリシヤの中で、世界は反転してしまった。

美しいものも、醜いものも何が本物で何が偽物なのだろうか。

分からない。怖い。


「アリシヤちゃん。そっち行っていい?」

「…どうぞ」


タリスが仕切りを抜け、こちらに入ってくる。

アリシヤが座るベッドに、タリスも腰を掛ける。


「勇者様、怖かったな」


タリスがぽつりと言う。

アリシヤは教会での出来事を思い返し、頷く。


「本当に…ホントに怖かったです」

「…あの時、助けに行けなくてごめんな」


タリスが申し訳なさそうに言った。


あの時、タリスは壁越しにいたのだ。

だが、リベルタへの恐怖に負けて出てくることができなかったのだ。


アリシヤは小さく笑う。


「あそこで助けに来てくれたら本物の王子様みたいだったのに」

「ごめん、俺はそんな器じゃなかったみたいだ…」


タリスがうなだれた。

アリシヤは首を横に振る。


「冗談ですよ。それに、助けに来てくれたでしょう?」

「でも…」

「こうやって隣にいてくれるのが、どれほど嬉しいか…。あ」


アリシヤは気づいた。


「あった…」

「え?何が?」


タリスが首をかしげた。

アリシヤは思わず立ち上がり、タリスの手を取る。


「ありましたよ!タリスさん!」

「へ?」


確かに自分は真実を知ることで変わってしまったのかもしれない。

真実によって崩れた人間関係もある。


だけど、あった。

変わらないものはここにあった。


アリシヤの口から心からの言葉がこぼれる。


「私は、タリスさんが大好きです!」

「へ⁉」


アリシヤは嬉しくなって、タリスの手を取り、くるりと回る。

タリスは目をぱちくりとさせている。


「私は、セレーノさんが好きです」

「うん」

「セレーノさんの作る料理が好き」

「そうだね。俺も」

「街の人が好き」

「うん」

「ルーチェのことも好き」

「ああ」


アリシヤはタリスに抱き着いた。


「タリスさん!私の好きは変わらない!どれだけ世界が変わったって、私が好きだと思っていることに嘘はないんです!」


タリスをぎゅっと抱きしめた。

暖かくって、嬉しくって、そして、急に我に返る。


「あ、えっと…はい」


冷静になった。手で顔を覆う。


「すいません、えっとちゃんと変わらないことありました。以上です…」


真っ赤に顔を染めるアリシヤを今度はタリスが抱きしめる。


「あはは!アリシヤちゃん、君って人は…!」


タリスが腕の力を緩め、アリシヤを少し離し、顔を見つめる。


「俺も好きだ。アリシヤちゃん」


緑の目がまっすぐにアリシヤを見つめる。

そして、タリスはアリシヤの手を握る。


その手は暖かくそして頼もしかった。


アリシヤもタリスの目を見つめ返す。


「タリスさん。私、自分の好きなものを諦めたくない」

「うん、俺もだ」

「私のわがままに付き合っていただけますか?」

「違うよ。俺たちのわがままだ」


そういってタリスははにかむ。

アリシヤの目じりに涙が浮かぶ。


この人に出会えてよかった。


「一緒に行こう。アリシヤちゃん」

「よろしくお願いします」


アリシヤとタリスは笑いあった。 

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