第十章 神託
第76話 英雄になる
「はああああっ!!」
アリシヤは剣を振るった。
重い手ごたえ。
また一人敵を屠った。
「お疲れ様、アリシヤさん」
リベルタの言葉にアリシヤは頭を下げた。
***
エルバの村で、アリシヤは多くのエーヌの民を葬った。
それは、瞬く間に人々の耳に入り、アリシヤの英雄の地位はより強固なものとなった。
そして、アリシヤも覚悟を決めた。
奪わせないために、英雄の名を背負い戦う覚悟を。
アリシヤはリベルタの隣で剣を振るった。
村を困らす山賊を打ち倒し、町での抗争を止め、現れたエーヌを切り伏せた。
アリシヤが剣を振るえば振るうほど、その名声は上がっていった。
気付けば春が訪れていた。
アリシヤは自室で目を覚ました。
寝間着が汗でじっとりと濡れている。
もう慣れた。
アリシヤは目元を覆う。
先日、また人を殺した。
人を殺すたびに夢を見る。真っ赤な夢だ。
もう、毎日毎日見ている。
今日は休みだ。
だが、休んでいる暇はない。
強くならなければいけない。
目の前で消えた命があった。
守り切れなかった。
また奪われてしまった。
アリシヤは、のろのろと身支度を整える。
重い体を引きずり、一階に降りる。
階段途中で足を止める。
低い話し声が三つ。
タリスとセレーノと若い男の声。
オルキデアに客人が来ているようだ。
こんな朝早くから、誰だろう。
アリシヤはゆっくり階段を下る。
目に入ったのは深刻な表情を浮かべる、タリスにセレーノそれから、カルパだ。
客人はどうやらカルパだったようだ。
足音に気が付いたのだろう。セレーノが、振り返る。
「アリシヤちゃん」
そう呟いたセレーノは何処か切迫した表情を浮かべていた。
アリシヤは、寝起きの頭を覚醒させる。
エーヌか暴動か。
「何かあったんですか?」
「何もない」
タリスが言った。
そして、アリシヤを振り返り笑顔を見せる。
「何もないよ、アリシヤちゃん」
カルパが帰っていく。
「ロセを頼るといいよ」
それだけ残して去っていった。
何かよくないことが起こるのだろうな。
アリシヤは悟った。
だが、それでも受け入れるだけだ。
これが勇気なのか、諦めなのか。
アリシヤにはもう分からなかった。
***
朝食を取り終え、アリシヤは席を立つ。
「ごちそうさまでした」
努めて明るく出した言葉。
どこか、違和感を覚える。
なんだか薄っぺらだ。
傍らに置いた剣に手を伸ばす。
だが、剣はアリシヤがつかむより先にタリスに握られていた。
「タリスさん?」
「アリシヤちゃん。デート、付き合って?」
タリスがウインクした。
***
タリスに剣を奪われたまま、アリシヤは街へ繰り出す。
「タリスさん。剣、返してください」
「やだ。返したらアリシヤちゃん訓練行って、僕とデートしてくれなくなるだろ?」
タリスは軽口をたたきながら、アリシヤの言葉をかわす。
アリシヤはしぶしぶ、タリスの後ろをついていく。
街の人々がアリシヤを見て歓声を上げる。
アリシヤははっと顔を上げる。
疲れた顔を見せてはならない。
アリシヤはとっさに笑顔を作った。
と、前からタリスの手が伸びてくる。
「もぎゃっ⁉」
突如、口の中にパンを押し入れられたアリシヤは軽く悲鳴を上げる。
もぐもぐとそのまま頬張り飲み干す。
ドライフルーツの入った硬めのパンだ。
アリシヤはタリスをむっと睨む。
「タリスさん、何するんですか」
「はは、美味しかったでしょ?」
そういわれればそうだ。美味しかった。
タリスがアリシヤに残りのパンを差し出す。
「ほら、あっちで食べよう」
タリスが、人目を避けたベンチを指さした。
アリシヤはパンを受け取り不服な表情を浮かべながら頷いた。
***
建物と建物の間の少し日当たりの悪いベンチ。
中央広場から離れたこの場所は穴場ともいえるだろう。
「タリスさん。剣返してください」
「またそれ?今日は諦めて僕とのデートに付き合ってよ」
アリシヤはタリスが剣を返してくれないのがわかると、パンを頬張りながらぷいとそっぽを向いた。
青い空には雲が浮かんでいる。
遠くの方は暗い。そのうち雨になるだろう。
「懐かしいな」
タリスがぽつりと呟いた。
「アリシヤちゃんに出会ったのはちょうど今みたいな頃だった」
「…そうですね」
アリシヤは答えた。
ルーチェは死んだと思っていた。
だから、エーヌに復讐するため、アリシヤはリベルタとタリスについて王都にやってきた。
「君は大切な人を失って泣いていた」
「…はい」
「僕はその姿に自分や姉さんを重ねた。故郷を魔王に滅ぼされた僕ら姉弟の姿を」
アリシヤはタリスから顔をそむけたまま頷く。
タリスが小さく笑ったような気がした。
「僕は君を守らなきゃと思った。だけど、うぬぼれだった」
タリスの言葉の意味が分からず、声も上げずにただ振り返る。
タリスがはにかむ。
「アリシヤちゃん。君は強かった。君は大切な人を失っても、笑って生きようとしていた。僕が守る必要なかった。その強さに僕は惹かれた」
タリスが一瞬俯いた。
だが、首を横に振り顔を上げる。
「でも、今は怖い」
「怖い…?」
「君の強さが怖い」
タリスの緑の瞳がアリシヤを見つめる。
縋るようなその瞳にアリシヤは息を呑む。
「遠くへ行かないでくれ」
「え」
「君は、皆の英雄だ。だけど、君はアリシヤちゃんなんだ。無理に笑おうとしないで、いつも強くいようとしないで…君は君でいて」
タリスの言葉でアリシヤは気付いた。
朝、感じた違和感。
自分の言葉が薄っぺらに感じた。
そうか、己は、アリシヤではなく英雄になろうとしていたのだ。
己であるアリシヤは疲れ切っていた。
だが、英雄としてのアリシヤはいつも笑顔でいるべきであって―
「アリシヤちゃんが自分を失うような強さなら、僕は…俺はいらない…」
言葉に詰まった。
皆が求めるのは英雄だ。
なのに、タリスはアリシヤを、アリシヤ自身を求めてくれている。
彼は、アリシヤを守ろうとしてくれているのだ。
アリシヤは奥歯を噛みしめる。
それでも、奪われたくはない。
もう、二度と。
「タリスさん。私は、英雄になります」
アリシヤははっきりと口に出した。
タリスの顔が苦悩に歪んだ。
「…アリシヤちゃん。実は―」
「私、行きますね」
アリシヤは立ち上がった。
これ以上何かを言われたら、揺らいでしまいそうだったから。
タリスの制止を背に聞きながらアリシヤは駆け出した。
英雄になる。
これで正しいと誰かに言ってほしい。
アリシヤは城に向かった。
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