第75話 雨の中の再会

「帰りますよ」


ソーリドに言われて、アリシヤは小さく頷く。


イリオスは捕らえられた。

彼は呆然と項垂れながら村を見渡していた。


イリオスはどのような報いを受けることになるのだろうか。

アリシヤはデイリアとの約束を思い出す。


『イリオスを頼む』


アリシヤは俯いた。


何もできなかった。

己はあまりにも無力だ。


荒れ果てた村をアリシヤは見つめる。


忘れない。忘れてはならない。このことを。


目を凝らす。そして気づく。

エーヌの民の兵。

転がった死体。

その死体からは、エーヌの象徴ともいえる面が外れていた。


優しい顔をした女性だった。


アリシヤは己の手を見つめた。


切り捨てた。切り殺した。

それは、赤い面の化物だとどこかで思っていた。


違う。人間だ。

エーヌの民も人間なのだ。

きっと誰かの大切な人だったのだ。


アリシヤは天を仰いだ。


自分も同じだ。

自分を迫害し、デイリアを悪魔といった彼らと同じだ。

自分の脅威となるものを化物と認識していたのだ。


アリシヤの頬に雫が落ちた。


「雨ですね」


ソーリドが言った。


ぽつりと落ちた雨は瞬く間に激しさを増す。


帰路につくアリシヤをはじめとする兵たち。

無言の行軍が続く。


アリシヤは己の胸に問う。


これから自分が戦うのは人間だ。誰かの大切な人だ。

自分にそれを奪う覚悟はあるか?


アリシヤは雨に霞んだ前方を睨む。


奪わせない。これ以上は奪わせない。

そのためなら―


隣を歩くソーリドが不意に後ろを振り返った。


「なんだ…?」


アリシヤもつられて後ろを振り返る。

何かがこちらに近づいてきている。


黒いマントに、赤い面。


「エーヌの民だ」


ソーリドが呟き、兵に指示を出す。


「単騎だ。殺さずに捕らえろ」


だが、その指示が間違いだったとすぐに気づく。

たった一人で、兵に向かってきたその人物は、鮮やかな手つきで兵たちを切り伏せていく。


美しいその剣捌き。


アリシヤは体を固くする。


見たことがあるその身のこなし。


「英雄様!お下がりください!」


ソーリドが声を荒げた。

アリシヤは後ろに下がりながらも、剣を構える。


気付けばその場に立っているのは、ソーリドとアリシヤ、それから一人の赤い面だけになっていた。


ソーリドはその人物に素早く突きを入れる。

だが、その人物はそれをものともせずにかわし、ソーリドの腕を狙う。

ソーリドはそれを払う。


「っ!」


後ろに引いたソーリド。

雨だ。足場が悪く小さく体勢を崩した。

それを赤の面は見逃さなかった。


アリシヤはソーリドを守るように剣を放った。

だが、届かなかった。


ソーリドはあえなく打倒された。


アリシヤだけが残る。近づいてくる。

アリシヤに、一歩、また一歩。

アリシヤは剣を構えようとした。

だが、できなかった。


赤い面をかぶったその人物は言った。


「アリシヤ」


静かなその声。

何度も聞いた。

そしてもう聞くことは二度とないと思った。


「なんで…どうして―」


アリシヤの手から剣が落ちる。


後ろから誰かが駆けてくる。

それに気づきながらもアリシヤは彼女の面に手を伸ばした。


彼女は言った。


「アリシヤ。愛している」


アリシヤの頬に涙が伝う。

雨に洗い流される。

だけど、それでも溢れてくる。


この瞬間を何度望んだだろう。

二度と叶うことのないこの再会を。


だが、次の瞬間、強く後ろに引っ張られる。

彼女の面が外れた。


「っ⁉」


思わず後ろを振り返る。

タリス、そして、目を見張ったリベルタがいた。


タリスが叫ぶ。


「何者だ⁉」


彼女は答えなかった。

面を外した彼女。


黒く長い髪を一つに絞る女性。

中性的で端正な顔に鋭く光る黄金の瞳。


タリスの問いに答えたのは彼女ではなかった。


「ルーチェ」


アリシヤが呟いた。

それと同時にリベルタは言った。


「スクード」


ルーチェは顔色一つ変えずに一歩踏み出した。

素早くタリスの剣を払い、アリシヤの前に回り込む。


「アリシヤ、逃げるぞ」


聞きなれたルーチェの言葉にアリシヤは戸惑う。

が、ルーチェに向かって斬撃が飛ぶ。


ルーチェがアリシヤを突き飛ばした。


リベルタが重い剣がルーチェに飛ぶ。


「スクード、お前…エーヌに堕ちたのか」


いつもは聞かないリベルタの低い声。

ルーチェは答えない。

アリシヤは混乱する。


「スクード…?ルーチェがあの勇者の盾の…?」

「どうやらそうみたいだな」


リベルタが答えた。

アリシヤは絶句した。


「まさか女だったとは知らなかったよ」

「クズ野郎が」


ルーチェが、低く唸り剣を振り下げる。


リベルタとルーチェの剣劇。

雨の中二人の剣が舞う。

それは見惚れるほど美しかった。


アリシヤはそれをただ見やるしかなかった。

手出しなんかできなかった。

それはタリスも同じだったのだろう。


だが、その剣舞にも終わりが来る。


スクードの流れるような剣をリベルタが避けた。

そして、スクードの腹を剣の柄で思い切り突き上げた。


「ルーチェ!!」


アリシヤは思わず声を上げる。

そこは、ルーチェがエーヌの民に切られ致命傷を負った場所だ。

アリシヤは気づく。


エーヌの民はルーチェを殺そうとしたはずだ。

なのに、どうして、ルーチェはエーヌの民にいる?


そして、かつての疑問を思い出す。


ルーチェを切った男。

彼は面をしていなかった。

じゃあ、あれは何者だ?


ルーチェは血を吐いて地面に伏した。

アリシヤははっと我に返る。


リベルタがゆっくりと彼女に足を向ける。


「勇者様!やめ―」


アリシヤは叫んだ。

だが、リベルタは予想に反して、倒れたルーチェを抱きかかえる。


「気を失ってるだけだ。大丈夫」


リベルタはそう言うと、顔を上げアリシヤに微笑んだ。


「間に合ってよかった」


アリシヤはハッとする。

二人は確かチッタに行ったはずだ。


「どうしてここに?」

「なんか不味い予感がするって、勇者様が言ったから戻ってきたんだ。勇者様の勘は本当によく当たるから」


剣を拾いながらタリスは答える。

リベルタはルーチェを抱きながら立ち上がり、アリシヤに問う。


「なあ、アリシヤさん。こいつが、スクードが、アリシヤさんの育て親なのか?」


アリシヤは強く頷く。


「そうです。彼女がルーチェです」


アリシヤは答える。

リベルタは一瞬何かを思案した後言った。


「分かった。じゃあ、スクードは俺が管轄する」

「え」

「国には手出しさせない。このままじゃ、エーヌの民として処分されるから」


アリシヤはぞっとした。

そして気づいた。


ルーチェはエーヌの民として何人も人を殺しているのだ。


「大丈夫だ。アリシヤさん」


リベルタがいつものように明るい笑顔を見せる。


「スクードは俺の相棒だ。理由なくエーヌに下るとは思わない。俺が何とかする。アリシヤさんにとっても大事な人みたいだからさ」


力強い言葉にアリシヤは目に涙をためる。


「お願いします。勇者様」


そののち、増援の兵たちによって倒れた兵たちは回収された。


記録師であるイリオスは、エーヌの民に利用されていたという体で、保護という形になった。


そして、アリシヤは英雄となった。


デイリアという悪魔を殺し、エルバの村で多くのエーヌの民を屠った誇り高き剣士として―。


「アリシヤちゃん」


ある日の城からの帰り道、タリスに呼びかけられアリシヤは振り返る。


「どうしました?」

「大丈夫?」


タリスのまっすぐな緑の目に見詰められ、アリシヤは一瞬揺らいだ。

だが、首を横に振る。


「大丈夫です。私は、進みます」


アリシヤは強く答えた。


今まで殺した人の数だけ、救えなかった人の数だけ、それを背負って。

英雄という呼び名を与えられたのだ。

逃げない。この宿命から。


アリシヤは強く地面を踏みしめ、帰路についた。

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