第73話 怒り

それから数時間後。

アリシヤはエルバの村へ降り立った。


絶句した。

これが、あののどかな村なのかと。


家々は焼け落ち、死体が転がっている。


一歩足を踏み入れると焦げ臭いにおいと血の匂いが充満している。


「これは酷い…」


兵を引き連れて、アリシヤとともに先頭を行くソーリドが呟いた。

ソーリドの言う通りだ。


エーヌの民は町を破壊し燃やし尽くす。


話には聞いていた。

だが、実際目にするのとは違う。


村の中に足を進める。

転がっている死体と目があった。


以前、この村を訪れた時に見たことがある男性だった。


アリシヤは思わず目を背けた。


が、もう一度、その顔を見る。

苦悶の表情。


アリシヤは誓う。


忘れない。

あなたのことを私は忘れない。


教会前の広場までやってきた。

そこに、生きた人間はいない。


ソーリドが声を上げた。


「さあ、エーヌの皆さん。ここにあなた達がお目当ての赤の英雄様がいらっしゃいますよ」


その声を合図に、あたりの建物の陰から、赤い面をした人影がぞろりと現れた。

アリシヤの息が詰まった。


赤い面のエーヌ達は、一人に一人、人質を取っている。

アリシヤの正面に現れた赤い面は、ピノの首元に刃を突き付けていた。


その隣の赤い面の一人が言った。

手元のナイフは、恐怖に顔をひきつらせた少年の首にあてがわれている。


「その少女を渡せ」

「それはしかねますね」


ソーリドが答えた。

赤いものが飛び散った。


幼い少年の首がごとりと、地面に落ちた。


「渡せ」


赤い面は何の感情も伴わない声で言った。

アリシヤの体は震えた。

電流が走ったようだった。


恐ろしさ。怖さ。

そして、それを上回る怒り。


「私が行けばいいんでしょう⁉」


アリシヤは叫んで、前へ乗り出す。

だが、それをソーリドが止める。


「お気持ちはわかります。ですが、押さえてください、英雄様」


そのソーリドの言葉で、また隣の人間の首が落ちた。

ソーリドは、ほう、と小さく呟いた。

そして、低い声で告げる。


「前衛部隊。人質を開放しろ。残りは英雄様を守れ」


ソーリドの合図で、兵の一部が飛び出す。

エーヌの民は人質の首にナイフを突きつけた。


間に合ったものも、間に合わなかったものもいた。


戦闘が始まる。


斬って斬られて。


アリシヤの周りを兵が固める。


「私も…!私も戦います!!」


アリシヤは兵の中から飛び出そうとするが、彼らはそれを許してくれない。

背の低いアリシヤは兵に囲まれ事の次第がよく見えない。


だが、聞こえる。感じる。

命が散っていくのを。

断末魔が聞こえるのだ。

血の匂いが濃くなっていくのだ。


「おかあさん!!」


幼い子供の悲鳴が聞こえた。

ピノの声だった。


アリシヤは、兵の背を蹴飛ばし、前へ出た。

アリシヤは立ちすくんだ。


ピノが、母であるペルラにしがみついている。

真っ赤に染まったペルラ。


「おかあさん…おかあさん…」


ピノのその声に、ペルラが答えることはもうないだろう。


ピノの背に、赤い面の影が迫る。


「あああああああ!!!」


アリシヤは叫んだ。

全身から湧き出る怒りに身を任せ、アリシヤは赤い面を切り伏せた。


「英雄様、お戻りください」


ソーリドが剣を振るいながら、アリシヤに言う。

だが、アリシヤの腕は震えていた。


「できない。黙って誰かを見殺しにするなんてできない…っ」


赤い面が一斉にアリシヤに向いた。

兵の壁から出てきたことを好機と思ったのだろう。

群がる赤い面共をアリシヤは切り倒す。


あれほど、人の命を奪うことを恐れていた。

だが、今は剣をためらいなく振るう。

一人、また一人と、その体に剣を突き立てる。


怒りが、アリシヤを支配する。


「許さない!これ以上、奪わせない!!」


最愛のルーチェを奪われた。

その憎しみが、怒りが、今になって体の底から湧いてくる。


アリシヤにまとわりついた赤い面達は全て切り捨てた。

自身の身体にもいくつかの傷ができた。

だが、その痛みも気にならない。


荒い息を上げながら、顔を上げる。


一人の赤い面が目に入った。アリシヤが剣を振るおうとした、その時。

赤い面は走り込み、アリシヤの足元にいた子供を抱き込んだ。


アリシヤの剣が止まる。


「お姉ちゃん…!」


泣きそうなその声。ピノだ。


アリシヤを勇者と呼んでくれた。

大切な子。


赤い面はピノを抱え込んだまま走り出した。


「待て‼」


アリシヤはその面を追う。


どこかで罠だと分かっている。

それでも、追わずにはいられなかった。


後ろでソーリドの制止の声が聞こえる。

だが、アリシヤは走り続けた。

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