第63話 名無しの街
「ファッジョさん。ありがとうございました」
無事、オルキデアの前につけたアリシヤはファッジョに頭を下げる。
「ああ。まあタリスさんの彼女だからそんな手荒なこと出来ねぇし…」
体も大きく、タリスよりも幾分か体格のいいファッジョ。
そんなファッジョがタリスに怯えているのがどうも不思議な感じがする。
確かにタリスは強いが、ファッジョの怯え方は異常だ。
「そんなにタリスさんが怖いのですか?」
「怖い、怖い。だってあの人、昔、名無しの街の奴ら皆のしちまったんだぜ?」
「名無しの街?」
そんなことも知らないのかと、ファッジョは呆れる。
先ほど、アリシヤ達が行った場所、あの場所のことを名無し街というらしい。
地図には載っているが、通りや場所に名前がない。
だから名無しの街という。
「名無しの街っちゃあ荒くれ者の住む地区だ。そこに住む荒くれ者たちをたった十歳ほどのガキが全員ぶちのめしたんだぜ?」
「え」
ファッジョがぶるりと身を震わせる。
「しかもあの頃のタリスさんほんと見境なくて、自分が悪だと断定したものにはそりゃむごい仕打ちを―」
「へえ、面白そうな話をしてるじゃねぇか」
低い声に振り返ると、オルキデアの一階の窓が開いて、タリスが覗いている。
「ひっ!た、タリスさん!?そ、それじゃあオレはこれで!!」
ファッジョが脱兎のごとくかけていった。
それを見送ると、タリスが窓から消える。
と、オルキデアの扉が開く。
「アリシヤちゃん。お入り」
タリスに促されるまま、アリシヤは扉をくぐり、家の中に入った。
タリスが扉の鍵を閉める。
そのまま動かない。
不審に思いアリシヤはその顔をのぞき込む。
「タリスさん?―!」
唐突に手を引かれ、扉を背にタリスと向かい合う形になる。
近い。
アリシヤは息を呑む。
「タリスさん…?」
「アリシヤちゃん」
タリスの声が耳元で響く。
薄暗い部屋。
なぜか心拍数が上がっているのを感じる。
「今日、見たこと聞いたことは忘れてね。いい?」
普段は聞かないような甘い声。
握られた手が引かれ、体が触れ合う。
なんだか怖い。
アリシヤはきゅっと目をつぶり、震える声で答える。
「いや、です」
アリシヤは目を閉じたまま、思いきりタリスに向かって頭を打ち付けた。
頭突きである。
「痛っ!?」
タリスの手が離れる。
アリシヤは、目を開き、勢いよくタリスから離れる。
「嬉しかったから、や!です!」
「え」
「嬉しかったんです。タリスさんの言ってくれた言葉が。知らない一面を知れたことが」
アリシヤは、頭を押さえるタリスに向かって叫ぶ。
「忘れなんかしませんからね!」
タリスの呆然とした顔を一瞥すると、アリシヤは二階の自室に駆け込む。
なんだか分からないが腹が立った。
アリシヤは今更痛み出した頭を押さえる。
アリシヤはコートを脱ぎ、ベッドに倒れこむ。
まだ、心臓がバクバクと音を立てている。
アリシヤにはその理由が分からない。
明け方が近づいてきているようだ。
外はどことなく明るい。
「なんだかなぁ」
アリシヤは呟いて目を閉じた。
目に浮かぶのは夜中に見た悪夢ではない。
今夜の出来事だ。
それは名無し街の事だったり、ラナ爺やファッジョの事だったり、タリスの事だったり。
顔を赤くし、時折、じたばたと寝返りを打ちながらも、夜が明けるころにはアリシヤは眠りについていた。
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