第61話 噂の支配人

入り組んだ路地に深く入り込む。

傷つけられた壁に、転がるゴミ。悪臭が漂う。

小さな壁の隙間から、人々がこちらをうかがっているのがわかる。

だが、タリスが視線を向けると目線は消えた。


ルーチェとの旅の途中、こういった場所にも何度も訪れ、身を隠した経験もあるアリシヤであるが、未だに慣れない。

ぎゅっと、コートを掴む。


横を歩くタリスがそれに気が付いたのかこちらを見て笑う。


「大丈夫だよ、アリシヤちゃん。僕がいるからね」

「…ありがとうございます」


と、前を行く雑魚と呼ばれた男が歩きながら振り返る。


「タリスさん。彼女連れてくるなんて初めてですね。もしかして結婚されたんですか」

「そうだよ」


さらりと答えるタリス。

アリシヤは慌てて弁解する。


「違いますよ!?結婚はおろか、彼女ですらありませんから!」

「アリシヤちゃんは厳しいなぁ」


けらけらと笑うタリスにアリシヤは頬を膨らませる。


「…タリスさん、嘘つけないんじゃないんでしたっけ?」

「アリシヤちゃんがオッケーしてくれたら、嘘じゃなくなるんだけどなぁ」

「そんな台詞誰にでも言ってるんでしょう」


ぷいとタリスから顔を逸らすと、前を行く男と目が合う。

男が苦笑する。


「痴話喧嘩はよそでやってくださいよ」

「違います。…えーっと」


そういえば名前を聞いていない。

前の男が頭を掻く。


「オレは、ファッジョって言います」

「ファッジョさん。失礼いたしました。アリシヤです」

「ああ、噂はかねがね…お、着きましたね」


ファッジョの声に前を見ると、廃墟同然の石造りの家が現れる。

中から明かりが漏れている。

誰かいるようだ。


「おーい、おやじー。タリスが帰ってきたぞー」


ファッジョが声をかけても返事はない。

タリスが前に出て、ずかずかと廃墟の中に入っていく。

ファッジョはそれを見て、何とも言えない笑みをこぼしながら、アリシヤを中に導く。

首をかしげながら建物の入り口をくぐると、石に腰を掛けた白い毛の塊なるものが現れる。


アリシヤは目を見張る。

その塊はかすかに動いている。


タリスはそれの前に立つと口の端を上げて笑った。


「よう、ジジイ。見ねえ間に老いぼれどころか毛玉になってるじゃねぇか」


毛玉がぶるりと震えた。


アリシヤは目を見開いた。


毛玉の隙間からちらりと瞳が見えた。

あれは巨大な毛玉ではない人間だ。

毛玉が口を開く。


「その口の悪さは、タリス坊か。おや勇者様を斬って首にもなったか?」

「もうろくしたかよ、ジジイ。首でもはねられたいか?」


物騒なやりとり。

そしてなぜか二人して声を上げて笑い出す。


アリシヤは状況についていけず面食らう。

タリスが腹を抱える。


「あははっ!変わってねぇな、ラナ爺!老いぼれて丸くなったって聞いたんだがな!」

「お前こそ、お貴族様の下で働いて行儀良くなってるのかと思ったらそうでもないな!それどころか殺気があがったな!よいよい」


良いのか。


あっけに取られるアリシヤをタリスが手招く。

アリシヤは開いた口が塞がらないまま毛玉の塊、もとい、ラナ爺の正面に立つ。


ラナ爺の白髪の中に隠された茶色い目は鋭い。

アリシヤを頭のてっぺんから足の先まで見つめると、にこりと笑った。


「合格!」

「へ?」


アリシヤが声を上げる。

もさもさと伸びた長い白髪ふわふわと揺れる。

おそらく笑っている。


「君が赤の英雄だな。うむ、いい。純朴さ、悩める瞳、そしてどこか漂う高貴さ。これは噂の題材としては高得点だ」

「噂の題材?」

「そうだ。アリシヤ君。私は、ラナ爺。人呼んで噂の支配人さ」

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